第10話 僕がお前の味方をしてやる

 結局二人は湖のほとりの釣り小屋に戻ってきた。

 レオは釣り小屋の主に街で起こった事件についてまくしたてるように語り続けた。

 釣り小屋の主は、レオをなだめると、小屋の近くで焚き火をして魚を塩焼きにすることを提案してきた。


 湖の岸辺で、薪に火をつけ、炎がゆらゆらと揺れる様子を眺める。炎を見ているとなぜか心が落ち着く。原初の人類も楽園で火を焚いていたに違いない。人間は神に与えらえた炎という道具に魅せられたまま現在まで続いているのだ。


 香ばしい匂いが漂ってくる。おいしそうだ。唾液があふれ出てくる。皮から漏れ出した脂が炎にあぶられてぱちぱちと爆ぜた。


「悪かったな」


 魚をかじりながら、ジークが言った。


「嫌なことに巻き込んでしまった。店で料理したほうがもっとおいしかっただろうにな」


 レオは大きく首を横に振った。


「あんな性根の腐った人間が作ったものの味などたかが知れている」


 ただ、ひとつ気にかかるところがある。

 あの料理人は、レオを思いやるようなことも言った。

 ロイデン人のレオには優しく接することができる。


 これがこの世に蔓延する差別というものの本質なのだと、レオは思う。


 きっと自分が悪いとは思っていない。自分を優しくて善良な人間だと思っているはずだ。

 ロイデン人は対等な人間で、オグズ人は邪眼を持つ人間ではない存在――本気でそう思っているのだ。


 はらわたが煮えくり返る。


 ケマルが、ザイツェタルクのようなクソ国家、と言っていたのを思い出した。

 ザイツェタルク人の多くがこういう人間なのなら、確かにクソ国家だ。


 ひょっとして、あの街に入った時ひとけがなかったのも、ジークがオグズ人の見た目をしているからかもしれない、と、いまさらながらに気づいた。

 オグズ系の王が立つのを、民衆は認めていない。


「最悪、最悪」


 口の中に残る小骨を指で引き抜いてから、レオはそう繰り返した。


「ジーク、お前はあまり人気がないようだ」

「あまりというか、ぜんぜんない。むしろ嫌われている」

「なんらかの手を打たねばなるまい。王は好かれ、愛されるべきだ」


 ジークが苦笑する。


「無理だ。誰も俺の言うことなど聞かない」


 それでは国の統治などできない。民がついてこない王など、存在していないよりたちが悪い。


「諦めるな。お前はいいやつだ。それを周知する必要がある」

「どうやって?」

「お前が自ら広報宣伝したほうがいい。もっとパーティやパレードをやれ」

「俺が一番苦手とする分野を……」


 もどかしい。彼がこんなに暗い性格になった理由はよくわかったが、残念ながら上に立つ人間は朗らかで愛される気質であるべきなのだ。歯がゆい。


「金もないし。今朝も言わなかったか、戦争で使い果たしたんだ」

「それなら僕が兄から借りてお前に貸しつけてやる。利子つきでな」

「ちゃっかりしている」


 せっかくの魚は負の方向に興奮しすぎているせいかあまり味を感じられなかった。しかも骨が多くて食べにくい。これも食堂でプロにさばいてもらえばおいしかったのかもしれないと思うと、話が元に戻る。


「自己主張をしろ。お前はしゃべらなさすぎる」

「お前はずっとしゃべってるな。ツェントルムで最初に会った時は物静かで淡白な印象だったのに、今となっては、こう、熱いというか暑苦しいというか……」

「僕は末っ子なのでずっとしゃべり続けられる」


 ジークが声を上げて笑った。

 もっとそうやって笑えばいいのに、と心から思う。彼にも喜怒哀楽がある。これが人間らしさだ。それをわかっていない国民の多さに怒りを覚える。

 この状況はけしてジークに非があるわけではない。ジークは被害者で、誰かに救済されるべきだ。だが、いったい、誰にどうやって、だろう。フレットに頼めばなんらかの手を打ってくれるだろうか。


 グリュンネン城に帰ったら、今日の出来事を詳細に兄に語ってジークを助けてくれるよう訴えねばならない。


 そこでふと、城、と考える。


 そういえば、自分たちはいつまでグリュンネンにいるのだろう。辺境伯は今朝ヴァランダンに向かって発った。自分たちもいつまでもここでこうしていられるわけではなかろう。


 今、ブラウエを長期間離れているのはまずい。

 ブラウエの港に危機が迫っているからだ。


 地元の危機を思い出して歯軋りしそうになったレオを前にして、ジークは少しくつろいだ様子でこんなことを語り始めた。


「国の中でもナメられ、国の外でもナメられる。そんなに俺はだめなのか」


 レオは反射的に「だめではない」と言ったが、ジークの言葉を反芻して、気づいた。


「国の外でもナメられているか? 普通こういう時には王侯貴族同士の横のつながりがあるものだと思うが。お前の母はオグズ人で身寄りがなかったと聞いたが、お前の祖父母の代はどうだったのだ」

「まあ、そこまでさかのぼれば大叔母や又従兄弟も何人いるんだが、みんな俺が自分から会ったことはないし、嫁ぎ先が小国であることを考えると会っても根本的な解決にならない。俺が一番困っているのはその国じゃないしな」

