第9話 川魚料理の店にて

 釣った魚を釣り小屋の主に木のかごに入れてもらった。


 案の定ジークは会話が下手くそだった。

 しかし、レオは湖面を眺めて銀色の魚が泳ぐのを見ているだけでも楽しかった。

 それに、思いのほか魚の食いつきがよく、次々に釣り上げてはジークが魚を釣り針からとってくれたので、案外間はもった。


 合間合間に他愛のない話をすることもできた。


 ジークは、呟くようにぽつりぽつりと、最近の戦争の話をしてくれた。

 ミヒャエルという善良な男が死んだこと、ガブリエラという善良な女に嫌われたこと、リヒャルトもオグズ帝国に行ってしまうことが決まった件、そして何より父オットーの死が、ただでさえ快活ではない彼の性格によりいっそう濃い影を落としているようだった。


 この湖には、その、ミーヒャとガービィと三人で来ることが多かったようだ。熱烈に愛し合っているカップルの間に挟まって居心地の悪い思いをしたこともあるそうだが、今となってはすべてなつかしく切ない思い出だ。


 しんみりしてしまった。


 魚を釣り上げた喜びも堂々と表明してもいいのか気になり、遠慮してしまう。


 ジークの中では葬式がまだ続いている。


 釣り小屋の主は二人の釣果を褒めてくれて、街にある食堂で調理をしてもらってはどうか、と提案してきた。湖で捕獲した魚をすぐに焼いて食卓に並べてくれる店があるらしい。海鮮料理が好きなレオは、川魚料理も楽しみだった。けれど、暗い顔をしているジークを見ていると、どこまではしゃいでもいいのやら、と我慢してしまう。


 馬は釣り小屋の近くにつないだまま、徒歩で坂道をくだって街中に出た。


 岸辺の狭い街では、商業施設が街の中心部の教会周辺に密集している。

 よく見ると、建物の軒下に看板がぶら下がっている。プレッツェルの絵はパン屋、蛇の絵は薬屋、靴の絵は靴屋、と来て、魚の看板がある店にたどりついた。


 レオは服が汚れるのも気にせず大事にかごを抱えていたので、ジークにドアを開けてもらった。


 店の中の第一印象はよかった。昼間だが薄暗いのがかえって雰囲気があり、見える範囲では不潔そうなところはない。木目調のテーブルと椅子が三組とカウンター席がむっつあって、そのうちテーブル席ふたつとカウンター席ひとつが埋まっていた。どこからともなく香ばしい匂いがする。最高だ。


「いらっしゃい」


 カウンターの中に、おそらく店の主であろう、筋骨隆々とした白い調理服を着ている中年の男がいる。料理に専念していてこちらを見ない。


「そこで獲れた魚を持ってきた。すぐ食べたいんだが、本日のランチにしてもらえないか?」

「あいよ。お客さん何名?」

「二人」

「テーブル席とカウンター席、どっちがいい?」


 そう言いながら振り向き、ようやくこちらを見た。


 店主とジークの目が合った。


 その瞬間、店主の表情が凍りついた。


「何しに来た」


 突然の冷たい態度に、レオは困惑した。


「出ていけ、店が汚れる」


 ジークはいつもと変わらぬ顔をしている。


「オグズのクソ野郎を入れると店が臭くなる。うちは食い物を扱ってるんだ、勘弁してくれ」


 怒鳴るような大声が叩きつけられる。


「他のお客さんにも迷惑だ」


 慌ててあたりを見回すと、確かに他の客もこちらを見ていた。みんな、白けたような、嫌な目をしている。ある女性などは手にしていたナイフとフォークを置いてしまった。


「ほら、帰った帰った。オグズ人なんかに食わせるもんはない。存在するだけで目障りだ。くにに帰りな」


 とんでもないことだった。


 ジークはザイツェタルク生まれザイツェタルク育ちだ。どこに帰れと言うのか。


 飲食物を提供している店で特定の民族にだけ食事を与えないと言い出すなど、不愉快極まりない。こちらはちゃんと金銭も用意している。客としてそれなりの待遇を受けるべきではないか。よほど無礼な客ならともかく、店内に入ったばかりで注文も済ませていない客に対してこれはひどすぎる。


