第3話 チャーリー・バーニー海賊団の上陸
チャーリー・バーニーと名乗る男が広間に足を踏み入れたのを皮切りに、粗野な態度の男たちが次から次へと入ってきた。
みんな上等なコートやジャケットを羽織っている。おそらく貴族の服を奪って着ているに違いない。せっかくの高価な服飾品でも、彼らは手入れの仕方を知らない。擦り切れだらけの染みだらけ、つぎはぎだらけだった。
「おとなしく金目のものを置いてけェ!」
男たちが下卑た笑いを浮かべた。
レオは、この連中を、港で見たことがあった。
ロイデン海一獰猛で知られるチャーリー・バーニー海賊団、
だが、まさか上陸してくるとは思っていなかった。彼らはいつもは
それが、なぜか、今になって、上陸してきた。
しかも、いつの間にか港湾管理局の庁舎の壁に穴を開けるほど威力がある大砲を入手している。
「うまそうな飯だなあ!」
そう言って海賊の一人がテーブルの上の料理を手づかみで持ち上げた。顔の上まで持っていって、舌を出して舐め取るように口に入れる。そして、汚れた手をコートの裾で拭った。こういうパーティの場ではありえないマナー違反だった。
客たちが窓とは反対側にある出入り口へ押し寄せている。その殺到は圧死する人が出るのではないかと思うほどのパニックぶりだった。警官や近衛兵はいるが、さばききれていない。
海賊たちが客のかたまりに近づいていった。男性客はなまくらの剣で斬りつけ、女性客は肩に担ぎ上げて運び始めた。
怒号、悲鳴、テーブルの上の食器が床に落ちて割れる音、赤い血液まで飛び散り始めて、あたりは戦場と化した。
不意にイェルケルがレオの耳元でささやいた。
「大丈夫、僕が君を守るから」
そうは言ってもイェルケルの腕もかすかに震えているのをレオは感じ取っていた。イェルケルの生来の正義感や優しさ、真面目さ、そして実家の妹の記憶から想起する世間一般が兄という立ち位置の存在に求めているものが彼にそんなことを言わせるのだろう。彼自身には海賊と戦うための
それを感じ取っていても、レオにはどうにもできなかった。レオが過去に遭遇したことのある乱闘騒ぎなど、せいぜい酔っ払ったケマルとその仲間たちとの喧嘩ぐらいだ。いくらレオでも身体は女性であって運動能力的に成人男性のイェルケルより劣っていることは理解している。下手な行動をすれば自分も怪我をさせられるだろう。
イェルケルはレオを抱えたままゆっくり広間の隅に移動した。
出入り口の様子を窺う。
転んだ老婦人の背中を紳士たちが踏み締めていく。
あの場に向かっていくのも危険すぎる。
イェルケルが、テーブルの上にあった、肉をサーブするための大きなフォークを握った。多少なりとも武器になるものだ。レオは、自分も、と思ったが、そもそも自分の腕の長さでは自分より大きい男との近接戦はできない。
そうこうしているうちにも、海賊たちが出入り口に走っていって、若い女性客を捕まえていく。中には勇敢な男性客もいてパートナーを救い出そうと試みていたが、海賊の暴力を前にするとなす術もない。
その上――それに気づいた瞬間、レオは心臓が握り締められるようなショックを受けた。
フレットがいない。
フレットと、エヴァンジェリンと、双子の姿がない。
消えた。
逃げたのだ。
フレットはこの状態の広間から脱出した。大勢の客とレオを残して、去ってしまったのだ。
その事実が胸の中をぐるぐると回って吐きそうになる。
あの男は、兄でありながら妹を、大公でありながら民を見捨ててさっさと逃げていった。
彼は我が身が一番可愛いというのはうすうす察していたが、本当にこういうことをするという事実に動揺してしまった。
眼帯をした男が近づいてきた。
「そこのオグズ人、その女をよこしな!」
イェルケルの腕に力がこもる。
「女をよこしたら命だけは見逃してやるぜ」
「断る」
イェルケルははっきりそう言ってくれた。彼の故郷にいるという妹はなんと幸せなのだろう。フレットならレオを明け渡したかもしれない。
「僕を殺してからにしろ」
「大した騎士様だあ」
海賊が飛びかかってきた。
イェルケルはその腕に先ほどのフォークを突き立てた。
海賊が痛みに飛び上がった。
「テメエ!」
「よしなァ」
眼帯の海賊の後ろから、ひときわ背の高い男が歩み寄ってくる。その足取りは優雅でさえある。
