第7話 海の上、湖の上

 さらに二日おいた、レオが拉致されてから四日目の昼前のことだった。


 また海賊船に攻め入る団体が現れた。

 今度は船乗りたちだ。

 ブラウエ港を拠点に活動する商船の乗組員たちが、最新鋭の大型船に乗って迫ってきたのである。


 昨日今日と、レオは昼の間マストにくくりつけられている。したがって港からもレオの姿が見える。大公家の娘が冷たい冬の空気にさらされているのを知らしめることで、ブラウエ市民の怒りを煽るのと同時に、生きていることもアピールできるという寸法だ。

 逆にいえばレオからも港の様子が見えるということで、レオは波止場はとばでレオの不遇に嘆く民衆の姿を見ては胸を痛めていた。


 そんな中登場したのが船乗りたちだ。


 彼らは船で海賊船に体当たりするかと思うほど迫ってきた。


 当然海賊たちは大砲で迎撃しているが、勇敢な船乗りたちはその程度ではひるまない。かといって向こうは商船なので反撃もできないのだが、甲板の船乗りが何人倒れようとも気にせずに突っ込んできた。


「すごいねェ、これがブラウエの男たちの意地かね」


 チャーリー・バーニーは感心した様子でそう言いながら、剣を抜いた。その周りで、部下の海賊たちもそれぞれ剣を抜く。


「まあ、接近させて乗せてやんなさい。どうせ四、五十人だろォ? あっちゅーまよ、あっちゅーま」


 チャーリー・バーニーの隣で、セザンヌも言う。


「うちらの新しい船だと思ってもいいしねえ。乗っ取っちまうのはどうだい? あたいはこのおんぼろ運命の女神フォルトゥナ号にはそろそろお別れを告げたいよ」

「いいねェ、第三運命の女神フォルトゥナ号。ノイシュティールンで建造された綺麗な船だァ」


 どうやらチャーリー・バーニーは自分が乗っている船は全部運命の女神フォルトゥナ号と名付けているらしい。


 海賊船の右舷に、商船の左舷が軽くぶつかった。チャーリー・バーニーが指笛を吹いた。


 鉄の棒を握った船乗りたちが、海賊船に飛び乗ってくる。海賊たちがそれを迎え撃つ。


 レオは身をすくませた。


 だが、目を逸らしてはいけない。彼らはノイシュティールンを守るために身をして戦いを挑んできたのだ。それをノイシュティールンの代表者である国家元首の妹が見届けなくてどうする。


 確かに、彼らは船の揺れに慣れている。

 しかし、戦闘員ではない。

 酔って取っ組み合いをするくらいなら日常茶飯事ではあるが、基本的には積荷を守るための簡単な訓練しか受けていないはずだ。


「どうして兄上を待たない!?」


 レオが叫ぶと、船乗りのうちの一人が叫び返した。


「悠長に徴兵してるうちにこいつらが何をしでかすかわからん! 軍隊は一朝一夕では集まらねェ!」


 彼の言うとおりだ。ブラウエの外から人間を集めるとなれば、移動どころか召集の声を届けるだけでも時間がかかる。常備軍のないノイシュティールンの弱点だ。ひとたび団結すればそれなりの戦力になるが、ノイシュティールンにおいて戦争は一日二日で始めるものではない。


 船乗りたちが海賊の猛攻にひるむ。その一瞬の遅れが命取りで、甲板はまたもや血に濡れた。


 このままでは、みんなやられてしまう。

 それでも、レオには何もできない。


 歯を食いしばった、その時だった。


 海賊たちの間から、悲鳴が上がった。


 海賊たちが、こちらのほうに向かって逃げ惑い始めた。


 何が起こったのだろう。


「引け!」


 若い男の怒鳴り声が響いた。


 その声を聞いた途端、船乗りたちが一斉に自分たちが乗ってきたほうの船に向かって駆け出した。


 船乗りたちの間を掻き分けて、逆流するような形でこちらに走ってくる者たちの姿が見えた。


 レオは、「あ」と声を漏らした。


 若い男たちだった。

 大半の者は金の髪にみどりの瞳をしている青年で、筋骨隆々とした体躯に、革でできた簡易な防具をまとっていた。

 足並みが揃っている。統率されることに慣れた、号令に対して一糸乱れぬ動きを取ることのできる集団だ。


 総勢二十名ほどであろうか。

 彼らは、甲板に二列に分かれて並ぶと、それぞれ、剣を抜いた。磨き抜かれた刃の剣だった。


 セザンヌが「どうして」と呟く。


「あれは――」

「ザイツェタルク騎士団……!」


 チャーリー・バーニーが初めて笑みを消した。


「構えろ!」


 レオから見て右端に立っていた青年が、そう号令をかけた。


「かかれ!!」


 右端の青年が――まっすぐで黒い、目にかかるほど長い前髪の狭間から、燃えたぎるような怒りに満ちた紫の瞳を見せている青年が、揃えた指の先をまっすぐこちらに向けて、声を張り上げた。


