第6話 夢見るチャーリー・バーニー

 これは立派な外交問題だ。


 海賊が暴力的で非道徳的な犯罪者集団である、というような枠を超えている。


 彼らの背後にはクセルニヒがついている。


 彼らは、ノイシュティールンでは違法だが、クセルニヒでは合法的な存在だ。


 これは、ノイシュティールンとクセルニヒの戦争なのだ。


 そうとなればノイシュティールン公女という公人である自分がめそめそと泣いている場合ではない。

 ノイシュティールンの代表者として、クセルニヒを代表しているも同然のチャーリー・バーニーと渡り合うべきだ。


 レオは恐怖と不安で崩れ落ちていた自分を叱咤し、奮い立たせた。


 時刻は夜を迎えていた。船室の窓から見える雲の切れ間に星が輝いていた。この雲は南の山のほうへ流れていってザイツェタルクに雪を降らせる。


 自分はザイツェタルク王妃でもある。ザイツェタルクとクセルニヒも戦争になりかねない。否、普通に考えたら戦争だ。ザイツェタルクがクセルニヒに宣戦布告をしてもいい状況だ。


 うまく立ち回らなければならない。


 相変わらず縄で縛り上げられている状態の情けない恰好だったが、レオは令嬢らしくつんと澄ました顔でチャーリー・バーニーとセザンヌを見つめた。


 チャーリー・バーニーとセザンヌは、今はレオの目の前で昨日港で略奪したワインを飲んでいる。二人とも「うめぇ、うめぇ」とうめいているだけでレオには気を払っていない。


「チャーリー・バーニー」


 名前を呼ぶと、彼が振り返った。セザンヌも一緒にレオのほうを見る。


「クセルニヒ女王に大砲を買わせたのか。ブラウエにぶち込むための鉛玉をくれと言って国家予算から出してもらったのか?」


 チャーリー・バーニーとセザンヌが顔を見合わせる。


「イルムヒルデはどこまで計算している? ディートリヒ皇子を武力で除いてハインリヒ皇子を帝位につけようと画策しているのか。僕が思うに正気の沙汰ではないのだが」

「まあ、イルマちゃんが正気の時なんかあったことある? って感じではあるが」


 確かに、彼女はいつも狂気の中にいるイメージがある。チャーリー・バーニーの人物評は間違っていなさそうである。


「どこまで話してもいいもんかね」


 その言葉には、レオはちょっとした違和感を覚えた。チャーリー・バーニーにもなんらかのためらいや計算違いがあるのではないか。


「正直に話そう。俺は正直者で嘘がつけない男なので素直に公女様に相談するというのもテではある」


 セザンヌが呆れた様子で「何言ってんだい」と溜息をついたが、チャーリー・バーニーはここぞという時には部下のセザンヌの言うことを無視することがわかってきた。一見セザンヌに振り回されているようでいて、本当はセザンヌが振り回されている。


「いやね、俺様もちょっと困ってんのよ」


 そう言いながら、チャーリー・バーニーはレオの真正面にしゃがみ込んだ。


「金に目がくらんで新しい依頼主の指示に従ってブラウエに大砲をぶち込んだが、この依頼主は一見いちげんさんで、今は金払いがいいが過去に定期的に出資してくれていたクセルニヒの偉い人たちは良く思っていないかもな、ってちょっと不安になってきた」

「新しい依頼主?」


 本当ならここでクセルニヒ政府が定期的に出資していたという事実を認めたことに突っ込むべきなのだろうが、それは公然の秘密なので、いまさら驚くことではない。


 チャーリー・バーニーがクセルニヒ政府とは違う出資者を得た。

 大きな転換点だ。


「俺は馬鹿な海賊なんでね、目の前に金貨が置かれたらよだれを我慢できねェ。でもさっきフリートヘルムが軍隊を組織してるって聞いてひよっちゃったな。ノイシュティールンとクセルニヒがマジな戦争になっちゃったらどうしよう? それでクセルニヒの偉い人たちの不興を買ってゲルベスに帰れなくなっちゃったら、ブラウエで掻き集めた財宝や絹やワインはどこで換金するワケ?」

