第6話 聖ゲオルク修道院の化けの皮が剥がれる前 2

「では」


 グレゴールが膝を詰めた。


「カールがクラウス皇子のお子であることはお認めくださらないのか? 本物であれば、クラウス皇子こそ正統な皇帝なのだから、帝位の継承は十分ありえるかと思うのですが」


 ハインリヒは「いえ」と答えた。


「カールは本物ですよ。それに、古い人間は、評判が悪かった上に叔父上殺害の容疑がかかっている父ルートヴィヒの子の我々より、聖人君子だった叔父上とその子カールに賭けたい、と思うに決まっています。私が帝位を継承するとしたら、カールは大きな脅威です」


 不可解な話だった。なにせアーデルにとってのクラウスはチャーリー・バーニーをけしかけた大罪人である。リヒャルトにとっても、オグズ帝国をけしかけてきた大罪人だ。


「あの……、お恥ずかしい話なのですが」


 グレゴールが言う。


「実は、ヴァランダンの人間である自分も、正直、カールが本当にそのクラウス皇子の子供であるというのが信じられません。しかも、ヴォルフがいったい何をもって正統だと言い張っているのかもよくわからなくて……。自分の立場でいまさらこんなことを言い出すのはちょっと変ですが――皇帝はルートヴィヒ帝であって、クラウスが本当に皇子だったとしてもすでに継承順位は下がっているのでは……?」


 驚きの発言だった。


「もしハインリヒ殿下がカールをクラウス皇子の息子であると断言できる理由があるのなら、お聞かせ願えると嬉しいんですが……」

「おや、では逆にあなたたちは何を思ってカールを支持しているのですか」

「ロスヴァイセ様ですかねえ」


 どこかで聞いたことのある名前だった。


「ロスヴァイセ様が、ぽろりと、お腹を撫でてこの子には本当の居場所があるとおっしゃった。みんなそれをおぼえていたから、カールは大人になったらいつか本当の居場所に帰るんだと思っていたんです。それがツェントルムの皇帝の玉座だとまでは思っていなかったのですが」

「ロスヴァイセというのは、ヴァランダンの聖女ですね」

「はい」


 そこでふと、グレゴールが表情を緩めた。彼はずっと緊張していたようなので、こんなふうに優しい顔を見せるのは初めてのことである。


「先の辺境伯の長女で、今の辺境伯ヴォルフガングの姉です。ロスヴァイセ姫――荒野に咲く白い薔薇。我々みんなの宝物でした。それはそれは本当に立派な人格のお嬢様で、お優しく、お美しく、ヴァランダンの誇り、ヴァランダンの魂だったのですが――」


 はあ、と溜息をつく。


「十三年前、未婚の身で突然ご懐妊されたのです。本当に、青天の霹靂へきれきでした。清らかなみんなの聖女様だったもんですから、まさかみんなの知らないところで男とそういうことをしたんだなんて。もう本当の本当に、みんな怒り狂ったんですよ。どこの男がそんなおぞましいことを……、みんなの聖女様だったのに……」


 一人の女性をみんなで聖女だ何だと崇め奉り恋をすることすら許さない、という状況は人権侵害であり自由の国ノイシュティールンではありえない話だったが、ここで口を挟むと変な方向に話が転がっていく気がしたので口をつぐむ。そのノイシュティールンですら未婚で妊娠するのはあまりよろしい話ではないので、父権的な傾向が強いヴァランダンがどういう態度に至ったのかは想像できなくもない。


「その男がクラウス皇子だった、と?」

「まあ、自分らもうすうすわかってはいたんですよ、お腹の子の父親はクラウスなんだろうな、と」


 また話の流れが変わってきた。


「でもロスヴァイセ様は絶対に口を割らなかった。クラウスをかばって……、今思い出すだけではらわたが煮えくり返る。まあ、自分も当時まだ十歳だったんで、そこまで深く事情を理解していたわけではないんですが。幼心にうっすら、あいつが自分たちの聖女様に悪いことをした悪い奴なんだ、と」

「ちょっと待って」


 リヒャルトが口を挟む。


「あなたたちはクラウスという男が存在することは知っていたのね?」


 グレゴールが我に返った様子を見せた。


「すまん、話が行ったり来たりしてしまったな。ロスヴァイセ様のことになると冷静になれなくて」


 一回深呼吸をする。


「自分らが知っているクラウスというのは、十五年前に辺境伯ご一家が拾ってきた流れ者だ。自分もまだ八歳だったので正確なことはおぼえていないが、先代、先代の奥様、ロスヴァイセ様、ヴォルフの四人でツェントルムに出掛けて、その帰りに拾ってこられた」

