第5話 砕け散ったブラウエ港
腰に縄をつけられた状態で、セザンヌに後ろから引っ張られながら船室を出た。
甲板からブラウエ港のほうを見て、レオは喉を詰まらせたような声を上げてしまった。
港に面した
ブラウエ港が、砕け散っている。
世界に誇れるブラウエの街、その富の源泉である港が、見るも無惨な姿に変わり果ててしまった。
何かが焼ける匂いがする。
勝ち
声の出どころは船に押し寄せている男たちだ。
若い男の集団が、それぞれ剣や棍棒を握ってこちらに向かってきている。
何人かの顔に見覚えがあった。ブラウエの街の自警団の人間だ。中には学生も含まれている。
総勢三百人か、多くても四百人を超えない程度の数だが、軍隊を持たないブラウエが組織できる中では最大規模の武装勢力であると言える。
一方、海賊たちは戦闘に慣れた獰猛な獣たちだ。
彼らはまず、迫り来る軍団に大砲の鉛玉をぶち込んだ。
数人の青年が吹っ飛び、地面に倒れ、押し潰された。
もう一発、砲弾が放たれる。
また、青年たちが倒れる。
けれど、彼らは諦めない。仲間が倒れても彼らは声を上げながら突進してきた。
「ああ……!」
あまりの残虐な光景に、レオはか細い悲鳴を上げた。
「やめなァ」
チャーリー・バーニーが砲手の男に言う。
「あんまりバンバン撃ち込むな。玉がもったいねェ。高いんだわ。回収は大変だぞ」
胸の奥がぎゅっとつかまれたような痛みを訴えた。
チャーリー・バーニーが心配しているのは砲弾の数や費用のほうであり、無惨に散っていく人命のほうではない。
ブラウエの青年たちが、甲板のへりに縄をかけてよじ登ってこようとする。
海賊たちはその縄を上から切り落としていった。
青年たちが海の中に落ちていく。
その様子を見ていたチャーリー・バーニーが仲間たちに言った。
「船に乗せてやりなァ」
仲間たちが「おう」と威勢よく答えた。
ブラウエの青年たちが、なぜか下ろされたままだったタラップを駆け上がってきた。切られずに残っていた縄を伝って上がってくる者もあった。
レオの心臓が爆発しそうなほど早く脈動している。怖いのに目を逸らすことができない。
青年たちが甲板に並んだ。
海賊たちも、剣を抜いた。
「やっちまいな」
チャーリー・バーニーのその声を皮切りに、海賊たちが青年たちに襲いかかった。
青年たちは普段は善良な警備員だったり商人だったり学生だったりする。そんな彼らの戦闘経験などなきに等しい。ましてや人を殺したことなどないに違いない。
一方海賊たちは人殺しに慣れた犯罪集団だ。
圧倒的な力の差で、海賊たちが青年たちを斬り伏せていく。
甲板が、血に濡れていく。
倒れた青年たちを、海賊たちは海の中に投げ捨てていった。
レオは悟った。
無傷で海に落とすと、生きて這い上がってくる可能性がある。しかし、こうして傷をつけてから落とせば、失血による意識の混濁や体力の消耗、塩水が傷に染み込む痛みで、陸地に上がれないのだ。
「あはははははは」
チャーリー・バーニーが狂ったように笑いながら部下の海賊たちが傷つけた青年を海に投げ落としていく。チャーリー・バーニーは素手だったが、抵抗をまったく許さないほどの腕力だった。
「
船長の掛け声に、海賊たちが動いた。
「埠頭から離れるぞォ!」
船が動いた。
内臓が浮き、足元が揺れる。
まずい。
海賊たちは海の上での戦闘に持ち込む気だ。
彼らの得意なフィールドだ。船の上で戦ったことのないブラウエ市民が勝てるわけがない。
うつむいたレオの髪を、セザンヌがつかんだ。強引に顔を上げさせられた。
「ほら、よく見るんだよ」
セザンヌがささやく。
「みんなあんたのために死んでくんだよ。お姫様を助けるために命を懸けてる。で、ごみみたいに海に投げ捨てられてく」
レオは知らず嗚咽を漏らした。
