第11話 俺の発言を公的記録に書け

 チャーリー・バーニーは、逮捕されてからこのかた、ブラウエの街の地下にある牢屋に拘束されているらしい。


 彼の悪行三昧はブラウエのみんなが知るところなので、誰がどう考えても近々絞首刑になるに決まっている。

 しかし、ノイシュティールンには法律というものがあるので、昨日の今日ですぐ処刑というわけにはいかないのである。

 法治国家として形ばかりといえど取り調べと裁判があるのだ。


 この取り調べに、レオも参加させてもらえることになった。


 本来は弁護士でも官僚でもないレオが同席していい場ではないのだが、チャーリー・バーニーがどうしても会いたいと言っているらしい。


 ノイシュティールンの最高裁判所の裁判長は国家元首たる大公である。レオ自身は帰宅してからまだ一回もフレットと直接顔を合わせていないが、取り次ぎをしているエーレンがフレットから面会の許可が出たと言った。


 レオは一も二もなく意気揚々と街の地下牢に出かけていった。


 できることなら顔面に唾を吐きかけてやりたい、というのは気持ちだけでロイデン人貴族としての振る舞いではないので自重するだろうが、そんな感じの気分である。


 地下牢にたどりつくと、地下におりる階段の手前、地上入り口付近に、なんとフレットがいた。


「やあやあ、ご機嫌うるわしゅう、我が最愛の妹よ」

「よくもいけしゃあしゃあと」


 レオがフレットの胸倉をつかむと、双子が「まあまあ、まあまあ」とレオをなだめにかかった。


「うむ、元気そうで何よりだ」


 フレットは相変わらずへらへらしている。


「積もる話はまたあとで」

「僕は知っている、兄上はいつもその場しのぎでそう言って結局何の話もしてくれないことを」

「さすがに十八年もの付き合いになると私の手口を理解している」

「だいたい積もる話とは何だ、兄上はいまさら僕に何の話をしたいとおおせか」


 このまま殴りかかってやりたい気持ちも大いにある。

 だが、それではエーレンの顔を潰すことになる。


 今、フレットとレオは一対一ではない。双子、警官、親衛隊といった大勢の人間が二人のやり取りをはらはらした顔で見つめている。双子はともかく、市民にこれ以上の心労はかけさせたくない。


 手を離した。


 次の時、フレットはふわりとレオを抱き締めた。


 耳元でささやいてくる。


「私は知っている、お前はこの兄が大好きだということを」


 それでもなお踏みにじってくる兄は人格に問題があると思うが、それでもすべては彼の言うとおりで、レオの世界の中心にはこの兄がいる。


 末っ子というものは、上のきょうだいに嫌われたら生きていけないのだ。

 ぐっとこらえて、おとなしく言うことを聞いたほうがいい。


「そう思うのならばもう少し僕を丁寧に扱え」

「近々ザイツェタルク王に引継ぎをするので、その時に申し送りをしよう」


 フレットの大きな手がレオの後頭部を撫でた。それだけですべて許してしまいそうになるから反則だ。


「では、チャーリー・バーニーに会いに行こうかね」


 そう言って、フレットは体を離した。

 そして、階段のほうを見た。


 レオは唾を飲んだ。


 地下牢の存在は昔から知っていたが、中に入るのは初めてだ。


 取調官の先導で階段をおりていく。


 薄暗く、肌寒く、酸っぱいにおいがする。


 ごつごつとした大岩の石組みの壁は湿っぽく、指先で触れるのもためらわれた。鉄でできた手すりをしっかり握り、踏み段をゆっくり踏み締めた。


 地下牢はさほど広い空間ではなかった。

 聞いたところによると、ここは裁判を待つまでの仮の収容施設で、しかも特別な凶悪犯や政治犯だけが入れられるところなのだそうだ。ここに入った人間はだいたい死刑判決を受け、そう時を置かずに処刑台にのぼることになる。


 しかし、声が反響する。

 救いを懇願する声、出せと怒鳴る声、神に祈る声――いろんな声が地下の天井に響いて、不快な音の集合体になっている。


 階段をおりてすぐのところにある小部屋に案内された。


 部屋の中は机と椅子のほかに何もなかった。その机と椅子も何の飾り気もない簡単なつくりのもので、ここが長く滞在するための場所ではないこと、また高貴な身分の人間が出入りする場所ではないことを暗に示していた。


 椅子は机のあちらとこちらに一脚ずつしかない。

 フレットはレオに座るように言った。フレットは双子や親衛隊の皆と一緒に立って見守るつもりらしい。


 ややして、牢番が一人の囚人を連れてきた。


 チャーリー・バーニーだ。


 お気に入りの帽子とコートをぎ取られ、灰色の囚人服を着せられ、両方の手首には手枷を、左の足首には鉄球付きの鎖をつけられていた。チャーリー・バーニーが歩くたびに、足首の鉄球がごろごろと音を立てる。


