第11話 絶対にゆるさないからな
ザイツェタルクのいいところを見てくるつもりだったのに、逆に暗部を見てしまった。
レオは馬上で溜息をついた。
だが、知らないままでいるよりはずっといい。
これから生涯にわたって友として生きていくであろうジークの苦境をこの目でしかと見た。こういう状況はある程度知っておくことで仲が深まるはずだ。知らずに失礼なことを言ってしまう可能性も減る。
レオはブラウエで大切に育てられた大公令嬢だ。母はツェントルム帝室から嫁いできた純血のロイデン人だし、父も身分が低かったとはいえ一応ロイデン人ではある。しかも、ブラウエは港町で異国との交流が盛んな分、異民族差別の意識はあまり強くないほうだ。そんなレオがジークの何をどこまで理解できるかといったら疑問だ。理解すると言い切るのは傲慢なことである気もする。
だが、いつか、この友情に救われる日も来るだろう。
それも、互いに、だ。
レオが一方的に手を差し伸べるだけではない。レオもいつどんな理由で誰に助けを求めることになるかわからない。それに世界を拡げてくれただけでも十分ありがたい。
そんなことを考えながら、レオはジークの後に続いてグリュンネン城に帰ってきた。
冬のロイデンの日暮れは早い。そんなにたくさん遊んだつもりではなかったが、日はすでに落ちようとしていた。
グリュンネン大聖堂の尖塔に赤い太陽が突き刺さっている。
街並みだけ見れば美しいザイツェタルクだったが、中にはどろどろとした人間の悪意が秘められている。
グリュンネン城の外門をくぐり、石畳の坂道を上がった。馬の
内門に入ろうとした時だ。
レオはそこに人だかりを見た。
門兵が叫んだ。
「ジギスムント陛下並びにエレオノーラ嬢のお帰りである!」
一同がこちらを向いた。
しまった、と思った。ジークと二人きりで特に誰に断るでもなく外に出ていってしまった。心配させてしまっただろうか。ましてレオは川沿いの街でトラブルを起こしている。名乗らなかったがレオは目立つ。金の瞳で亜麻色の髪を短くした男装のロイデン人の娘といったら、たぶん、この世にレオしかいない。
事態はレオの予想の斜め上に進んでいた。
人だかりの中央にフレットと双子の姿が見えた。
謝罪しようと思った。みんなのことを忘れてすっかり遊び呆けてしまった自分が悪い。
人々の視線がこちらに注目した。
ザイツェタルク民と思われるロイデン人の使用人一同が二列に並んで、一斉にレオとジークに頭を下げた。
列と列の間にフレットが仁王立ちになった。
その表情は、満足げな笑顔だった。
「やあ、レオ。おかえり」
レオの背筋がぞわりと震えた。
馬からおり、兄と向き合う。
フレットはいつも笑顔だ。だが、とても満足な時とそれなりに満足な時とあまり満足していない薄っぺらな時との違いは、なんとなくわかった。
今は、とても満足な時の笑顔だ。
どうして、と不安になる。自分は勝手に遊びに出掛けたという悪いことをしたはずなのに、何が兄の心を満たしたのか。
次の時、頭の上にがつんと何かが降ってきたようなショックを受けた。
「ザイツェタルク王との逢引きは楽しかったかね?」
「あいびき?」
「男女が二人でこっそり出掛けてすることと言えばひとつだ」
フレットが、邪悪な笑みを浮かべている。
「誰にも邪魔をされずにゆっくり愛を語らうとは、素晴らしい青春だ」
レオとジークの関係を邪推されている。
気持ちが悪い。
「僕らは友達だ。友達になったのだ。恋人同士ではない」
フレットが人差し指を立てて振る。
「お前自身がどう思っているかなど関係ない。誰が見ていたか、その見ていた者がどう思ったか、だ」
双子が歩み寄ってきた。二人も楽しそうな笑顔だ。アーデルがレオの右肩を、エーレンがレオの左肩をつかんで揉む。
