第8話 ロイデン帝国を代表する騎士

 チャーリー・バーニーが「ひェッ」と声を上げて操舵輪にしがみついた。

 それに近づきつつジークが背負っていた大剣を抜いた。


 ジークの剣は古き良きロイデン騎士のための長剣で、ドラゴンでさえ斬り倒せそうなほどに立派なものだった。ザイツェタルク王室は二言目には金がないと言うので、きっと若き王のために新調したものではなく父祖伝来の宝剣を研いで使っているのだろう。やはりザイツェタルクには長い歴史に裏打ちされたかっこよさがある。


「腰の剣を抜け、自称大海賊」


 ジークが低い声でそう言うと、チャーリー・バーニーはおどおどと周囲を見回した。このあたりに自分しかいないことを確認してから、覚悟を決めた顔で操舵輪から離れ、腰にさげていた剣を抜く。


 チャーリー・バーニーの剣はどこかから奪ってきたものに違いなく、立派な鞘ごしらえに宝石があしらわれた鍔の剣だったが、いざ抜いてみると刃こぼれしている。鍛冶屋に見せていないのは明らかだ。ジークの長剣と比べたら見劣りする。


「やってやろうじゃねェの。俺はロイデン海一の海賊団の頭領だぜェ、ここで潰されてたまるかよ」

「行くぞ」


 次の瞬間、ジークは一足飛びでチャーリー・バーニーの間合いに入った。すさまじい脚力、すさまじい俊敏性だった。

 チャーリー・バーニーは驚いた顔をしつつも剣を構えた。さすがの彼も歴戦の猛者なので、ジークの殺気をちゃんと感じ取っている。


 ジークの剣とチャーリー・バーニーの剣がかち合った。

 金属音が海に鳴り響いた。


 背はチャーリー・バーニーのほうが高い。腕はチャーリー・バーニーのほうが長いだろう。

 しかしそのハンデもものともせず、ジークはチャーリー・バーニーを攻めた。

 チャーリー・バーニーは防戦一方だ。ジークの剣を受け止めていられる分多少の手練れなのは間違いないが、いつになく真顔で、焦っているのは明白だった。


 ジークの気迫は今までの内気な彼からは想像もつかないほど強く鋭い。彼の並々ならぬ怒りと自己の剣の腕への信頼感の表れだ。


 ジークは、強い。


 騎士の国ザイツェタルクの王を父とし、騎士の中の騎士グルーマン侯爵に育てられた、経験。


 そんなジークが秩序も知識もない海賊ごときに負けるはずがない。


 チャーリー・バーニーは船の端まで追い詰められ、腰を手すりにぶつけた。

 もう逃げられない。


 ジークが剣を横に薙いだ。

 彼の腕力と剣の硬度に負けたチャーリー・バーニーの剣が、身の途中でまっぷたつに折れた。


「ヒッ」


 叩き折られた剣を見つめて、チャーリー・バーニーが蒼い顔をした。


 ジークの蹴りがチャーリー・バーニーの腹にめり込む。


 ジークは、その場にうずくまったチャーリー・バーニーの頬に切っ先を向け、ほんの少しだけ刺すように当てた。

 チャーリー・バーニーの頬から、わずかながら血が流れた。


「こ、こ、殺さないでくれ」


 体を丸め、震えた声を出すチャーリー・バーニーを、息も上がっていないジークが冷たい目で見下ろしている。


「ここでは殺さない」

「やったー」

「ノイシュティールンの法に則って後日ゆっくり絞首刑にしてやる」

「ひえー」


 船乗りたちが拍手や指笛を鳴らした。


 どこからともなくジークの子分のリヒャルト・グルーマンが現れ、チャーリー・バーニーを縄でぐるぐる巻きにした。チャーリー・バーニーが「ひどい、ひどい」とうめいた。


 ジークが剣を背中の鞘に納めた。


 いつの間にか、海賊船の上の戦闘は終わっていた。暴れる海賊はみんな海の中に放り込み、下った海賊はみんな捕縛したものと思われる。甲板の上に血まみれだが生きている海賊たちが整列してしゃがみ込んでいて、泣いたり命乞いをしたりしていた。


 ザイツェタルク騎士団の若者たちの、技術と経験の勝利だった。


 ノイシュティールンの船乗りの一人が、先ほどチャーリー・バーニーがしがみついていた操舵輪を操作して、海賊船を動かし始めた。彼には操舵手そうだしゅとしての経験があるのだろう。海賊船は危なげなく発進した。