目の前の光景を信じたくない。
濃密な血の匂いがする。
セザンヌが嘲笑った。
「みんなこっちを見なあ!」
男ばかりの声が響いていた中、セザンヌの甘い声はよく通った。海賊もブラウエの青年も一斉に振り向いた。
「みんなが会いがってるエレオノーラ姫はこっちだよお! こっちに向かっておいでえ!」
セザンヌが、右手ではレオの髪をつかんだまま、縄を巻きつけている左手をレオの胸に伸ばした。長い爪の先をレオのドレスの胸元に差し込む。レオの胸を覆うドレスの布が引き千切られ、豊満な谷間が強調された。
「ほらほら、早くしないと悪い海賊にえっちなことをされちゃうよお?」
怒り狂った青年たちがこちらに駆け寄ってこようとする。
船の揺れに足をもつれさせる。
もたついたところを、後ろから海賊たちに撫で斬りにされていく。
どれだけ無念だろう。みんな未来のある若者たちだ。ノイシュティールンの自由は、こういう若者たちの善意が支えているのだ。
涙があふれて止まらない。
もうなんでもいいからやめてほしいと叫びたかった。だが、それこそ彼らの気持ちを踏みにじる行為だ。先に倒れていった仲間たちにも示しがつかない。とはいえ助けてくれと叫ぶ行為も彼らを危険に駆り立てる。どうすればいいのだろう。
「レオ!」
仲間たちの
見るとケマルだった。
ひとより喧嘩が強く決闘の経験を重ねているケマルだ。どうやらこの死線をくぐり抜けてこられたらしい。
彼は襲いかかった海賊を斬った。致命傷には至っていないようだが、ひとまず海賊を眼前からは追い払うことに成功した。
レオとケマルが向き合う。
「伝えに来た」
レオは目を丸くした。
「フレットが軍隊を組織してる。あいつはレオを見捨ててない。希望を捨てずに待て」
なんと、兄は逃げてそんなことをしているのだ。
よく考えれば、冬の今のノイシュティールンは農閑期だ。しかも、首都ブラウエは自由の象徴という精神的な支柱であるだけでなく納められた税の分配をする都でもある。地方の農民でもブラウエの機能が停止するのはまずいと考えるはずだ。
「俺たちのノイシュティールンはクセルニヒに屈しない」
ケマルの言葉に、レオは冷静さを取り戻した。
何年も前からわかっていたことではないか。
海賊団の後ろには、クセルニヒがいる。
これは、ノイシュティールンとクセルニヒの戦争だ。
「ケマル!」
レオは叫んだ。
「ひとつ教えてほしい!」
「俺に答えらえることならなんなりと!」
「イェルケルはどうした!?」
ケマルは一瞬声を詰まらせた。
「まだ死んでない!」
レオは頷いた。それ以上のことは説明できないのだろう。ケマルもレオに不安を与えるわけにはいかないと思っているはずだから、聞いても答えないに違いない。
イェルケルは、まだ、死んでいない。
これから死ぬかもしれない。
もはや祈るしかない。
また別の海賊がケマルに向かって剣を構えた。ケマルがそちらを向き、剣を構えた。
レオはもう一度ケマルの名を呼んだ。
「ケマル、お前は生きて帰って、兄上に僕の無事を伝えてくれ!」
その言葉を聞き、ケマルは剣を下ろした。
「僕も決してクセルニヒの手先に屈しない!」
ケマルが剣を鞘に納めて、海賊に突進する。予想外の行動に驚いたらしい海賊が一歩引くと、ケマルはその勢いのままあえて自ら海に飛び込んだ。それでいい。泳いで埠頭に戻れればなんとかなる。
ケマルに続いて、青年たちが次々と海に飛んだ。
まだ港からそんなに離れていない。しかもノイシュティールンとクセルニヒの間の海峡は遠浅で海流も穏やかだ。海賊船が港に戻るのを待つより海に入ったほうが生き延びられる確率が高い。
みんなが無事でありますようにと、レオは祈った。
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