「いいじゃないか、レオもお年頃なんだし」
「楽しかったんでしょう? それで十分じゃないか」
「何を言っている?」
レオはジークを振り返って必死に訴えた。
「ジークからも言ってくれ。僕らはそういう
ところがジークはこう答えた。
「ごめん」
レオは両目を見開いた。
「どういう意味だ」
ジークが目を逸らす。
フレットが大仰に両手を広げた。
「しかしこれは大変なことになった。ジギスムント王におかれましては、ひとの妹を傷物にした責任を取ってもらわねばなるまい」
吐き気がする。
「我が妹エレオノーラを妻として、妃として迎えていただくことで帳尻を合わせよう。順番は逆になってしまったが仕方がない。婚約者たちが少し逢引きをした程度のことならばきっと皆納得しよう」
兄の瞳が、楽しそうに輝いている。
「ロイデン帝国が揺れている今に話を進めるのは大変なことだが、愛し合う若者たちの軽率な行動なら微笑ましいものとして皆見守ってくれるのではないかね。万が一子を授かっていたらもっと大変なことだしね」
「そんなこと……そんな……」
もう一度ジークの顔を見た。彼にすがるように、助けを求めるように声を振り絞った。
「なんとか言ってくれ。否定してくれ。お前が一言否と言えば済む話ではないのか」
ジークはうつむいたまま小声でぼそぼそと言った。
「釣り小屋の主が証言すると思う」
言われて光明が差した気がした。彼は二人が清らかな関係であることを知っている。
そう思いたかった。
「俺たちが仲の良い恋人同士に見えたと……、二人の関係を認めてやるべきだと」
「なぜ……、嘘だろう……?」
「あいつはもとはグルーマン一族の間者をやっていた者だからだ。国益を優先してひとりの人間を陥れることぐらい何とも思わないだろう。あの男は信用してはいけないんだ」
「ではなぜお前はあの男に僕を引き合わせたのだ」
「そう思われてもいいと思ったからだ」
足元が崩れていきそうだ。
「ザイツェタルクとノイシュティールンが同盟関係を結ぶには、俺はお前と結婚するしかないんだ」
双子が同時に耳元でささやく。
「逃げられない」
フレットが歩み寄ってきて、レオとジークの間に入ってきた。
「そんな色気のないことを言うのはやめたまえ。二人はあくまで愛し合っている。この殺伐としたロイデン帝国に甘く美しい幻想を見せる。なんと素晴らしいことだろう。国じゅうが喜ぶ。まあ正式に結婚式を挙げるのは皇帝陛下の許可が必要になるから当面先だろうが」
そして、レオに小さな声で言った。
「娯楽を提供したまえ。ヴォルフが離婚した。庶民たちは愛とはなんともろく儚いものかと悲観している。新しい浪漫が必要だ」
自分は民衆の上で踊らされる人形に過ぎない。
ジークが自分の首の後ろを掻いた。
そして、また、ぽつりと呟いた。
「すまない」
小さな小さな、声だった。
「ザイツェタルクには、金がないんだ。ノイシュティールンに援助してもらわないと……同盟関係にならないと……」
「
レオは絶叫した。
腹の中で沸騰した怒りに焼かれて怒鳴り散らした。
「卑怯者! 僕を
ジークは沈黙している。
「いつからだ! 最初からだったのか? 兄上と打ち合わせていたのか!?」
「落ち着け、レオ」
アーデルがそう言ってレオの腕を引いた。
「さあ、少し休もう」
エーレンがそう言ってレオの腕を押した。
双子に運ばれるがまま、レオはずるずると城の中に連れていかれた。
そんなレオをジークは無表情で見送った。
「ゆるさないからな」
レオは腹の底から叫んだ。
「お前を絶対にゆるさない! お前なんか大嫌いだ!」
ジークは何も言わなかった。
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