第7話 皇帝になることと幸せになることはイコールだと思う?

 話の途中で若い修道士が部屋を訪ねてきた。夕方の日課としてやらないといけないことがあるのだそうだ。大事な祈祷で、ハインリヒも不参加にするわけにはいかないらしい。結局、話は尻切れとんぼで終わった。


 ハインリヒと会話ができないなら修道院にいる理由はない。それに今夜もパーティがある。三人はすぐゲルベス城に戻ることにした。


 修道院を出ようとしたところで、あの近衛兵たちと合流した。

 連行されるように山道を歩かされる。その間立ち止まることは許されない。寄り道をしようにも、山から街のへりまでは何もなかったし、あったとしても兵士たちの目や耳はごまかせないだろう。

 結局、三人は何の会話もできないまま麓で待機していた馬車に押し込まれた。


 不気味なほど静かな街の大通りを、馬車に揺られて移動する。馬車の窓からは人影が見えない。街全体が死んでしまったかのようだ。しかし死んでいるにしては家の壁が綺麗だ。誰かが手入れをしているのは間違いない。けれどそれがかえってこの街を作りもののように見せる。


 この街はすべてがイルマ女王のお人形遊びのためにあるのかもしれない。女王が認めた人形だけが出入りできる都だ。


 背もたれに背を預けて、一人でぼんやりハインリヒの言葉を反芻する。


 皇帝の指輪は、確かにカールが持っている。ツェントルムでルートヴィヒ帝の葬儀の後にカール本人に見せてもらった。ハインリヒが言っていた特徴と一致する。おそらく本物だろう。


 カールは、クラウスを名乗る男に貰ったと言っていた。


 グレゴールからもっと話を聞きたい。グレゴールもクラウスとやらと面識があるようだからだ。どうやら彼もそのクラウス氏とクラウス皇子が同一人物であることに確信は持てないようだったが、情報を重ねていくほどに状況証拠のようなものが積み上がっているのは感じているはずだ。


 クラウス皇子は、ヴァランダンで、何を思って暮らしていたのか。何を思って、カールを皇帝にしようと決断したのか。何を思って、ロイデン帝国内の他の国を陥れるようなことを画策したのか。


 アーデルは皇帝の指輪なるものの効力などあまり信じてはいない。だが、この国では聖職者の地位は高い。ツェントルムの聖職者たちは指輪の持ち主だけを塗油してくれるというのなら、それに従って今後のことを考えたほうがいい。


 カールだけが塗油に値するというのか。


 カールから指輪を奪い取った者が皇帝になる。


 つまり、ヴァランダンに乗り込んでいってカールを拉致する必要に迫られているのか。


 困ったことになった。


 正直なところ、アーデルにはハインリヒも皇帝の器であるようには思われなかった。


 彼は何かにつけて手を震わせては十字架を握り締めていた。口調こそ終始落ち着いているように聞こえたが、どこか弱腰で、積極的に帝冠が欲しいとは言わない。

 第一この情勢と自分の立場を理解していても黙って眺めて修道院から出てこないというのもどうなのか。

 十四歳のディートリヒならまだしも、ハインリヒは二十三歳である。

 皇帝に求められるような決断力と行動力があるなら、中央に打って出てもよかったのではないか。


 ちらりとリヒャルトの顔を盗み見た。彼は遠く窓の外を見ていた。何を考えているかわからない。考えていても言わなさそうだ。彼の性格的にも、兵士たちや御者に聞き耳を立てられている状況で本音を話すかどうか考える思考力と判断力の面からも、彼は何も言うまい。


 リヒャルトもカールが指輪を持っていることを知っている。あの場には彼とジークもいた。ザイツェタルクの人間としてどうしたらカールに会えるか頭を猛烈に回転させて考えているに違いない。