「どの国に困っている?」

「クセルニヒだ」


 言われてから気づいて、「あ」と漏らした。


「あのクソガキ、何もしなかった」

「あのクソガキとは?」

「イルマ女王だ。他に誰がいる?」


 ジークが顔をしかめる。


「クセルニヒにも父が死んだ件について連絡したんだ。だが、帰ってきた使者が、そんなことのために海を渡る気はない、と」


 レオも顔をしかめた。


「そんなこととは何だ、オットー陛下はザイツェタルク王だぞ。イルマ女王からしたらロイデン帝国で唯一対等な立場の人間だったはずだ」

「だがイルマ女王はルートヴィヒ帝クラスの大物でないとわざわざ葬式に行く気にならないようだな。外交より自分のティーパーティのほうが大事なんだ」

「ふざけたことを」


 二人は顔を見合わせた。


「クセルニヒにはまともな家臣はいないのか? 百歩譲ってイルマ女王が十四の子供だからそういう世情を知らないことを言うんだとして、普通の神経の臣下がいたらこんなことにはならないだろ。うちは俺がどんなでもグルーマン侯爵やケッヘム侯爵がなんとかしてくれるから一応最低限は回っているが、クセルニヒはどうなってるんだ」


 ジークも少し世情に疎いようだ。クセルニヒとは海を挟んで隣国のレオが説明してやらないといけないらしい。


「クセルニヒはまともな国家ではないぞ」


 それこそ、ザイツェタルクがクソ国家なら、クセルニヒはクソ国家の中のクソ国家、ロイデンで一番気の触れた国家である。


「あの国には宰相が一人いるが、その宰相は諜報員上がりの新興貴族だ。その宰相がうまくイルマ女王を手のひらの上で転がしていて、イルマ女王に実権はない」

「イルマ女王に実権があったらもっと大変なことになりそうなので、それはいいんだが」

「いや、イルマ女王はイルマ女王で好き放題にわがままを言っていて、その宰相が野放しにしている。女王が馬鹿であれば馬鹿であるほど忠臣たちが離れていって権力が宰相に一極集中するからな。女王のわがままに付き合っているふりをして、宰相が女王を諌める古い家臣たちを次から次へと処刑している」

「最悪だ」

「ああ、最悪だ」


 ロイデン帝国における一番まともな国家はノイシュティールンだと錯覚しそうになるくらいだ。


「しかも、お前、クセルニヒ海軍もあてにしないほうがいいぞ」

「どういうことだ?」

「半分は海賊だからだ。女王は海賊を卿と呼んで、ノイシュティールン船籍の商船を襲わせて品物をふところに入れている。ノイシュティールンの富を奪って私腹を肥やしているのだ。わがまま放題でも破綻しないのは海賊のおかげだと言える」


 ジークが溜息をついた。


「俺はそんなのを相手取らないといけないのか……」

「ああいうならず者国家をまともに相手にすると馬鹿を見るぞ」


 そして今もブラウエ港が心配である。いつ何時クセルニヒ海賊が大挙して押し寄せてくるかわからない。フレットが長期間留守にしていることを知ったら大攻勢を仕掛けてくるかもしれない。


「だが連中はハインリヒ皇子を擁立してなんやかんや騒いでいる。ローデリヒ殿下が亡くなった今、俺はハインリヒ皇子かディートリヒ皇子を選ばないといけない」


 レオは言葉を詰まらせた。


「ディートリヒは……あまりおすすめしないかも……」


 あの好色な目つきを思い出してそう呟くと、逆にジークが「そういうことは言うな」と言ってきた。


「お前はノイシュティールンの人間なんだから、建前だけでもディートリヒ皇子を支持しないと。ディートリヒ皇子は従弟で、ツェツィーリエ皇妃は叔母なんだろう?」

「はい……ごめんなさい……」


 たしなめられてうつむくと、また、ジークが笑った。


「お前、素直なやつだな。いろいろ勉強になる」


 その笑顔が切なくなってしまって、レオはいきり立った。


「ジーク!」

「何だ」

「友達になろう!」


 ジークが目を丸くして「は?」と言った。

 レオは止まらなかった。


「僕がお前の味方をしてやる! この先ロイデン帝国がどうなるかはわからない、ザイツェタルクとノイシュティールンの関係も微妙で曖昧なものだが、僕はずっとお前の味方だ」


 魚を刺していた串を地面に置いて、ジークに迫った。ジークの手から串を取り、自分の串のそばに置いてから、ジークの手を取る。

 両手でジークの両手をつかんだ。

 大きな手だった。温かい。手の内側が硬く、彼もザイツェタルク騎士らしく剣を握るのだということが察せられた。


「心配するな。僕は近々ブラウエに帰ると思うが、いつでも対応する。困ったことがあったら何でも言え」

「はあ……」

「お前が苦手なことは僕がしてやる。グリュンネン城でパーティをやれ、僕が美しく着飾って女みたいな顔をして参加してやる」


 そこまで言い切ると、ジークはまたほころぶように笑った。


「恩に着る」


 レオはほっとして手を離した。

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