 ジークはチャーリー・バーニーをリヒャルトに託して商船のほうに飛び乗ってきた。


 胸のすくようなジーク対チャーリー・バーニー戦を見物していたレオは、ジークに駆け寄り、興奮してうわずる声で「やったな!」と声をかけた。


「すごい! お前、強かったのだな!」


 そう言うと、ジークの表情がやっとやわらいだ。強張った怖い顔から、いつもの無表情に戻っていく。


「レオ、あの」


 先ほどの勇猛果敢な騎士の気迫はなりをひそめ、見慣れた気弱な青年の小さな声が聞こえてくる。


「あの。俺、その」

「何だ?」

「俺。か。かっこよ――なんでもない」

「あーはいはい! かっこよかったぞ! 素晴らしかった! お前はロイデン帝国を代表するザイツェタルク騎士だ!」


 ジークの耳が真っ赤になった。

 どうやら見栄を張ってかっこつけたところを見せたかったらしい。

 そんな彼の健気さを、レオはついつい笑ってしまった。


「まあ、無事そうでよかった」


 しかし、歯を見せて笑うレオをジークは叱らなかった。


「そんな大きな声を上げてげらげら笑っていられるほど元気なら、俺の苦労は報われた」


 下品に堂々と笑うレオを見て、苦労が報われたと言ってくれる。

 彼は、レオに、上品で物静かな令嬢の態度を求めていない。

 剣を携えて戦いに来た騎士であっても、救う対象はお姫様ではない。


 涙が出てきた。


 目を潤ませたレオを見て、ジークが慌て出す。


「どうした? やっぱり何か嫌なことがあったのか?」

「違う。嬉しくて」


 目元を押さえる。


「嬉しくて……。お前は僕の身柄だけでなく心も救ってくれた」


 ジークはなおも不安そうな目でレオを見ている。そんな目をされると申し訳なくもなるが、彼は黙って見守ってくれているので、甘えて泣き続けた。


「僕、お前との結婚が決まってよかったな」


 そう呟くと、ジークはおそるおそる手を伸ばしてきた。

 ゆっくり、ぎこちない手で、レオの頭を撫でる。

 他の人間にやられたら不快感で振り払っていただろうが、ジークに撫でられるのは無言で受け入れた。


 少しして冷静さを取り戻してから、ジークに問いかける。


「しかし、どうしてお前がここに? まさかお前が助けに来てくれるとは思わなかった。兄上が軍隊を組織してくれるまで待たねばならないと思っていた」


 ジークが「あー」と呟くように言う。


「最初はこんなことになるとは思っていなかったんだ。まず、去年の暮れにエヴァンジェリン様から新年の祝賀パーティの招待状が届いて」


 いまさら母のたわごとを思い出して、レオも「あっ」と声を漏らした。


「ただでノイシュティールンの宮廷料理が食べられると言ったら、騎士団の若い連中が行きたいと言い出して。俺も一応王だから護衛が必要だったし、おじさん連中もいい経験だからと言って若い連中に旅に行くのを許可してくれたんだ。まあ、ノイシュティールンのパーティで花嫁探しをするという下心のある奴も何人かいたり――いや、それはいいんだが、とにかく最終的に十五人になった」

「なるほど」

「さすがにただで飲み食いして宿泊費も出してもらうというんじゃ申し訳ないから、少しは労働もしようということになって。前にレオが海賊で困っていると言っていたのをおぼえていて、それで、海賊討伐を手伝うことに決めて。だから、軽めの武装を」


 ありがたい限りだった。


「まさかこんなことになるとは思っていなかったから、途中で慌てて近くの地域に騎士見習いとして出ている奴や剣を極めるために諸国を漫遊している奴も呼んだら、全部で十九人になった。で、しょせん素人のごろつき集団だから、一人頭五人から十人程度の相手なら倒せるとふんで、船に乗った。あとはお前も見ていたとおりだ」

「助かる!」


 ジークに飛びつき、抱き締めた。ジークは困惑した声で「やめろ、みんな見ている」と言ったが、手をぶるぶる震わせながらレオの背に回してきた。


「ザイツェタルクは内陸国だから水の上に出られるような訓練をしているとは思わなかった」

「ザイツェタルクは風が強いから湖の波も荒いんだ。水場の争奪戦も、ザイツェタルクではよくある話だしな。みんな着衣のまま泳げるし。もちろん俺も」

「すごくかっこよかったぞ!」


 レオがそう言うとジークはいよいよ黙った。感極まって言葉が出てこなくなったものと見える。


 船乗りたちにチャーリー・バーニーを引き渡したリヒャルトが歩み寄ってきて、「いちゃいちゃするのはまた後で」と微笑んだ。


「とにかく、陸に帰りましょう。みんな心配しているわよ」

「はい!」


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