第3話 盗聴されるかもしれないので……
迎賓館の二階が客室になっているのだそうだ。
そのうちの一室がグレゴールにあてがわれていて、彼はかれこれもう三日ほどここに滞在しているらしい。
客室は二間続きになっている。中に入るとまず応接間がある。続きの扉が開け放たれていて、その向こう側は寝室になっているらしく、大きなベッドが見える。
近衛兵たちが扉を閉め、中にグレゴール、アーデル、リヒャルトの三人だけになった。
途端、この部屋の主であるグレゴールがまずはじめにソファに腰をおろした。
背もたれに寄りかかるようにして脱力し、大きな息を吐く。どうも張り詰めていたようである。
「すまん。貴殿らも適当に座ってくれ」
そう言われて、アーデルはグレゴールの向かいのソファに座った。そのアーデルの隣にリヒャルトも腰を掛ける。
「疲れ果てた……」
素のグレゴールが出てきたような気がする。急に人間味が増してきた。悪い傾向ではない。
「よくぞ来てくれた。待ちわびていたぞ。四大国の他の三国からもひとを呼んでいると聞いてどれだけ勇気づけられたことか……自分一人でゲルベス城に行くことになったら耐えられなかった」
リヒャルトが身を乗り出す。
「ちょっと、ゲルベス、普通の都市の空気ではないわね。雪の日のグリュンネンでももう少しひとけがあるわよ。心からブラウエに帰りたい。言っておくけど、グルーマン兄弟一の豪胆で知られたこの私がこんなにびびるなんてそうそうないから、すごく大変なことになったと思ってね」
平静を装っていたが、リヒャルトもこの街の異常を感じて心中穏やかではなかったようだ。アーデルはちょっとだけ安心してしまったが、単純に安心していい状況ではない。
「ヤバすぎる」
アーデルも断言した。
「何が警護だ、奴らがやっていることと言ったら俺たちの監視だろう。これは市民も徹底的に管理されていると見たぞ。みんなたぶん家から出られない状況なんじゃないか。それも全部自分の国の民衆の実情を知られたくなくて国家主導でやっている気がする。あまりにも完璧すぎる」
「私もそう思う」
「自分もだ」
三人揃って頭を抱えた。
「連中、盗み聞きするのにも良心が痛まないのではないかという気がするんだ。だから特別な談話室や会議室ではなくこの部屋にお呼びした。突然のことですまなかった。だが、本当に、どこで何を話すのかたいへん気を遣う」
グレゴールの言葉に、アーデルもリヒャルトも頷いた。
「自分はここで過ごすのは三日目なのだが」
グレゴールがソファの肘掛けに頬杖でつく。
「夜になると外から悲鳴が聞こえてくるんだ。お許しください、お助けください、とな。自分はそれを誰かが憲兵か何かに殴られているのではないかと思っているんだが、窓ははめ殺しになっていて開けられないし、外出も禁じられているから、確認に行けない。頭がおかしくなりそうだ」
アーデルだったらとうに発狂していそうである。
「監獄みたいだな……」
こんなおぞましい場所にエーレンを連れてこなくてよかった。
「逃げ帰りたいが、クセルニヒの国の許可なしに乗船券を買うのが難しそうでな。ヴォルフの面子を潰すわけにもいかんしなあ。ただひたすらノイシュティールンやクセルニヒからまっとうな人間が来てくれますようにと祈るばかりの時を過ごした」
「あら、私たちがご期待に応えられる人間であればいいのですが」
「リヒャルト、お前、そんなことを言ってる場合じゃないぞ。俺たちはこんなところにあと二週間もいないといけないんだぞ」
「それもバルトロメオの言うとおりになったら、なのよねえ。イルマ女王がごねれば、何週間だって、何ヵ月だって」
鳥肌が立った。
「こんなすごいところに住んでいるとああいうお姫様が育つ。恐ろしいわ」
口ではそう言っていても冷静そうに見えるリヒャルトがうらやましい。見習うことにする。
「この国はいつからこんな調子なんだ」
「知らん。だが噂に聞き及んでいる限り自分らが子供の頃、つまり先の女王の時代はもうちょっとマシだったように思う」
「まあ、前々からちょっと挙動の怪しい国だとは言われていたみたいだけどね。島国だから、大陸側の私たちの国とはちょっと勝手が違う、と父から聞いたことがある」