 海賊たちが「ひえ」「ぎえ」と叫びながらマストの向こうへ逃げ出した。

 その背中に、騎士の青年たちが一斉に襲いかかった。


 ザイツェタルク騎士団は本物の戦闘集団だ。まして先のオグズ戦を生き残った者たちが人を斬れないわけがない。


 対する統率のとの字も知らない海賊たちに連携した行動は取れない。


 あっという間に形勢が逆転した。


 ザイツェタルク騎士たちの驚嘆するほどの剣技を前に、海賊たちはなすすべもない。


 まっすぐの黒髪に紫の瞳のザイツェタルク騎士――ジークが、こちらに駆け寄ってきた。


 チャーリー・バーニーが操舵輪そうだりんのほうに走っていく。


 ジークは、チャーリー・バーニーが走り去ったのを確認したあと、レオをマストに縛りつけている縄を、短剣で切りつけた。三度切りかかったところで縄が解け、地面に落ちた。


 解放された。


 次の時だ。


 ジークが、腕を伸ばした。


 ぎゅ、と、包み込むように、それでいて抱き潰すかのように強い力で、抱き締められた。


「よかった」


 彼が呟いた。


「生きている……よかった」


 レオは、港湾管理局に砲弾を撃ち込まれてから初めて、ほっとして胸全体から息を吐いた。


「助けに来てくれたのか」


 ジークの背中に腕を回す。さするように撫でる。


 ぬくもりに、安心する。


「細かいことはまた落ち着いたら。とにかくここを脱出しよう」


 体を起こしてわずかに離れる。


 目と目を合わせる。


 紫の瞳が、頷いた。


「持っていけ」


 そう言って、ジークは先ほど縄を切り落とすのに使った短剣をレオに持たせた。


「僕に戦えと言うのか」

「そうだ」


 レオは目を丸くした。


「大学生は決闘ぐらいできるんだろう?」


 それを聞いて、思わず笑ってしまった。


「いや、本気じゃないぞ。護身用だ。最悪の時にお前が自分の身を守れる程度でいい」

「わかっている」


 それでも、剣を持たせてくれることが嬉しかった。

 ジークがレオに求めているのは姫君であり花嫁である女の子ではない。最悪の時に自分の身を守る程度の蛮勇さはあると思われている。それが、とても、心地よかった。


「いざという時にはどうにかなる。双子に剣の腕を鍛えられたからな」

「頼もしい」


 マストから離れ、右舷に向かう。そこに船乗りたちと騎士たちが乗ってきた商船がある。船乗りたちが「早く、早く」と言いながら手を伸ばしてくれた。


「念のためついていてやってくれないか」


 ジークがそう言って振り返ると、いつの間にかついてきていたらしい少年といってもいいほど若い青年が「はい、陛下」と頷いた。くしゅくしゅの黒髪にザイツェタルクによくいる翠の瞳はグルーマン一族の証で、当主であるグルーマン侯爵の六人もいるという息子のうちの誰かだろう。


 グルーマン家の息子とともに、商船に飛び乗る。船乗りたちが歓声を上げる。


 助かった。


 腰が抜けた。その場に座り込んでしまった。騎士の青年に「大丈夫ですか」と問われたので、力ない声で「大丈夫だ」と答えた。


「ジーク、お前は?」


 振り向いて彼のほうを見ると、彼は怒りに燃える目で答えた。


「チャーリー・バーニーを捕まえる」

「できるのか!? 船は揺れるぞ!」


 いまさらながらそう叫んだ。

 ジークはすぐに返事をした。


「ザイツェタルク騎士団が何のために湖で訓練していると思っている? 俺は水の上でも戦える」


 船乗りたちがふたたび歓声を上げ、応援の言葉をかけた。ジークが船の揺れをものともせず操舵輪のほうへ走っていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る