第6話 軍事大国ヴァランダンと農業大国ノイシュティールン

 グリュンネン大聖堂は、着工から完成まで七十年の歳月を費やして造られた壮麗な建築物だ。二本の塔は天上の父なる神に届くようにと設計され、遠くからでないと全貌が見えないほど高く空へ突き上げている。赤茶の煉瓦の建材には彫刻が施されていて、正面玄関上には透かし彫りの見事な丸窓がある。


 中に入る。


 重厚感のある見た目とは裏腹に、内部は非常に明るい。上から下までガラスの窓がはめ込まれており、日光がたっぷりと差し込んでいる。

 玄関上の丸窓は全部ステンドグラスだった。華やかな薔薇窓の鮮やかな影が、床を照らしている。


 ブラウエにも教会はたくさんあるが、グリュンネン大聖堂ほど見事な聖堂はない。ここはロイデンでもっとも祈りにふさわしい場所、もっとも神に近づける場所だった。いるだけで高揚を感じて、神秘をつかめそうな気分になる。


 ここで常時祈りを捧げているのは大司教インノケンティウスだ。六十歳ほどの体格のいい初老の男性だが、しわの刻まれた顔やゆったりとした動作がおごそかに見え、本物の聖職者というものは見た目からして違うものなのだと思わせられた。ブラウエの司祭たちは酒を飲んで愉快に過ごす軽薄な連中ばかりだ。


 祭壇に棺が置かれている。前ザイツェタルク王オットーの棺だ。


 先ほど、フレットと双子が棺を開けて中身が確かにオットーであることを確認していた。入れ替わりなどが起こっていたら大変なことになるからだ。

 しかし、亡くなってからすでに半月以上が経過している遺体は生前とはかなり様変わりしているらしい。

 双子は露骨に嫌そうな顔をした。平常心でいるのはフレットばかりだ。


「まあ、レオと母上は見なくていいね」


 フレットはそう言って棺のふたを閉めた。


「とうとう来たか、ノイシュティールン勢」


 後ろから声を掛けられた。

 振り向くと、後ろ、玄関扉のほうから兄と同世代の若い男がこちらに近づいてきていた。背が高く、筋肉質で、ブラウンの髪と瞳をしている。確かヴァランダン辺境伯ヴォルフガングだ。


「やあ、ヴォルフ」


 フレットが微笑む。そして真正面からヴォルフと向き合う。


 にらむようなヴォルフの目からはフレットへの明らかな敵意を感じられた。レオはひやりとした。けれどフレットはどこ吹く風で、能天気に「お疲れ様」と言った。


「ザイツェタルクが本当に危機の時は兵を出さず、最後の片づけの段階になってようやく出てくるとはな。麦刈りは終わったのか?」


 ヴォルフの言葉を聞いて、はっとした。


 そういえば、ザイツェタルクがオグズ帝国軍にやられて援軍を求めた時、フレットは断ったのだ。そんなに冷たく、と思うくらいに、あっさり、きっぱり、すげなく使者を追い返した。その際フレットはこちらでは農繁期なのでと言ったらしい。


 しかし、これもまるっきりの方便ではない。


 実は、ノイシュティールンには常備軍がない。ザイツェタルクやヴァランダンのような騎士団も、クセルニヒのような海軍もない。軍隊を編制するならば、農民を兵士として動員する必要がある。そのため、秋に徴用しようとしたら、大きな反発を招くと思われる。ノイシュティールン大公としては、政治的な見極めが必要な局面だったのである。


 内政を選ぶか、外交を選ぶか。


 ノイシュティールン大公家の当主たちは、常にそこへ気を配ってきた。


 戦争ばかりしている国に繁栄はない。


 軍事大国ヴァランダンのようにはなるな。


「おかげさまでね。それにヴァランダンは兵を出してくれると信じていた。ヴァランダンの決断力と行動力を信頼しているのだ」

「よく言う。貴様はいざとなったら我々を捨て駒にするだろう」

「まさか。ノイシュティールンは陰から支援させていただくさ」


 フレットはジャケットのポケットから小さな帳面を取り出した。開いて、一枚目のページを千切る。そして、それをヴォルフの胸に押し付ける。

 その紙にはノイシュティールン大公の署名と取引金額、ツェントルムの銀行の印章が入っている。

 これをツェントルムの銀行に持って行くと、ノイシュティールン大公の預金口座から額面どおりの金を引き出すことができる、という寸法だ。


 ヴォルフははじめその紙を見て無防備な顔をした。一瞬それが何かわからなかったようだ。しかしそのうち国家予算の何割かという金額が受け取れるということを認識できたらしく、顔をしかめながらそれを腰のポケットにしまった。


