第9話 そして、革命の時が来た
翌日、誕生日パレードの前に公開処刑が行われることになった。
「いい余興ね! 皆さん楽しんでくださるに違いないわ」
処刑場の観覧席がある物見台で、イルマは椅子にふんぞり返ってそう言った。
その左右で、アーデルとリヒャルトは無言で突っ立っていた。
イルマにそばにいるよう命令されたのでここまで来たが、本心では逃げ出したくてたまらなかった。なにせアーデルにとっては自分と弟の命以上に大切なものはない。ここ数日友として同行していただけの男のためにイルマに対して反逆することはできない。ただただイルマの視界に入らないようにしたい。
見張られているので話はできなかったが、おそらくリヒャルトも同じ気持ちなのではないか。彼もグレゴール同様一流の騎士であり、ザイツェタルクからの来賓ということで相変わらず帯剣を許されていたが、その剣を抜くことはなかった。
グレゴールが処刑台の階段をのぼらされていく。彼の前後左右を黒い頭巾で顔を覆った男たちが固めているが、顔が隠れているのでどんな表情をしているかはわからない。彼らもクセルニヒ民として無表情を貫いているのだろうか。
処刑台の周りを、大勢の人間が取り囲んでいる。みんな無言で見つめているが、内心はどう思っているかはわからない。彼ら彼女らにとって公開処刑は数少ない娯楽なのではないか。女王に与えられた娯楽を無批判に享受しているのではないか。
ノイシュティールンでチャーリー・バーニーが処刑されるのとクセルニヒでグレゴールが処刑されるのではまったく意味が異なる。それを、誰も、わかっていないのではないか。
グレゴールが、処刑台の縄の前に立った。
処刑人が言った。
「何か言い残すことはないか」
グレゴールがここまで聞こえるほどの大声で答えた。
「自分はヴァランダン騎士としての正義に従ったまでだ!」
決して折れていないのだと、彼は主張した。
「お前らみんな狂ってる! 最初からこうして言ってやればよかった!」
「なんてことを言うの!」
女王がいきり立つ。
「謝りなさい! 泣いて詫びたら考え直してもよろしくてよ!」
グレゴールが怒鳴った。
「この魔女が! お前みたいな魔女が支配するこんなクソ国家滅びちまえ!」
「やっておしまい!」
処刑人たちがグレゴールの首に縄をかけた。グレゴールは抵抗しなかった。
グレゴールの足元で床が開き、四角い穴が空いた。
彼の体が、宙に浮いた。
「いい気味!」
喉が絞めつけられて断末魔の悲鳴も上げられない。
「何がヴァランダン騎士の正義よ! ヴァランダンにクセルニヒ海軍の艦隊を差し向けてやるわ!」
その時だった。
誰かが叫んだ。
「魔女!」
処刑場のどこかから、大きな声が響いた。
「俺たちの国をこんなにしやがって!」
初めてだった。
「死ぬべきはお前だ!」
初めて、クセルニヒの民衆の声を聞いた。
その場に集まっていた人々が一斉に牙を剥いた。
「魔女を倒せ!」
彼ら彼女らは処刑台に押し寄せた。驚いた兵士たちの体をつかみ、抱え上げ、宙に放り出した。処刑台に駆け上がり、処刑人たちを地面に突き落とした。
「女王を殺せ!」
市民たちがこちらにも詰めかけてきた。
イルマは悲鳴を上げてすぐそばにいたリヒャルトにすがりついた。
リヒャルトは一瞬アーデルの顔を見た。何かを言い掛けた。アーデルもリヒャルトに何かを言わねばと思ったが、とっさに言葉が出なかった。
「俺たちの国を俺たちに明け渡せ!」
「こんな暮らしもうたくさんだ!」
「貴族どもを根絶やしにしろ!」
耳をつんざくほどの怒鳴り声が轟く。
「ひとまず逃げましょう」
リヒャルトがそう言ってイルマの肩を抱いた。
ところがそこで三人の前に立ちはだかった者があった。
バルトロメオだった。
「おいたはここで終わりですね、女王陛下」
彼が剣を抜いた。
まさかこの男が剣で訴えてくるとは思わなかったアーデルは、またもや反応が遅れてしまった。
イルマを押し退け、リヒャルトが剣を抜いた。
リヒャルトの刃とバルトロメオの刃がぶつかった。
金属音が響いた。
「なぜ」
