第4章 チャーリー・バーニーの愉快な略奪行

第1話 女として生きるからには

 冬至祭り前後から年明け後数日間ほどの二週間程度は、ブラウエが一年で一番にぎやかになる期間だ。

 出稼ぎに行っていた者たちが帰省したり、温暖な気候の国で過ごしたい者たちが旅行に来たりする。

 みんなで愉快などんちゃん騒ぎの新年を迎えるために、あっちもこっちもせわしない。


 むろんノイシュティールンの象徴たる大公家も例外ではない。

 フレットとレオ、そしてエヴァンジェリンは、来客対応と服飾の新調で慌ただしくしていた。

 特に年明けからの二、三日には超のつく過密スケジュールが組まれている。それに間に合うように年内のうちに諸々もろもろのことを片づけておかねばならない。


 しかしここは悠長で知られているノイシュティールンである。

 この年明けのスケジュールの大半は飲めや歌えやの祝賀会へのお誘いだ。


 フレットやエヴァンジェリンが言うには、祝賀会の出席も立派な政治活動で社交の場だとのことだ。

 だが、レオは単純にこの二人、特に母エヴァンジェリンは、酒を飲みながらおしゃべりに花を咲かせたいだけだ、とにらんでいる。


 とはいえ、他人事だと思っていてはいけない。

 レオもたくさん誘われている。

 大公家令嬢として顔を出さねばならない。

 まして自分は皇帝が決まればザイツェタルクに嫁ぐ身だ。

 大国ザイツェタルクの次期王妃との人脈を作っておきたい人間は、掃いて捨てるほどいる。レオのほうからも今後ともよろしくと言っておくのが賢いやり方だ。


 ノイシュティールンはそうして大きくなってきた国だ。

 カネ、ヒト、モノ――どれが欠けてもノイシュティールンの栄華はなかったはずだ。

 レオもその系譜に連なる者としてせいいっぱい愛想よく振る舞わねばならない。


 わかっているのに、当時祭りの学生運動のあとから、レオの調子は狂いっぱなしだ。


 家族全員で取る夕食の場が、静まり返っている。


 家長のフレット、その向かいに座るエヴァンジェリン、エヴァンジェリンの隣に座るレオ、そしてフレットの隣に身分は格下でもフレットが特別目をかけているため従者なのに同席を許された双子のアーデルとエーレン、合計五人の食卓だ。


 その五人が五人とも、今は沈黙していた。


 時々、銀のカトラリーが皿に当たる小さな金属音が聞こえる。けれど五人がそれを指摘し合うことはなく、食事は粛々と進んでいく。


「初日の出なのだが」


 フレットが静寂を突き破った。


「我々は全員揃って港で迎えたいと思っている。ブラウエ港の港湾管理局の前の広場だ。年が明ける瞬間という貴重な場で一緒にいたい者はすべて連れてきたまえ。ブラウエ市長も、元老院議員も全員、それから各商工組合の長たちもみんな呼んでいる」


 双子が「はーい」とちょっと聞いただけでは明るく感じる声を出したが、二人とも表情が硬い。


 フレットは平常どおりの顔で、だが珍しくほんの少しだけわざとらしく、レオに声をかけてきた。


「どうだね、レオ。お前も大学の友達を呼びたかったら――」

「お兄様」


 グラスを手に取り、水を軽く飲んだ。


「レオなどと、男の子みたいな呼び方はおやめください。何度も申し上げているでしょう。それにわたしは大学の粗野な殿方とはもうお会いしませんので」

「ふうん……」


 双子が顔を見合わせた。


「早く新しい愛称をおつけになって。可愛らしいのをお願いします。そもそもエレオノーラという名自体もお兄様がつけた名ではございませんか、何も思いつかないならちゃんとそうお呼びください」

「うーん……」


 フレットが横にいる双子を見た。双子が首を横に振った。


「エレナちゃん? レオナちゃん? まあ、考えておこう」

「考えておく考えておくとおっしゃってもう何日になりますか」


 エヴァンジェリンが溜息をついた。


「エレオノーラ。自覚が出てきたことはいいことです。あなたがちゃんと女性としての身の振る舞いを身に着けてくださるというのは母にとってとても嬉しいことです。ようやくこの日が来たかと毎晩お父様の肖像画にご報告をさしあげているほどです」

