第17話 シュプレヒコール、貴様を断罪する 2

 ケマルが言うと、周りの青年たちが「そうだそうだ!」とはやし立てた。


「騎士の英雄だかロイデン一の名門だか知らんが高貴な身分を得るためだけに妹を譲渡せんとしている、なんという悪逆非道の元首! 上の四人もどういう経緯で嫁にやったか怪しくなってきたな」


 また、周りが「そうだそうだ」と叫ぶ。


「女性も人間だ! 人間扱いしろ! 人間は政治の道具ではない!」

「そうだそうだ!」

「政略結婚反対! 愛のない結婚反対!」

「反対! 反対!」


 フレットがほくそ笑む。


 アーデルが呟いた。


「女性というか、高貴な身分の人間は男女問わずだいたい自分の身柄を政治の道具にするものだと思うが。まあ俺は成り上がり貴族の息子で下っ端従者だから知らないが」


 そんなアーデルにフレットがささやくように言う。


「よしたまえ。神経を逆撫でする。彼らの中には貴族の子弟ではない者もある。高貴な者の責務というものがわからんのだ。まあそうは言っても我が家も商家だったのでそんなにこだわっているわけでもないのだが。というかそもそもノイシュティールンの上流家庭に爵位持ちが少ないから理解されずとも仕方がないのだな」


 これも兄の言うとおりで、ノイシュティールンの上流家庭とはすなわち商売で成功した富豪であり、だいたいは船や農園を持っている者のことを指す。ザイツェタルクのように王の血筋がどうこうと言う者はほとんどいない。それこそきょうだいの母のエヴァンジェリンくらいだが、エヴァンジェリンは政略結婚でありながら夫と深く愛し合った稀有な過去を持つので、こういう場合にはたぶん出しゃばってこない。


「ザイツェタルクやクセルニヒの君主のように青い血が流れているのでもなく、ヴァランダンの君主のように強大な軍事力を持っているのでもなく。自由の国ノイシュティールンの自由が何の上に成り立っているのかは議論の余地がありそうだ」


 レオは兄の横顔を見た。やはり、いつもと変わらぬうっすらと笑んだ顔だった。


「まして大学生は理論武装を身につけているからな。世の中の人間の大半は彼らより愚かであることをわかっていないのでこういう綺麗事を言えてしまう。賢いとは難儀なことだ」


 そこまで言うと、フレットはふたたび身を乗り出し、ケマルに向かって叫んだ。


「いいだろう! ここは自由の国ノイシュティールン、当人の自由意思を最大限尊重するのが我々大人のすべきことなのであろう!」


 風向きが、変わった。


「では、我が妹エレオノーラに直接意向を訊ねようではないか!」


 背筋がぞわりと震えた。


 フレットが振り向き、レオの顔を見た。

 その時の彼の目は、ぎらぎらと輝いていた。


「さあ、エレオノーラ、前に出たまえ! そして同朋たちに持論を聞かせるのだ!」


 喉に息が詰まる。動いていないのに汗をかく。


 フレットは、自国民を納得させるために、レオを、そしてジークを利用したのだ。


 でも、もう、逃げられない。

 自分は、人の上に立つ存在として、生まれ、そして生きてきた。


 みんなを、安心させてあげなければならない。


 ノイシュティールンの自由のために、レオが、言わないといけない。


 他の国なんてどうでもいい。

 愛する生まれ故郷のために、レオの本当の意思はもう、殺してしまわねばならない。


 三歩前に出て、手すり壁をつかんだ。


「逆に聞くが」


 レオが大声を張り上げると、群集の視線がレオに集中した。


「お前たちは僕がどうしたら納得するのか! 僕に縁談が持ち上がるたびにこうして抗議活動をするのか!?」


 ケマルが拡声器を持ち上げて「そうだ」と答える。


「お前自身が納得できるまで、何度でも! 俺たちはお前の味方だ!」


 彼の言葉に、学生たちが湧き立った。


 しかし、レオは負けなかった。


「僕の気持ちを勝手に代弁するな!」


 これは、本音だ。


「僕はジークを愛している! この結婚は純愛によってなされたものだ!」


 これは、嘘だ。


 本当は愛なんか知らない。恋なんかしたこともない。ジークは大切な存在だが、恋人ではなかった。


 ジークが聞いたら驚くだろう。だがもういいではないか。あいつはきっと僕が好きだ。


 頬に涙が流れた。


「僕は自分の意思でザイツェタルクに行く! これが僕とジークの個人的な関係においてもノイシュティールンとザイツェタルクの国際的な関係においてもすべて丸く収まる幸福な結末だ! だからお前らがつべこべ言うな!」