「そうだなあ、海が
三人で溜息をつく。
「さすがのイルマ女王も皇帝選定はもうちょっと考えていると思いたいけど……一応ハインリヒ皇子を立てると言っているじゃない? 皇帝が即位するまでには帰れる、たぶん」
「それじゃ世間が夏になってる……俺はあと半年もこんなところにいたくない、一刻も早く帰ってエーレンに会いたい」
「自分もブルートに帰ってビールを飲みたい、こんなところでは安心して酒が飲めん」
ブルートはヴァランダンの首都だ。ヴァランダン平野の真ん中にある城郭都市らしい。行ったことがないので具体的にどんなところかはわからないが、グリュンネンのように川が流れていると聞いた。
「幸か不幸かこうして三人愚痴を言い合えるメンバーには恵まれたということで、なんとかやっていきましょう。どうせ帰れない。一蓮托生。死なばもろとも」
「不吉なことを言うな」
リヒャルトがソファの背もたれに背をつけて「やれやれ」と言う。
「どんなパーティかは知らないけれど、ハインリヒ皇子と会話できる機会があるといいなあ。ジークにどんな奴だったか報告しなければ。必要があればザイツェタルクはハインリヒ皇子に手を貸すという話も軽く振ってみて反応を見てみたい」
こうもはっきり手の内を明かすとは思ってもみなかった。だが冷静に考えれば、ザイツェタルクはディートリヒとハインリヒのどちらかを選ばないといけないので、当然と言える。ハインリヒはここゲルベスにいるのだから、面会するためにはここでどうにかしないといけない。
アーデルは言葉に悩んだ。
自分はノイシュティールンの人間だ。そして、ディートリヒの母親もノイシュティールンの人間である。だから、ディートリヒを支持すべきだ。
理論的にはそうなのだが、双子はディートリヒが好きではなかった。
もっといえば、ディートリヒの母親のツェツィーリエを信用していなかった。
ツェツィーリエはディートリヒを完全に支配している。
ディートリヒが他者に高圧的に出るのは、普段ツェツィーリエがディートリヒにそういう態度で接しているからだ。
あのゆがんだ親子関係は触れたくないほど強力で、そう簡単にどうこうできない。
もしフレットとツェツィーリエが反目し合った場合、皇帝の母として絶大な権力を握った皇太后ツェツィーリエは、究極的には臣下である大公をどう扱うのか。皇帝ディートリヒの名のもとに排除しようと試みるのではないか。皇帝は皇太后に逆らわないのではないか。
それを思うと、母親がすでに死んでいる、外戚らしい外戚はイルマしかいないハインリヒはもう少し扱いやすいかもしれない。
おまけに、双子はレオを可愛がっているので、レオにちょっかいを出すディートリヒの悪行に怒りを感じていた。
レオはノイシュティールン民全員が愛する国民の妹だ。ディートリヒがレオに何をしているか知れば民衆がまたディートリヒ不支持のデモ活動をするだろう。双子もまたその民衆のうちの二人なので止めはしない。
「その件なんだが」
グレゴールが難しい顔をした。
「自分が貴殿らに頼むのも変な話なんだが……、道義的に言えばヴォルフがジギスムント王やフリートヘルム大公に頭を下げるのが筋なんだが。どうか、カールに譲ってやってくれないだろうか」
意外な発言だった。こんなふうに下出で頼まれるとは思っていなかった。
「一介の騎士であり、階級はさほど高くない自分が言うのは、おかしな話なんだが」
彼は自分の眉間を揉んだ。
「カールはいい子なんだ。本当にいい子なんだ。自分らはカールのためにここまでやってきた。カールになんとか日の目を見てほしいんだ」
そして、また、深い溜息をつく。
「あんな父親に振り回されなければもっと幸福な人生もあったかもしらんと思わないでもないが、そのおかげで帝冠をかぶれるかもしれないとなれば、ヴァランダン騎士団としてはいろいろ思うところがある」
何と声を掛けていいのかわからず、しばしの間沈黙していると、外から戸をノックされる音がした。
「お時間でございます。お三方、城に上がられませ」
胃が痛くなってきた。
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