第14話 なんてロマンチックなのかしら!
その翌日、ようやくブラウエに帰ることになった。
これ以上滞在すると雪が降るので、移動が難しくなるよう前に、とのことでザイツェタルク側にそれとなく帰るよう促されたのだ。
おそらく、もうジークとレオの婚約という目的を達したので、いつ帰ってもいいと判断されたのだろう。
結局そういう政治行為に振り回されて日程が変わっていると思うと、あまり気分のいいことではない。
まして主役であるレオへの断りはひとつもなかった。フレットとジーク、もっと言えばフレットとザイツェタルク騎士団の連中の間で話が進んでいる。
グリュンネンの市壁の正門の外で、レオたちは荷物運びの馬たちとともにジークと挨拶しているフレットを待っていた。
ザイツェタルク側の見送りはここまでのようだ。
城門まででいいと言ったのだが、ノイシュティールンに頭が上がらないザイツェタルク勢は最後まで礼を尽くした。
それもまたおもしろくない。
ザイツェタルクは、莫大な持参金とロイデン一美しい娘を受け取って、対価としてロイデン一の名門の尊厳と外戚の地位を差し出す。
「ご機嫌斜めだな」
ぶすっとしていたレオに、双子が左右から話しかけてくる。いつもどおりにやにやした顔でレオを左右から挟んでいる。
「当たり前だ。次にグリュンネンに来る時には僕はザイツェタルク王妃だぞ。こんな不愉快なことがあるか」
「いいじゃないか、帝国で一番歴史のある家の妃だよ」
「それが嬉しいのは兄上だけだ」
「歴史の勉強をしているんじゃなかったのか」
「歴史と歴史哲学は違う。僕は歴史を理論的に見ていたのだ。何が英雄の国ザイツェタルクか、英雄史観などクソ食らえだ」
「花嫁になるご令嬢の言葉とは思えない」
遠くから兄の声で「レオ」と呼びかけられた。顔を上げて兄のほうを見ると、彼は城の方角からジークとともに歩いてきていたところだった。ご機嫌そうな笑顔だ。ジークはいつもどおり暗い顔をしてうつむいているが、これが彼の標準だ。
ジークとレオが、向き合った。
「今日はドレスなんだな」
「大勢の人が見ているからな」
ジークの言うとおり、今日のレオは黒を基調としたドレスを着ていた。さほど華美なものではないが、足首まで覆う丈のドレスである。
だが、レオはドレスの下にジークがくれたズボンをはいていた。これだけで何かが認められた気がして深く安心していた。
「お前でも他人の目を気にすることがあるんだな」
「馬鹿にしないでいただきたい。僕とて大公令嬢として振る舞う時はある。時と場所はわきまえているつもりだ」
「わきまえなくてもいい」
ジークの目は、相変わらず、真剣だった。
「お前にはお前らしくいてほしい。そんな人形みたいに冷たい顔をするくらいだったら、ドレスなんて着なくていい」
どうやらレオは自分で認識しているほどにはうまく公女エレオノーラを演じきれていないようだ。苦笑した。もっとがんばって姫君らしくなりたいと思う。
だが、同時に、ジークはドレスを着なくてもいいと言う。
ジークの隣にいられれば、自分らしい自分というものを追求できるかもしれない。
「次に会う時、僕はお前の花嫁になっているのか」
レオがそう言うと、ジークは視線をさまよわせた。少し間を置いてから、こう答えた。
「次の皇帝の件でお前がツェントルムに来る機会があればそこでまた会うかもしれない」
「そういう意味ではない」
「お前は嫌か」
繰り返された問いはあまりにも真剣そうで、笑うのは失礼だとわかっているのだが、必死に噛み殺した。
「お前は、俺と結婚するのは、嫌か。今ならまだ、引き返せるぞ」
そんな選択肢などもうないに決まっているのに、ジークはとても優しくて真摯だ。ここで誠実になっても彼には何の得もない。そもそも彼にはどうしようもない。彼こそ八方塞がりなのだ。
「……まあ、嫌だよな」
視線を下に落とす。
「申し訳ない」
「ジーク」
名を呼ぶと、彼が顔を上げた。
その瞬間、レオは両腕を伸ばした。
ふわりと彼の体を包み込んで、両手を彼の背に回した。
「そんなことは言うな」
彼の背で、自分自身の右手と左手が触れた。
レオの左手は一晩経ってもまだ痛んでいた。包帯が分厚く巻かれている。
彼が手当てをしてくれた。実際に縫合して治療したのは医者だが、ディートリヒを追い払い、安全を確保し、医者を呼び、治療費を払い、興奮が鎮まるまでそばにいてくれたのは彼だ。
