第16話 シュプレヒコール、貴様を断罪する 1
冬至の日は一年でもっとも日が短く夜が長い日なのだそうだ。
太陽の国ノイシュティールンも例外ではなく、太陽が出るのは朝の鐘が鳴ってずいぶんと経ってからだし、太陽が沈むのは昼の鐘が鳴ってからすぐのように感じる。
しかし、旅人たちは、これでもロイデン帝国で一番明るい冬至だと言う。どうやらヴァランダンではそもそも夜が終わらないらしい。いったいどんな空模様なのだろう。怖いような、見てみたいような――異国はおもしろい現象であふれている。
異国といえば、ザイツェタルクではグリュンネンにも雪が積もったとのことだ。あの灰色の石組みの美しい街並みに白い雪が積もる様子はちょっと見てみたい。
グリュンネンの雪は、この先毎年見られるだろう。
ブラウエの冬至祭に参加できるのは、今年が最後かもしれない。
街の中心にあるブラウエ大教会の冬至の祈祷集会に出た。
聖隷教では、世界の終末の時古代に亡くなったはずの救世主が復活し、人々を神のいる楽園へと連れていく、と言われている。その救世主の最初の誕生日が冬至の夜だったとかで、冬至は聖隷教において一年でもっとも大切な祝祭日となっていた。したがってこの日だけはロイデン帝国どころか聖隷教を奉ずる世界じゅうの国が休みになって家族や友人と過ごす。戦争でさえも中断すると聞いたこともある。
そのため、冬至祭で騒動が起こるなどと考えるロイデン人はいないはずだった。
レオとその家族が、教会の正面にある市庁舎に移動した。一年の総括をし、ブラウエ市の栄光を
ところが、昼の鐘が鳴り響いた時、外が騒がしくなってきた。
最初は酔った民衆がトラブルを起こしているのかと思っていて無視していたが、どうも違うらしい。
「フレット!」
市長の執務室のドアが外から勢いよく開いた。フレットとレオは市長夫妻と挨拶をしていたところだ。そこに硬い表情のアーデルが入ってきて、大股の早歩きで近づいてきた。
「何かあったのかね?」
アーデルはいつになく神妙な面持ちだが、フレットはいつもどおりの
「囲まれた」
「どこが?」
「ここが。市庁舎が」
「何に?」
「それが――」
アーデルの金の瞳が、レオの顔を見た。
「ちょっと、来てくれるか?」
「僕が?」
「そう。レオと、まあ、フレットもいたほうがいいだろうな、連中はフレットへの抗議活動だと言っているんだから」
「抗議活動」
フレットが男性のわりに長い睫毛をぱちぱちと重ね合わせる。
「私に?」
「そう」
「誰が?」
「ブラウエ大学の学生団体が」
それを聞いた途端、フレットは声を上げて笑った。
「なるほど、彼らが私に何の罪を問うているのかもうすでにわかった」
レオは胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。
大学生たちがデモ活動をするのはそんなに珍しいことではない。ここ三、四年はフレットの治世に満足していたのかあまり聞かれなかったが、きょうだいの父の時代にはよく宮殿を取り囲まれたものだ。やれ研究費をよこせ、やれ学生寮を整備しろ、という大学運営の陳情の時もあったが、政治に直接文句をつけて福祉政策がどうの外交政治がどうのと主張したこともある。
ブラウエは港町であると同時に学生街でもある。
大学は優秀な人材を輩出する。学位を取得した者たちが世界じゅうに旅立っていく。学者になる者もあれば政治家になる者もある。そういう未来の重鎮たちを大切にすることでノイシュティールンは人脈を広げている。
それに、各地から集まってきた学生たちが短時間労働をしたり親からの仕送りを受け取ったりすることで、ブラウエ経済も好調に回っている。
学生を無視していいことはない。
「よろしい。聞いてやろうではないか」