リヒャルトが問い掛けると、バルトロメオが不敵に笑いながらも小さな声で答えた。
「私は生き残りたいんでね」
「なんだって?」
「私は生き残りたい。だから女王はここで捨てる」
「何をむちゃくちゃなことを」
「ちなみに誰も女王を助けに来ないよ。なにせ軍隊を動かせるのは宰相である私だけだからね」
イルマが叫ぶ。
「どういうことなのバルトロメオ! なぜわたくしに刃を向けるの!」
「悪の女王に民衆の怒りが爆発するのをずっと待っていた」
民衆の怒りをあらわにした叫び声が聞こえる。
「私は平民出身だからね。王侯貴族が平民の暮らしを圧迫して贅沢三昧をし、平民を監視して、反抗したら片っ端から投獄している、という状況で平民が何を考えるのか、私は知っている」
邪悪な笑みだった。
「この国の絶対だった身分差をひっくり返して私がこの国の頂点に立つ。女王、私の豊かな未来のために死ね」
リヒャルトが剣を払った。
バルトロメオの言うとおり彼が本当に平民なら、職業軍人である騎士のリヒャルトと互角に戦えるはずがない。だからここはリヒャルトのほうが有利なのではないか、と思ったが――
リヒャルトは剣を腰の鞘に納めるとイルマを突き飛ばしてアーデルの腕を握った。
「逃げるよ」
「えっ」
「来る」
市民たちが観覧席を囲んでいた柵を破壊して物見台に上がってきた。
リヒャルトがその流れに逆らって駆け出した。
確かに、あそこでバルトロメオと揉み合っていたら市民らに襲われて圧死していたかもしれない。
アーデルはリヒャルトとともに全力で走った。
二人を監視していた兵士たちはついてこなかった。
最初、彼らはそれでもイルマを守ろうとしているのではないかと思った。
違った。
広場の角を曲がって壁際の影に隠れ、物見台のほうをちらりと窺った。
軍服を着た兵士たちまでもがイルマに襲い掛かり、剣の鞘で彼女を殴ったりドレスをむしり取ったりしている。
すさまじい光景だった。
バルトロメオが、殴られた顔を腫らし、結い上げていた髪も乱れているイルマの手首を、持ち上げるように引っ張る。
「みんな! この女がすべての元凶だ! この女を捕らえて処刑しよう!」
バルトロメオのそのよく通る声に魅了された民衆が、「おう!」と拳を突き上げる。
「我々の国を、我々の手に!」
「おう!」
「汚い政治をしていた連中はすべて排除しよう! そして新しい国を作ろう! 我々の手で!」
「おう!」
思わず「どの口が言ってるんだ」と毒づいてしまった。
「平民宰相閣下万歳!」
「平民宰相閣下万歳!」
「平民宰相閣下万歳!」
「女王を殺せ!」
リヒャルトが「とんでもないことになった」と呟いた。
「革命だ」
バルトロメオがイルマを戦利品のように担ぎ上げて物見台をおりる。その足取りは優雅だ。
「あいつ、女王を裏切りやがった」
とんでもない変わり身だった。今までさんざん女王を煽って悪事をさせておきながら、女王が不利になった途端次は女王を始末しようとしている。平民出身であるという身分を悪用して、平民を味方につけ、平民の代表者面をしている。
広場が歓喜の声で満たされた。
「王侯貴族をみんな殺せ!」
今度はアーデルがリヒャルトの腕をつかんだ。
「逃げるぞ」
「どこへ」
「こういう時は修道院と相場で決まっている」
リヒャルトの翠の瞳がアーデルを困惑の目で見つめている。彼がこんなふうに感情をあらわにするのは珍しい。
「お前はこのままここにいたら殺されるかもしれない」
「どうして?」
「貴族だからだろう? お前がザイツェタルクの侯爵家の息子だとバレたら何をされるか! ただでさえ今バルトロメオとひと悶着して顔を晒しちまった」
「確かに」
「俺はブラウエ育ちだから知っている。火がついた民衆は簡単には止められない。しかもクセルニヒにはフレットみたいなカリスマがいないからな。強いて言えば――」
平民宰相閣下万歳、の声が響いている。
「バルトロメオが敵に回った時点でチェックメイトだ」
二人は山のほうへ向かって駆け出した。
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