「ありがとうございます」

「ですがね、エレオノーラ、わたくしの天使。あなた、最近にこりともしなくなってしまったわ」


 痛いところを突かれた。


「わたくしの可愛い天使。あなたはうちの末っ子で、人一倍愛嬌があって、国じゅうにおてんばなところもいとおしいと言われて育ちました。ですから、そこまで自分を否定してしまうことはありませんよ。母はあなたが心配です」


 レオは、フォークの先端を皿のふちに置いて、左手で自分の頬をつまんだ。


「わたしは笑えていないでしょうか。そこまで露骨でしょうか。自分ではうまくコントロールできないのです」

「ええ……、そうね、露骨という言い方こそ露骨で、好きではないのですけれど。あなたの努力がとてつもなく空回っていると母は感じます。力が入りすぎています」

「抜き方がわかりません」


 嘘偽りのない、誇張も脚色もない、反抗心や虚栄心もない、ありのままの今のレオの言葉だった。


「わたし、子供の頃、まだ普通の女の子だった頃は、どんな女の子だったでしょうか? どう振る舞えば女の子らしくなれるのかしら。何をして、何をすれば、ちゃんとした女の子になれるのかしら……」

「レオ……」

「だから、レオと呼ばないでと言っているでしょうに」


 もう一口、水を飲む。


「わたしも模索しているところです。そして焦っています。結婚する前にもっと洗練された女性にならなければ。このままではノイシュティールンの格にもザイツェタルクの格にも傷をつけてしまいかねません。とても、とても緊張しています」


 エーレンが「無理はしないで」とささやくように言った。レオは「ありがとう」と返した。本来ならばここで微笑んでみせるところなのだろうが、頬が引きつってしまってうまく笑えなかった。


 どうすればいいのだろう。どうするのがいいのだろう。


 可愛く笑わないといけない。明るく笑う、朗らかな女にならないといけない。誰からも愛される女にならないといけない。

 女として生きるからには、完璧な淑女にならなければならない。


「ごめんなさい。わたしのせいで暗いわね。でももう少し慣れるまで待っていてくださると嬉しいわ。本当に、ねているからとかそういうのでなくて、どうしたらいいのかわからなくて手探りなものですから……」


 手が、震える。


「早く、今の状態に慣れないと……。早く、女の子にならないと……」


 周りの四人が目配せし合った。


 フレットが「やりすぎたか」と呟いた。双子が「何をいまさら」と声を重ねた。


 また、静まり返ってしまった。


 給仕係がメインディッシュの皿をさげてデザートをサーブし始めた。


「そうだわ!」


 しばらくしてから、エヴァンジェリンが口を開いた。


「ねえ、エレオノーラ、わたくしの子猫ちゃん。わたくし、昨夜ひと仕事したのですよ」

「何です?」

「お手紙を書いたの。ザイツェタルクに」


 レオは目をしばたたかせた。


「ジークにですか?」

「そうよ、わたくしの子猫ちゃん」

「何のために?」


 顔をしかめる。


「冬至祭りの騒動について告げ口しましたか?」

「嫌ね、違うわよ。そうでなくて、ブラウエで一緒に新年祭をしませんか、と」

「パーティに呼んだということですか?」

「そうよ。グリュンネンは寒いでしょうから、ブラウエに保養にいらして、と書いたわ。ノイシュティールンとザイツェタルクは仲良くなったのですから、ちょっとぐらいいいでしょう?」

「そうですね。わたしを餌にしてなんとか締結した同盟ですもの、うまくお使いになって」

「まあ、そういう言い方!」


 エーレンが「来るかなあ」と小首を傾げる。アーデルも「ザイツェタルクはもう雪なのに」と小首を傾げる。


「ジギスムント王とお会いしたら元気が出るかと思ったの! 元気がない時に一番効く薬は愛する殿方の優しい言葉ですよ、エレオノーラ、わたくしのかわい子ちゃん」

「愛する……? いえ、まあ……そう、そういうことになっていたわね、ちゃんとおぼえておきます……」





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