フレットが歩き出す。
「レオ、ついてきたまえ」
レオは大きく頷いて後に続いた。レオもブラウエ大学の学生だ。同時に政治家一家大公家の娘でもある。同朋たちが何を求めているのか確認するのは責務だ。
市長が「よしなさい」と言いながら後ろをついてくる。
「危ないではないか、君たちに何かあったら君たちのお父上に申し訳が立たん」
「ご心配はありがたいが、これしきのことで逃げ隠れしていたら政治なんぞできない」
「これしきのことなどと言うでない、連中は十年前市庁舎に火炎瓶を投げ込んだことがある」
「さすがに面子が入れ替わっているだろう。だいたいあなたも当時は市長ではなかったくせに」
「代々言い伝えられておるのだ」
「大丈夫だ、今回の連中の要望はきっと単純なものだ」
フレットは、市庁舎の二階、大広間のバルコニー側の窓を開けた。ここからなら大教会前の市場公園が見える。建物が密集するブラウエでは、大勢の大学生が一堂に会するところと言ったら、ここか宮殿前広場くらいしかない。
窓を開けた途端、大音量かつほとんど乱れることのない唱和が響き渡った。
「人間としての権利を無視した婚姻政策をやめろ!」
「婚姻政策をやめろ!」
「当人たちの意思を無視した婚約を破棄せよ!」
「婚約を破棄せよ!」
「公女殿下を解放しろ!」
「公女殿下を解放しろ!」
市場公園を埋め尽くす人々が何を要求しているのか理解して、レオは真っ青になった。なんと、当事者はレオだったのだ。
「お前は学友たちに熱烈に愛されているようだね」
棍棒や刀剣を振り回して威嚇行動を取る学生の群れを見下ろし、フレットがにやにやと笑う。
「あっはっは、私はこのたびとんでもない悪役になってしまったな」
アーデルが「笑うところじゃない」と溜息をついた。
要求の唱和はなおも続いている。
「妹を売り払う悪の大公よ、我々は貴様を弾劾する!」
「弾劾する!」
「自由の国ノイシュティールンを侮辱するな!」
「侮辱するな!」
フレットがバルコニーの真ん中に歩み出て、手すり壁をつかんだ。
「やあ、学生諸君!」
群集が一度静かになった。フレットのよく通る声が彼らにも聞こえたようだ。
「武器を下ろしたまえ! 冬至祭を楽しむ一般民衆に悪いではないか!」
冬至祭は最高潮に達していて、市場公園では一般人たちがそれぞれ思い思いに仮設の小屋を建てて屋台を営業している。しかし、今は、学生運動に巻き込まれて、買い物客が引いているように見える。とんでもない営業妨害だ。
「勉強熱心な若者たちよ、諸君らの中には学問の師を求めて異国から来てロイデン帝国の宗教的な事情を知らぬ者もあると見た! 冬至祭は救世主の生誕を祝い復活を願う神聖な日! それを賢明な君たちが踏みにじるのは遺憾だ!」
フレットの言うとおりだ。大抵のロイデン人にとっては冬至祭を邪魔されるのは迷惑であり、それこそ侮辱だと解釈する人もいるだろう。ブラウエの住人は学生に甘いが、経済的にも宗教的にも権利を侵害されているとなればまた別の暴動があるかもしれない。
「人が集まる冬至祭を選んだのだと思うが、逆効果だ! 民衆は諸君らを支持しないだろう!」
学生たちが静まり返った。ここまで来たらほぼフレットの勝利である。フレットも二十代で学生たちとそんなに変わらない年齢だが、政治家としてすでに成熟しているのだ。
群集の中から一人の青年が出てきた。黒い直毛に紫の瞳、浅黒い肌に仕立てのいいコートを羽織っているケマルだ。頭に鉄の
彼は拡声器の一端を口元に持ってくると、大声で怒鳴った。
「自由の国ノイシュティールンの名を汚しているのは貴様だフリートヘルム!」
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