「拾ってきた……」

「どうも、途中の街道で火事があって様子を見に行ったら、あいつがいたらしい。全身大火傷を負ってもがき苦しんでいたので、慌てて助けてやったんだと。で、目が覚めたら、行くところがない、もう家には帰れないというものだから、先代ご一家は憐れんで引き取られた」


 その十五年前の火事というのが、ルートヴィヒの差し金で馬車に火をつけたという話か。そうなると計算が合う。


「とにかく、すごい火傷で」


 騎士団の人間として傷など見慣れているだろうに、グレゴールは沈痛な面持ちだ。


「顔がぐちゃぐちゃなんですよ。鼻の下から顎にしか皮膚が残っていない。だからカールと顔が似ているかどうかなんてまったくわからない」


 ハインリヒが手元に口をやる。


「ツェントルムで一番の美少年だったのですが……そんなことに……」

「まあとにかく、そういう感じなんで、みんなあいつを憐れんで親切にしてやりました。それで、回復してきてもブルートの城に滞在することを許してやったんです。そうしたらロスヴァイセ様を妊娠させるというひどい裏切りにあった。もう、みんな怒り心頭です」


 そして、また、溜息をつく。


「恩を仇で返しやがって。みんなそう言っていました」

「それはそれですごい話だと思うけどね」


 リヒャルトが言った。


「十五年前当時クラウス皇子は十七歳でしょう? 十七歳で帰る家と美しい顔面を失った少年が十九で亡命先の女性と恋をした。それを国じゅうで寄ってたかって咎めたの。恐ろしい話だわ」


 グレゴールがうつむいた。アーデルは一応グレゴールをかばって「まあまあ、こいつだって当時は十歳だろう」と言っておいたが、リヒャルトが言うことが正しければ確かに人格がゆがみそうではある。


「ロスヴァイセ姫はクラウス皇子をかばって何も言わなかったんでしょう? そして十月十日大事にお腹で子供を育てて産み落とした。これがむりやり犯されたというならたいへんな裏切りかもしれないけれど、私の勘は和姦だと言っている」

「まあ……、リヒャルトの言うとおりだろうな。もしそうだったら辺境伯閣下が目に入れても痛くない愛娘を妊娠させられて平静だった理由がつかない。あの一家の中ではクラウスは自分らが思うよりもっとちゃんと受け入れられていたんだろう。だがなあ、どうも納得がいかん……」


 少しの間、四人は黙った。


 沈黙を破ったのは、ハインリヒだった。


「そのクラウスというのが叔父上なのは間違いないです。それで時系列としてはすべてつじつまが合いますから」


 それから、「顔が」と付け足す。


「カールは驚くほど叔父上に似ています。本当に、叔父上ご本人が若返って目の前に戻られたかのような」


 彼はクラウス皇子と親族として接点があった人間だ。そこまで断言するなら間違いないだろう。


「黒髪に碧の瞳にこの顔というのは、父方の、祖父から続く形質なのです。父も、叔父上も、私もそうです。この系統の見た目なのですよ。それをカールがしっかり受け継いでいる」


 確かにハインリヒとカールも似ていた。ハインリヒも整った容貌をしている。ルートヴィヒ、ルートヴィヒの弟のクラウス、ルートヴィヒの息子のハインリヒ、ルートヴィヒの甥のカール――この四人が似た顔をしていてみんな少年時代はあんな感じの美少年だったらしい。


「それに、そうですね」


 ハインリヒが、自分の手をさする。


「もし、それでもまだ疑問点がありましたら。指輪を探していただけませんか」

「指輪?」

「叔父上が指輪を持っているはずです。皇帝の指輪、という、おおぶりでツェントルム王室の紋章が刻印されている指輪です」


 思わずリヒャルトと顔を見合わせてしまった。

 あの、カールが持っていた指輪だ。

 カールが確かに指輪を持っている。

 しかも、クラウスから貰ったと言っていた。


「叔父上が持って逃げたとされています。叔父上がそのクラウス氏と同一人物なら、彼が指輪をヴァランダンに持ち込んでいる可能性が高い。もしかしたらすでにカールに受け渡しているかもしれません」


 背中がぞくりと震えたが、極力平気な顔をした。


「あの指輪は、帝冠よりも優先されます。あの指輪の持ち主こそ、正統な帝位継承者の証。ツェントルムの聖職者は、指輪がない者を正式な皇帝として認めません。つまり、父ルートヴィヒは、ツェントルムの一部界隈では今もまだ皇帝として認められていないのです」


 ハインリヒの目は、真剣だった。


「クラウス氏が自分の息子こそ正統な皇帝であると言い張っているのは、その指輪を息子に持たせているからに違いないのです」

「ええ……」

「そうしたら、私は皇帝になる前に、カールの指を切断して指輪を奪い返すことから始めないといけない……」



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