「人は出さなくても金は出すんだな」

「金で解決できることはすべて金で解決する主義だ」

「戦争で必要なのは人だ」

「見栄を張るのはやめたまえ。装備と食料を揃えるのは金だ」


 ヴォルフは黙った。


 今度はフレットから投げかけた。


「君はヴァランダンに帰らなかったのかね? ずっとザイツェタルクにいたのか」

「ああ。戦後処理には手間がかかるから協力すべきだと判断した。それに、オットー殿の葬式をやるとなったら、参列しないわけにはいかない。冬のヴァランダン山脈をこの短期間で行ったり来たりするのは現実的ではなかった。騎兵の大半を先に帰して、俺は側近たちとグリュンネンに残った」

「優しいね。涙が出てくる」


 そう言う表情は笑っている。


「葬儀に参列するのは君とその側近たちとやらだけかね?」

「ああ、そうだ」

「カール坊やは来ないのかね」


 その指摘に、ヴォルフは少し下を見た。


「冬のヴァランダン山脈は、子供が通る道ではないから」


 そして、小声で付け足す。


「一応伝令兵や伝書鳩を使って状況を伝えてはあって……、本人は来たがったし、最後のお別れだからどうかと思ったけれど……、でもそこは本当に、雪や野生動物が心配なので……。ジークには事情を話して不義理を詫びた。カールも近いうちに謝罪と弔意をしたためた書状を送るという話になって……来年春以降に改めて挨拶を、と……」


 そのぼそぼそとした声は、最強とうたわれる大柄な男から出てくる言葉だとは思えなかった。意外と繊細そうなところがある。

 しかし、かえって誠実であるように思われた。

 政治的な思惑から冷たい態度を取るフレットより、人の生き死にに接して情を重視した対応をする。


「カールは、本当は、直接ここに来て挨拶したいと言っていたんだ。そして、戦争の惨禍というものを拝見して勉強させてほしい、と。親代わりの人間としては、これが夏だったら、そうしなさい、と言うんだけどな」


 嘘はないとレオは確信した。それがカールという少年で、これがヴォルフガングという青年だ。


「で、君は春までここにいるのかね?」

「まさか。用事が済んだら帰る。雪中行軍ぐらい毎年訓練している」

「さすがヴァランダン辺境伯殿」

「カールが心配だ。いつ貴様のように狡猾な人間につけ入れられるかわからない」

「そうだね。奥方とお子さんたちのことも心配だろう」


 フレットがそう言うと、ヴォルフが目を見開いてフレットを見た。フレットはなおも意地悪く笑っていた。


「奥方とお子さんたちは元気かね」

「知らない」

「おやおや?」

「離婚した」


 予想外の言葉に、レオも思わず「えっ」と声を漏らしてしまった。


 ヴァランダン辺境伯といえば、平民の女性との身分差を乗り越えたラブストーリーで有名な愛妻家というイメージがあった。


 教会は貴賤結婚を認めていないようだが、二人は事実婚のまま二人の子をなし、そのうち息子を次期辺境伯として育てていたはずだ。


 保守的な騎士団が合議制で政治をしているザイツェタルクとは違って、辺境伯の絶対的な権力のもとに政治をしているヴァランダンでは、周りは辺境伯の家庭に口出しをしない。

 それに、平民と言っても、なんだかんだ言って相手はロイデン人女性である。

 彼の息子がジークのような不遇に喘いでいるという話は聞いたことがなかった。


「これはこれはまた、なぜかね」

「貴様には関係ないだろう」


 そのとげとげしい声色が、追い詰められて牙を剥く獣のものに聞こえる。


 もっと事情を知りたいが、他人の家庭の事情を根掘り葉掘り聞くのは下世話ではないか。ましてヴォルフ自身は聞いてほしくなさそうな雰囲気だ。


 兄の顔を見た。


 レオは背筋が冷えるのを感じた。


 兄は、まだ、楽しそうに笑っている。


 足音が響いた。新たな登場人物が出てきたようだった。


 出入り口のほうを振り向くと、ジークがグルーマン一族を連れて入ってきたところだった。


 そろそろ葬儀が始まる。


 ヴォルフが踵を返した。フレットはその後ろ姿を笑顔で見送っていた。




 その後葬儀自体はつつがなくり行われた。

 家臣やその家族がしっとりと瞳を潤す、静かな静かな葬儀であった。

 ルートヴィヒ帝の葬儀のような騒々しさは一切なかった。これが普通なのだと思うが、あの後に参列した葬儀なので、前ザイツェタルク王オットーの人徳を感じる。


 棺はそのまま大聖堂の地下にある歴代のザイツェタルク王の墓所に納められるのだそうだ。


 騎士たちに担がれて階段をおりていくところを、レオも胸の痛みを感じながら見送った。


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