 右の手の甲で頬に流れる涙をぬぐった。


 こんなところで泣いたら、また、女の子だから、と言われてしまう。


 もういいではないか。どうせ嫁に行く身なのだ。


 少女時代が、何の実も結ばずに終わろうとしている。


「一生結婚するなと言うのか、馬鹿野郎」


 レオがその場に泣き崩れると、また、場が静まり返った。


 少しして、拡声器でぼやけた声が聞こえてきた。


「すまなかった! 解散する」


 ケマルがそう宣言した後、学生たちはそれぞれ、ぽつ、ぽつと場を離れていき、ゆっくり散っていった。


 フレットが身を乗り出し、邪悪な顔で笑う。


「今回の騒動は諸君らの公女を思う真心ゆえの行動だったとみなし、罪には問わない! 好きに帰りたまえ! 温かいワインでも飲んでゆっくり冬至を楽しみたまえ!」


 市場公園に、いつもの風景が戻り始めていた。


「この国は自由の国だ、集会の自由も言論の自由もあるのだ。喜びたまえよ」


 涙が引いてきた頃、公園の真ん中に一人突っ立っているケマルのもとへ、イェルケルが駆け寄ってきているのが見えた。遠いので会話の内容までは聞き取れなかったが、イェルケルが泣き出したケマルの肩を抱いてその場から連れ出してくれたのはわかった。二人でゆっくり酒でも飲んでほしい。


「終わった」


 レオがその場に尻をつけて座ると、フレットとアーデルもしゃがみ込んで「お疲れ様」と言った。


 本当に、いよいよ嫁に行くしかなくなってしまった。


 ジークはどんな反応をするだろう。喜ぶのだろうか。金的に一発蹴りをくれてやりたかった。







 冬至祭の夜が終わろうとしている。


 港の周りにある飲食街のうちの一店舗、薄汚れて床をねずみが駆け抜ける酒場の片隅に、一人の男がいる。彼はブーツを履いた足をテーブルの上に投げ出し、片手に酒瓶を持って、その瓶の口に直接唇をつけて中身を飲んでいた。気分よく鼻歌を歌っている。時々もう片方の手でチーズとハムをつまむ。


 酒場に一人の男が入ってきた。この男は黒いコートのフードを目深まぶかにかぶって顔を隠している。左手には小袋をぶら下げていた。


 このフードの男はまっすぐ先客のもとに行き、そのテーブルの真向かいに腰を下ろした。


「よォ」


 酔っ払いの先客が嬉しそうに赤ら顔の目を細める。


「あんたか、この俺様にご依頼があるってェのは」

「そうだ」


 フードの男がテーブルの上に小袋を置いた。じゃら、という金属の重い音がした。


「あんたの腕を信頼してる。よろしく頼む」

「任せときなァ。俺様にできねェことはねェ。その気になりゃあブラウエの街を焼き払ってもいいんだぜェ。報酬次第だけどよォ」


 テーブルから足を下ろして床につけ、代わりにテーブルに肘をついた。


「ブラウエは儲かるからあんまりそういうことはしたくねェんだけどなァ。報酬次第では考えてやるぜェ」

「とりあえず前金だ」


 フードの男が小袋を酔っ払いのほうへ押す。


「それと、報酬はこの倍程度しか払えないが、おもしろいものを見られるということで手を打ってくれないか」

「おもしろいものだァ?」

「国家の転覆だ」


 酔っ払いが片眉を上げた。

 フードの男は微動だにしなかった。


「……いいぜェ」


 酔っ払いが小袋を受け取る。


「この世に生まれて二十七年、俺様はいつも刺激を求めて生きてきたァ。金稼ぎよりおもしろいもんはないと思っていたが、ここらでいっちょ派手な政治劇を見るのも大人っぽくていいかもしれねェなァ」


 そして、大笑した。


「この大海賊チャーリー・バーニー様に任せなァ! 文字どおり大船に乗った気でいろよォ! 機会が巡ってくればあんたもチャーリー・バーニー様の運命の女神フォルトゥナ号に乗せてやってもいいぜェ!」


 フードの下、黒い前髪の狭間からわずかに覗く焼けただれた額の下で、碧の瞳が輝いた。


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