「それは知らないが……いや、返せよ、僕らがこつこつ貯蓄してきたのを……」


 ちなみにゲルベスというのはクセルニヒの首都の名である。

 ロイデン海に開けた湾岸都市で、大型の貨物船や軍艦が停泊している。大小さまざまな島があり、海賊が潜伏するのにもちょうどいい。

 女王の居城兼クセルニヒ中央政府は、ゲルベスの街を見下ろす小高い丘の上にある。晴れているとブラウエからもその城の姿を見ることができた。


「なあ、レオちゃん、適当なところでお兄ちゃんが手打ちにしてくれるように取り図ってもらえねェかな? フリートヘルムが兵を引いてくれるなら、俺にはレオちゃんを無傷で返してやる腹積もりがある」

「そうか……お前、本当に馬鹿なのだな」


 お膝元であるブラウエに大砲をぶち込まれ妹を拉致されてプライドを傷つけられた兄が、チャーリー・バーニーを許すだろうか。

 仮に大公一人が納得して兵を引こうと言っても、ブラウエ市民をはじめとするノイシュティールン民が黙っているとは思えない。砲弾を食らったのは初めてだが、略奪に入られるのは毎月恒例行事だ。今度こそ徹底的にやり返したいと思っている人間もいるだろう。


 レオの台詞に同調するように、セザンヌが「本当に馬鹿で困っちまうよ」と言って息を吐いた。


「でもなあ」


 チャーリー・バーニーが自分の無精ひげが生えた顎を撫でる。


「でっけェ夢、見ちまったんだよなァ。たまにはこういう政治劇もいいか、って。地位や権力が欲しいと思ったことはねェが、俺だって男だ、国を動かしてみたいという気持ちはなくもない」

「政治劇か」


 喉の奥に魚の小骨が刺さったような不快感だ。


「その新しい依頼主というのは何者だ?」


 いよいよ核心に迫ったことを問いかけた。


「その人物は、お前にでっけェ夢とやらを見せてくれるような大物なのか?」


 国を動かせるほどの力を持っている人間など、ロイデン帝国に何人もいるとは思えない。フリートヘルムとイルムヒルデの間に入って国際関係を引っ掻きまわすような真似をする危険人物が何人もいるとは思いたくない。


「どうだろうな」


 チャーリー・バーニーは自己陶酔に陥っているのか笑顔で遠くを見た。


「少なくとも、俺はおもしろいと思った。この男に賭けてみてもいいと」

「その男は何者だ?」

「依頼主の個人情報をべらべらしゃべっちまっていいのかな」

「何をいまさら。海賊のお前がそういう道徳観を順守する必要はあるか?」

「お嬢ちゃんも都合のいいこと言うねェ」


 にやにやと笑っている。


「でもさあ、チャーリー・バーニー」


 セザンヌが至極しごく冷静な声で言った。


「あの男のご要望は、例の計画が始まるまでフリートヘルム大公を足止めすることじゃないか。もしあんたとフリートヘルム大公の間に和解が成立して、あんたがノイシュティールンに寝返ってクセルニヒ上層部の不興を買って――あるいはクセルニヒ上層部があんたをかばってノイシュティールンとの間に正式に戦争をしてくれることになったとして、例の計画があの男の思うようにならなかったら本末転倒だ」

「それもそうだ」

「例の計画がきちんと実行に移されるまであたいらはこのお嬢ちゃんを見張ってる、生かさず殺さずのらりくらりと時間稼ぎをする。それ以外のことを考えちゃあいけないよ」


 丁寧に諭された結果感じ入るものがあったらしい。チャーリー・バーニーが「うーん」と唸る。


「例の計画とは?」

「それをここでべらべらしゃべっちゃったら万が一俺とフリートヘルムの間に和解が成立した時にみんな困る。本当にみんなが。俺たち海賊団や、お前らノイシュティールンの人間も含めた、ロイデン帝国のみんなが」


 背筋がぞわぞわする。


「仮にそれを最後の審判の日とでも呼ぼうか。その最後の審判が来て裁きが下るのを、俺は楽しみにしてるんだわ。どんな観劇よりもおもしろいショーになるぞォ」




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