第5話 威容の都グリュンネン

 ツェントルムから一両日ほど船に乗り、ツェントルムとグリュンネンの中間地点くらいの街で馬車に乗り換えた。そこから先は幅も狭く水深も浅くなるので、一般の客船は遡上できないのだそうだ。


 馬車はのんびり坂道をのぼっている。なかなか先に進んでいる感じがしない。これなら馬で行ったほうが圧倒的に速いはずだ。


 レオには乗馬の心得がある。馬で坂道をあがるのはそんなに難しいことではない。だが、令嬢は馬にまたがらないものだと言われてしまった。悔しい。


 今は護衛代わりの双子だけが馬に乗っていて、フレット、エヴァンジェリン、そしてレオはひとつの馬車に押し込められている。これが高貴な身分というものか。窮屈極まりない。もともとは商家であった大公家には過ぎた行いだと思うが、高貴な身分から降嫁してきたエヴァンジェリンが教育に熱心で面倒臭い。


 悪路をのぼり続けるのは疲れる。


 途中で馬車が止まった。


「休憩だ」


 アーデルがそう言って馬車の扉を開けてくれた。レオは嬉しくてすぐに飛び出した。


 馬車は小さな村の中に入っていた。ここで食事をとらせてもらえるらしい。村の上役と思われる年配の男性とエーレンが談笑していて、なごやかな雰囲気だった。


 あたりを見渡した。


 そこには美しい景色が広がっていた。


 南には青い山脈がそびえ立っていて、尾根には白い雪が積もっている。その山から続く森は黒く鬱蒼と茂っていて、子供の頃に夢中で読んだ絵本の御伽噺おとぎばなしを連想した。北側には崖があり、下を覗き込むとユーバー川が悠々と流れている。しかもそのユーバー川はレオが知っている藻や泥濘で緑に染まった川面ではなく、時々白い水飛沫をあげて荒ぶる透明な水をしていた。


「ザイツェタルクに来たのだな」


 感動してそう呟いたレオに、フレットが話しかける。


「おもしろいかね」

「ああ、とても」


 兄に微笑みかける。


「ありがとう、兄上。すばらしい旅行だ」


 すると兄は意味深長な顔で微笑み返した。


「レオがザイツェタルクを気に入ってくれたのならば私は嬉しい」


 レオは何か引っかかるものを覚えながらも、何が引っ掛かっているのかわからなくて黙った。


 二人はアーデルに呼ばれるまで無言で渓流を見下ろしていた。




 王都グリュンネンは威容の街だった。


 幾重もの城壁に囲まれており、真ん中の小高い丘の上にいかめしいグリュンネン城が鎮座している。

 都の中心に天まで届くかと思うほどの塔が二本見えたが、あれはグリュンネン大聖堂の塔だそうだ。あそこでザイツェタルク王オットーの葬儀が行われるらしい。


 だが、レオはここに至っては純粋に美しい街だと喜ぶことができなかった。


 石組みの家々が焼けただれて、中には崩れているものもある。通りの隅にはぼろきれのような服をまとった老女が座っていて、スープボウルに金品を投げ入れられるのを待っている。馬車にも貧しい身なりの子供がまとわりついてきて、随時双子が追い払っているようだ。


「お金をちょうだい」


 馬車の外から、甲高くて大きな声が聞こえてくる。


「お金持ちなんでしょ。何かちょうだい!」


 レオの向かいで、フレットが言った。


「聞かなかったふりをしたまえ」

「でも」


 子供たちが哀れで、レオは眉尻を垂れた。


「きっとお腹をすかせている」

「きりがない。今目の前にいる子だけを助けても意味がない。飢えた子供は次々と現れる。それに、この子たちの後ろに元締めみたいなやつがいて、収獲したものをぶんどってふところに入れる、というケースもある。その場しのぎの対応は救いにならないのだ」


 胸が痛んだ。


「どうしてこんなことに。グリュンネンは由緒正しい街なのではなかったのか」

「歴史があることと富があることは比例しない」


 フレットは言い切った。


「四大国でもっとも富める都は我らがブラウエだ。よくおぼえておくように」


 ブラウエは古くからユーバー川を通じた交易の港として存在していたが、今ほど拡大したのはレオとフレットの祖父の代だ。つまりまだ五十年にもならない都なのである。それに比べて三百年の歴史をもつグリュンネンがこうというのは心許こころもとない。