「レオちゃん! レオちゃんじゃないか!」


 レオの顔を見るやいなや、彼は今にも泣きそうな情けない声でレオの名を呼んだ。飛びかかりそうな前のめりの姿勢を警戒して、周りに立っている官吏たちが身構える。


「助けてくれ! 俺は悪い海賊じゃないってみんなに言ってくれ!」

「海賊にいいも悪いもあるか!」


 反射的に怒鳴ったレオに、チャーリー・バーニーは涙を浮かべた。この男は何がどこまで本気なのかわからない。案外本当に精神が子供なのかもしれない。


「でも、レオちゃんに意地悪はしなかったじゃねェか」

「僕の目の前で何人が死んだと思っている? 何十人、いや三桁になると思う」

「まあ、そうだけどなァ」


 牢番がチャーリー・バーニーを椅子に座らせる。チャーリー・バーニーが背もたれにふんぞり返って露骨にふて腐れた態度を見せる。


「で、僕に会って話したいこととは何だ? 僕も貴様に聞きたいことがあるが、冥途めいどの土産にまずはお前の話を聞いてやる」

「冷てェなァ、あんなに長い間一緒に過ごしたのにィ」

「そうだな、三泊四日貴様に監禁されて過ごした。一生恨んでやるから喜んで死ね」


 レオの舌鋒ぜっぽうに負けたチャーリー・バーニーがうなだれた。


「最後の審判の日のこと、おぼえてるか?」


 レオは体を固くした。確かにそんな言葉も口にしていた。前後に衝撃的な出来事が多すぎて頭から抜けていた。


「忘れてたって顔だぜ」


 隣に立っていた取調官が「何だそれは、聞いとらん」と怒鳴ったが、フレットが「まあまあ」と止める。


「最後の審判の日のことを、伝言ゲームではなく、ノイシュティールンの偉い人に直接聞かせてやりたかった。それが俺なりの復讐だ」

「復讐とは? 誰相手に」

「依頼主だ。俺たちに大砲を買う金をよこした一見のご新規様だ」


 胸の奥が、ざわつく。


 先ほどの泣き顔とはすっかり別人の顔で、チャーリー・バーニーが冷静な低い声を出した。


「近いうちにクセルニヒでドでかい花火が上がる。上げるのはクセルニヒ市民だ。その市民に思想を輸出している連中がいる。ブラウエ大学の哲学者たちだ。しかしこの哲学者たちはわざと国を掻き乱したいわけじゃねェ。連中は純粋にクセルニヒの腐った政治を心配してる。でも、クセルニヒの風紀警察に捕まったらえらいことになる。ノイシュティールンがクセルニヒの内乱を支持していると思われる、違うか?」


 一同が微動だにせずチャーリー・バーニーを見つめている。


「ザイツェタルクにも波及するかもしれねェ、なにせまともに王権が機能してるのはロイデン帝国でザイツェタルクだけだ。クセルニヒ市民の敵は王権そのものだからな」


 レオは渇く喉を震わせて問いかけた。


「具体的には、何を?」

「さあな。そこまではわからねェ。俺だけじゃねェ。たぶん誰にも。とうのクセルニヒ市民ですら、自分たちの行動に自覚的じゃァねェだろう。最後の審判の日は、突発的に、散発的に、誰も予想しなかった形で来る。だが、必ず近いうちに来る。それも絶対、皇帝が決まる前に」


 そして、彼は唇の端を持ち上げた。


「荒れ果てた野に立つのはきっとカール坊やただ一人だけだ」


 予想だにしていなかった人名を聞いて、背筋に鳥肌が立った。


「クセルニヒは滅亡する。そしてロイデン帝国に新時代が来る」

「カールというのは、先帝ルートヴィヒの甥っ子で、クラウス皇子の息子で、ディートリヒ殿下の従弟の……あの?」

「そうだ」

「なぜ、彼が」


 そこでたっぷりもったいつけてから、彼は言った。


「俺に大砲を買わせたご新規様は、クラウスと名乗った。クラウスなんて名前の男はロイデン人にごまんといるが、長いさらさらの黒髪に、エメラルドのようなあおい目、そして顔面に醜い火傷のあとがある三十歳前後の男となれば、特定できねェかな?」


 止まっていた時が動き、周りにいた男たちがざわつき始めた。


 チャーリー・バーニーは、笑っている。


「クラウス皇子め。自分では氏素性を隠し通せたと思ってやがるんだろうが、俺はお前を地獄に連れてくぜェ。ノイシュティールンのお役人さんたち、今の俺の発言を公的記録に書いといてくれよなァ」




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