 しかも、店が臭くなる、と言った。


 レオは全身が熱くなるような怒りを覚えた。


 きちんと入浴して洗った服を着ている相手に何を言っているのだろう。


 他の客となんら変わらない、人間だ。


「ふざけるな!」


 気がついたら、レオは怒鳴りつけていた。


「オグズ人だから何だ、オグズ人は食事も取ってはいけないのか」


 レオがカウンターに向かっていくと、店主は一瞬面食らった顔をした。


「あれのツレか?」

「あれとは何だ、人格のある存在に対して失礼だ」

「早く離れたほうがいい、オグズ人というのは凶悪で、みんなロイデン人に悪感情を持ってる。いつどこで何をされるかわからないぞ」


 レオのことを心配しているふうなのが余計に腹が立った。

 ロイデン人には親切にし、オグズ人には不親切にする、というのがあまりにも露骨すぎる。

 おそらく、オグズ人に対して暴言を投げつけることには悪気がないのだ。


「目を合わせずに距離を取るんだ。あの紫の目で見られたら呪われる。邪眼というのは聞いたことがないか」

「この僕がそのような迷信に惑わされるか! 僕には目が紫の友達が大勢いるがこの年までぴんぴんしているぞ」

「目が紫の友達が大勢、ねえ。なんだか意味深じゃねえか」


 ごみのほうがまだもう少し温かい目で見てもらえるのではないかというほどきつかった。


「それともなにか、この未開の部族に飼い慣らされちまったのか」

「どういう意味だ」

「誇り高きロイデン人の娘でありながらオグズの野郎どもに股を開いたのか」


 怒りで頭が弾け飛んだレオは、木のかごを床に置くと、近くのテーブルにかかっていたテーブルクロスを思い切り引っ張った。テーブルクロスの上の調味料やカトラリーがひっくり返って床に落ち、盛大にガラスが砕け散る音が響いた。他の客が悲鳴をあげた。


「テメエ何をする!」

「これ以上こんなところにいられるか! クソ野郎! 潰れてしまえ、こんな店!」


 テーブルクロスを床に投げつけた。

 そして、突っ立ったままのジークの腕をつかんだ。


「貴様みたいな性根の腐った人間の作る料理の味などたかが知れている!」

「このクソアマが!」

「いつかきっと痛い目に遭わせてやるからな、今に見ていろ」


 ジークの腕を引っ張って出入り口に向かう。扉を蹴破り、店の外に出る。


「おい、レオ」

「何だ」

「魚」


 レオは我に返った。

 一回ジークの腕を離した。

 店に戻った。

 店内にいる人間はみんな呆然とレオを眺めていた。

 床の上に置きっぱなしだったかごを手に取り、抱え、もう一度「くそったれ」と叫んでから店を出た。


 店の周りに人だかりができていた。レオがテーブルをひっくり返した音で騒ぎに気づいたに違いない。レオは「散れ、散れ!」と怒鳴りながら、かごを持つのとは反対の手でジークの服の袖をつかんで引っ張った。


「行くぞ」

「どこに?」

「知らん! ここではないどこかへ」

「どこだよ」

「ええっと、魚を食べられるところ!」


 レオがそう言った途端、ジークが声を上げて笑い出した。


「お前、おもしろいやつだな」


 笑われてしまった。

 呆気あっけに取られて、ジークの顔を見た。

 目を細め、口を開けて、大笑いしている。

 初めて見る笑顔だった。

 ほっとした。

 よかった。彼にも笑うという行為ができる。それすらできないほど心がずたずたになっていたらもっと大変なことになっていた。


「じゃあ、釣り小屋に戻るか。あのあたりで焚き火をして、塩焼きにでもしよう」


 一も二もなくその提案を受けた。

 レオはジークを引っ張って坂道を上がっていった。


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