「チャーリー・バーニー!」
眼帯の海賊が振り返って喜びの声を上げたが、チャーリー・バーニーはその男の尻を蹴った。男は「いってえな」と不満げだが、さしてダメージを受けたわけでもなさそうだ。彼らは戯れにも暴力を用いる。
「大事に扱いなァ。それが公女エレオノーラだ。このパーティで一番の
眼帯の海賊が「おっ、おっ」と動物めいた声を出した。
「やあ、オグズ人の騎士様」
チャーリー・バーニーが笑顔で近づいてくる。イェルケルがレオを抱えたままさらに壁際に後退する。
「ロイデン人のお姫様を守るというのはさぞかし気持ちのいいことだろうなァ。それは本来ザイツェタルクの選び抜かれた名誉あるロイデン男にしかできないことだからよォ」
「名誉なんか関係ない。僕は大事な友人を貴様のような悪党から守りたいだけだ」
「うーん、高潔。立派。感極まって涙が出ちゃう」
彼は左手の指の背で涙を拭うふりをしてから、右腕を伸ばした。
イェルケルはさらに身を固くした。
暴力行為に慣れたチャーリー・バーニーに抗うのは難しい。
チャーリー・バーニーは右手でイェルケルの手首をつかむと、左の拳をイェルケルの脇腹にめり込ませた。
イェルケルが「ぐっ」とうめいた。
チャーリー・バーニーのブーツを履いた長い足が、イェルケルの腰を蹴る。イェルケルがよろける。
だがイェルケルは決してレオを離さない。
それでも、チャーリー・バーニーは二度、三度とイェルケルの脇腹に拳を突き入れ、膝や腰を蹴り続けた。
レオは動けない。
イェルケルもいつまでも耐えられるわけではないとわかっているのに、レオには何もできない。
恐ろしくて声を上げることすらできない。
「折れねェな」
チャーリー・バーニーが離れた。
諦めてくれたかと、そんなわけがないのに、一瞬安心しようとした。
チャーリー・バーニーは、腰の剣を抜いた。
「万が一お姫様まで傷をつけちゃ困るから、こういうこたァしたくなかったんだがなァ」
砕けた壁の向こう側、輝く朝の太陽の光に、チャーリー・バーニーの剣が
イェルケルが息を呑んだのがわかった。
これ以上イェルケルに迷惑をかけるわけにはいかない。
怖かった。このまま守られていたかった。何も考えずに助けを待ちたかった。
けれど、奴らの狙いはレオで、レオは大公家の娘だ。
兄が逃げた分、レオが国家を代表する存在として身をもって市民を守らなければならない。
イェルケルを突き飛ばすようにして離れた。
「僕の身柄でみんなを助けられるならば――」
失敗だった。
なんと浅はかだったのだろう。
イェルケルが腕を伸ばして、チャーリー・バーニーの前に飛び出したレオのドレスの裾をつかんだ。
その腕に、まったく予想しなかった横の方向から、金属のかたまりが振り下ろされた。
イェルケルの手が切断され、手首から上が腕から離れた。
すさまじい鮮血の噴水が上がった。
レオは絶叫した。
レオのドレスに、イェルケルの手がぶら下がっている。
「あらあら、お姫様の前でそんな暴力行為、良くないぜ」
チャーリー・バーニーがレオの肩を抱いた。そして、「ばっちいのはポイっとな」と言ってイェルケルの手首を床に投げ捨てた。
チャーリー・バーニーの視線の先をたどると、そこに妖艶な女が立っていた。チャーリー・バーニーが着ているものによく似た男物のぼろぼろのコートを羽織り、シャツの前ははだけて豊満な胸の谷間をさらしている。豪快な渦を巻く長い黒髪をしていて、その頭にはやはりチャーリー・バーニーのものに似た三角帽をかぶっていた。年齢は二十代のような気もするし四十代のような気もする。
彼女は汚れた剣を振るって血を払うと、真っ赤な唇で溜息をついた。
「公女エレオノーラを手に入れた。もうあたいらの第一目標は達成だ。ずらかるよ、チャーリー・バーニー」
「船長の俺様に命令すんじゃねェよセザンヌ」
チャーリー・バーニーがレオを抱え上げ、横抱きにして壁の穴のほうに向かって歩き始めた。セザンヌと呼ばれた女が、その後についてくる。レオは何も言えずに、床に転がったまま動かないイェルケルの手首から流れる膨大な鮮血を見つめていた。
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