 彼は――彼らは、必要とあればハインリヒも切り捨ててカールの擁立に動かないだろうか。


 ロイデン帝国でもっとも格の高い王国ザイツェタルクがカールを支持した時、なんらかの均衡が崩れないだろうか。


 ロイデンの盾ザイツェタルクと、ロイデンの剣ヴァランダンが、連合軍となる――帝国内に超巨大軍事組織が誕生することになる。


 そういう難しいことはフレットに丸投げすることにして、カール個人のことを思い出す。


 理性的な少年だった。十二歳のわりには筋の通ったことを言う子供で、それなりに賢そうだった。

 同時に子供らしく親を恋い慕う気持ちも持ち合わせていて、ディートリヒに比べると可愛げがある。

 それに、母親は国内最強の騎士団を持つヴァランダン辺境伯家の姫君だ。本当にクラウス皇子の落胤であることさえ立証できれば、血筋は申し分ない。


 イルマの誕生日パーティに出ている場合ではない。

 すぐにでもカールに会わなければならない。

 彼をヴァランダンから引きずり出して、ハインリヒやディートリヒと比べるのだ。


 ヴァランダンは遠い。

 州都ブルートはかなた東方にある。ヴァランダンは東方に拡大するにつれて東に遷都する国なのだ。

 ヴァランダン辺境伯国の前身は東方植民騎士団にさかのぼる。彼らはそもそもが東方の異民族を打ち払って植民してきた団体の末裔なのである。先代、そして今代のヴォルフが東方進出を考えていないようなのでここのところは防衛戦一方のようだが、かつてヴァランダンはどんどん東方に国土を広げる驚異の国だった。


 異民族をたくさん殺してできた国、ヴァランダン。

 

 そんな血なまぐさいところで生まれ育った皇子、カール。


 アーデルはそっと息を吐いた。


 今度はグレゴールの顔を見た。


 グレゴールも物思いにふけっているらしく、斜め下の何もない床を眺めていた。


 彼もカールが指輪を持っていることを知っているのだろうか。カールは隠しているとまでは言っていなかったと思う。カールがクラウスに貰ったと言って見せびらかしていたら、彼もカールが皇帝になれる確率の高さをひしひしと感じていることだろう。


 不意にグレゴールが顔を上げた。


 意図せず目が合ってしまった。


「なにか?」

「あー……いや、すまん。ちょっと、カールのことでいろいろ考え事をしていたので、無意識のうちにヴァランダンの人間の顔を見てしまった」


 嘘ではない。かといってすべてつまびらかにするわけにもいかない。


 グレゴールはヴァランダンの美徳を凝縮したような男だ。実直で真面目で、嘘をついたりあくどいことを考えたりする人間ではなさそうだ。だが同時に馬鹿でもないし、自分がクセルニヒで醜態を晒すことでヴォルフに迷惑がかかることを懸念しているので、カールやヴォルフにとって不利なことは言わないだろう。彼も必死でいろいろ考えているところに違いない。


「カールに会ってみたい」

「だめだ」


 グレゴールは即答したが、それを失敗だと捉えたのだろうか、うつむいて「すまん」と謝罪した。


「いや、ヴォルフの目の届く範囲ならいいのかもしれない。だが、自分が個人的に今の危険な状況にカールを晒したくない。自分らは本当にあの子を可愛がっていてな」


 リヒャルトが「お姫様かよ」と笑うと、グレゴールは苦笑して「似たようなもんだ」と答えた。


「ロスヴァイセ様の身代わりなんだ。騎士団の年寄りたちはロスヴァイセ様が男の子だったらしてさしあげたかったことをすべてカールにしている。カールはそれを素直に受け止めるので、まあ、騎士団にはあの子に悪感情を持っている奴はいないだろうな」


 ヴァランダンはカールを強い気持ちで支持していると見た。うらやましいくらいだ。


「ロスヴァイセ様は可哀想な亡くなり方をした。ロスヴァイセ様の不幸を思うと、カールには幸せになってほしいと思うんだな」


 リヒャルトが追及する。


「カール少年が皇帝になることとカール少年が幸せになることはイコールだと思う?」


 アーデルは思わずリヒャルトの顔を見てしまった。

 彼は神妙な顔でグレゴールを見つめていた。


「私たちは、ジークが王になったことはジークにとって幸せなことだったのか、ずっと考えている」


 グレゴールは顔を上げなかった。


「カール少年とはツェントルムで会ったわ。ルートヴィヒ帝の葬式の直後ね。その時彼は突然クラウスに皇帝になれと言われて困惑していると言っていた。自分が皇帝になることは想像していなかったみたい」


 しばし三人とも黙った。


 アーデルは苦笑した。


「やる気だけならうちのディートリヒが一番強そうだな」


 リヒャルトもグレゴールも、大きな溜息をついた。


「やる気、能力、性格、民衆の支持率。何もかもちぐはぐだ。こんなことノイシュティールン民の俺が言うことじゃないと思うが、ローデリヒ殿下が生きて何もかも采配していたらみんな楽だったんじゃないか」

「それは自分も思う」

「二人とも、よしなさい。ここはハインリヒ皇子を支持するクセルニヒよ」


 はっとして兵士のほうを見た。彼らは微動だにせず正面を向いていた。

 リヒャルトにたしなめられて、アーデルもグレゴールもそれ以上何も語れなくなった。無言で城に運ばれるばかりだ。

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