いいではないか。真面目な男だ。おそらく浮気はしないだろう。
レオのことを大切にしてくれるだろう。
「惚れるとか愛するとかということはよくわからないが、僕はお前をとても好ましく思っている。僕はお前を好いている」
彼の背を、あやすようにぽんぽんと優しく叩く。
「あまり卑屈にならないようにな。お前が思っているほどお前は価値の低い人間ではない」
「……レオ……」
「お前はこれから自分の幸せを追求すべきだ。そしてそのために僕が必要だというのなら、僕は友として全力でお前を助けよう」
ジークの腕がわずかに動いた。だが奥手な彼はレオを抱き締めようとまではしなかった。ただされるがままだった。それもそれでもどかしいが、彼は彼のペースで調子を整えてもらったほうがいい。
焦ることはない。寿命が尽きるまでともにいるのだろうから、今すぐ抱き合わなくてもいい。
「大事な友達だ。そして政治のパートナーだ。僕とお前はそういう関係だ。よくおぼえておけ」
「ああ……」
ゆっくり身を起こした。照れているのかほんのり頬を染めたジークと目が合った。彼はすぐ目を逸らしてしまった。
「ちょっと」
後ろから声を掛けられた。
振り向くと、そこにディートリヒが立っていた。
凍てついた美貌に、碧眼が冷たく輝いている。
ぞっとしてジークに身を寄せてしまった。
「ずいぶんと熱烈に相思相愛のようだね。みんなを証人にする気なのかな」
みんな、と言われて我に返って周りを見回した。ノイシュティールン勢もザイツェタルク勢もみんな温かい目で二人を見つめていた。
レオはちょっと戸惑ったが、開き直ることにした。逃げ隠れするのは性に合わないのだ。
みんなが見ている。
ディートリヒには何もできない。
この状況なら、屈しなくていい。
「そうだ。僕らは夫婦になる。誰にも邪魔はさせない」
レオがそう高らかに言うと、ジークも意を決してくれたらしい。彼はレオの腰に手を回して、唸るようにこう言った。
「次に何かやらかした時には貴様をユーバー川に流す。両手足を縛った上でな」
ジークの恐ろしい言葉にもディートリヒはひるまなかった。
「僕が皇帝になったらザイツェタルクはお家取り潰しの上騎士団も改易だ」
「やれるものならやってみろ」
二人がにらみ合う。
「お前を皇帝にはしない。絶対に」
「僕以外の人間に皇帝が務まるとは思わないことだな」
「生意気なガキだ」
「ハインリヒに期待しないほうがいい。これは、脅しではない。忠告であり、アドバイスだ」
意味深なことを言った。
そう言えば、レオはハインリヒと会話したことがない。ツェントルムで
ディートリヒが踵を返した。ジークもレオから離れた。
「気をつけてな」
ジークの言葉に、レオは頷いた。
「大丈夫だ。ここから先はずっと双子と一緒にいる」
「それもそれでどうかと思うが、まあ、お前が気楽なようにな」
「では、またな」
「ああ、また」
レオはそれを最後にジークから離れて歩き出した。ノイシュティールン勢のほうに向かって、馬車に乗り込む。
馬車の中ではすでにエヴァンジェリンが待っていた。顔の下半分を扇で隠していたが、目元は笑っていた。
「母上、何を楽しんでおいでか?」
レオが威嚇するように言うと、エヴァンジェリンが「ふふふ」と声を漏らした。
「若いとはいいことですね。最高のことですよ」
「そうか?」
「お母様はあなたのことを心配していましたが、安心しました。本当はあなたに帝室に嫁いでほしかったけれど、ディートリヒは年下だし、血が濃くなりすぎると体の弱い子供が生まれると聞いたことがあります。何より――」
誰よりも高貴な生まれでありながら、彼女が一番低俗なことを楽しんでいる。
「いいではないの、愛し合う若者二人。なんてロマンチックなのかしら。惹かれ合う二人を止めることは何者にもできないわ!」
レオは大きく溜息をついた。
「女は愛されるのが一番幸福なのです」
馬車が走り出す。窓の向こうでザイツェタルク一同が軽く頭を下げて礼をしているのが見える。
「応援しますよ、わたくしの砂糖菓子。相手は一国の王だから、身分的には見劣りしませんし。本当は瞳が青くてもう少し背が高いといいのだけれど、まあ、愛の前では些細なことです」
「はあ」
大変なことになってしまったが、まあ、人生というものはこういうものなのだろう。
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