「ましてオグズ帝国との戦争からまだ一ヵ月も経っていない。犠牲者のしかばねがすでに片づけられていて死臭を嗅がずに済んだだけマシだと思いたまえ」

「そうだった」


 レオは心が沈んでいくのを感じた。


「この惨状はザイツェタルク王の失政の結果だ。復興はザイツェタルク王の仕事なのだ。ジーク青年になんとかする才覚があるといいのだがね」


 いつもと変わらぬ調子の兄に、レオは少しだけ反発してみた。


「他人事だな」


 兄には人の心がないのだ。だから、こういう状況を見ても平然としていられる。

 恐怖と畏怖は表裏一体、そして畏怖と尊敬も紙一重だ。レオは兄を信頼しているが、こういう時には恐ろしいと思う。


「そんなことはない」


 口ではそう言いながらも、フレットはうっすら笑みさえ浮かべているのだ。


「ザイツェタルクが窮乏すると、ノイシュティールンが金を注いで延命措置をする必要がある。しっかりしてもらいたいものだ」

「結局我が家、我が国の心配か」

「もちろんだとも。他に何があるのかね?」


 城門を抜けて橋を渡る。グリュンネン城はユーバー川の水を使った堀に囲まれていると聞いた。

 いよいよだ。


 窓から外を見ると、濃い灰色の石材を積んで造られたグリュンネン城の姿が間近に見えた。

 戦争の影響だろうか、一部が崩れていて、大きな布が掛けられている。痛ましい。


「城塞都市グリュンネンか」


 オグズ帝国軍は三百年難攻不落だったグリュンネンを攻め落とすところだった。


 馬車はくねくねと何回も曲がり角を通った。敵軍の侵入を少しでも遅らせるためにこういう構造になっているのだ、という説明を受けた。


 ややして、エーレンに外から「馬車からおりて」と言われた。


「ここから先は徒歩か馬でないと入れない。おりて。館はすぐそこだから大丈夫」


 そう言われて、三人は馬車をおりた。


 目の前に最後の門が立ちはだかっていた。馬車はこの門をくぐれずこの近くにある停車場に運ぶらしい。


 伝説の英雄の末裔であるザイツェタルク騎士たちに見守られて、城門から中に入った。


 城門から館の玄関まで、殺風景な空間が広がっていた。冬に向かって草花が死に絶え、石畳が寒々として見えた。鉄柵の向こう側遠くに見える湖だけが美しく輝いていた。あの湖からユーバー川が始まるということだ。


 玄関先に数人の男たちが待っていた。中央に立つ青年を除いてあとは皆騎士服だった。歴史のあるザイツェタルク騎士団の男たちだ。


 中央に立っているのは黒髪の青年だった。さらりとした直毛の黒髪は男性のわりに滑らかで、前髪の下の大きな目には紫の瞳が埋まっている。肌の色が他の騎士たちに比べると少し濃い。だが彼は高価そうなブラウスとタイ、ザイツェタルクの国旗の色である濃緑のコートを羽織っていて、いかにも高貴な身分の男という身なりだった。


 彼が、前ザイツェタルク王オットーの息子にして今まさにザイツェタルク王になろうとしている男、ジギスムントだ。


 レオは息を呑んだ。


 この男、覇気がない。


 前にツェントルムで会った時も少し心配だったが、ザイツェタルクを統べる王としてはあまり順調な滑り出しであるとは言えなさそうだ。


「ようこそお越しくださいました」


 彼、ジークが淡々とした声で言った。最低限の挨拶はできるということだが、愛想笑いもしない。ノイシュティールンではよく、女は度胸、男は愛嬌、という。レオは両方持ち合わせていると自負しているが、ジークは両方ないかもしれない。


「ノイシュティールン大公フリートヘルム殿、そのご母堂エヴァンジェリン様、そして妹姫のエレオノーラ嬢」

「あまり堅苦しくせずともよい。我々はともにロイデン帝国を切り盛りしていく立場の同志ではないか」


 フレットはそう言うが、正確には王位をもつザイツェタルクのほうが格上なので、こちらが膝を折るべきである。


 そうと気づいていながらも、レオは何も言わずにフレットの隣で胸を張って黙っていた。こういうのはナメられたほうが負けなのだ。エヴァンジェリンもそうしている。淑女の前では騎士が頭を下げるものだ。


 そういう空気を察したのはジークの斜め後ろに立っていた男だ。五十代くらいだろうか、白髪混じりの黒髪で、縦にも横にも体の大きい、威厳のある男である。ツェントルムで会った。確かオットーの一番の家臣であるグルーマン一族の長だ。騎士団で一番の重役だ。


「エヴァンジェリン様とエレオノーラ嬢にご挨拶申し上げます」


 彼は重そうな体をものともせず華麗な足裁きで前に出て、滑らかな動作で片膝を折った。エヴァンジェリンの手を取って口づけをするふりをする。レオにも同じように挨拶した。完璧だ。


「ほら、ジーク」


 グルーマン氏に促されて、ようやくジークが動き出した。


 レオの前で片膝をつき、レオの手を取った。


 淑女たれ。甘んじてそれを受けよ。


 堂々とした態度で受け入れると、隣でフレットが言った。


「どうだね、ジーク」


 ジークが立ち上がる。


「何がだ?」

「私の妹は美しいだろう」

「はあ、まあ」


 レオは眉間にしわを寄せた。


「美人だとは思わなくもないが」

「え。その程度か?」


 思わず口が滑った。

 ジークがレオの顔を見た。きょとんとしている。

 やってしまったかもしれない。


 フレットが笑った。


「ジーク。こういう時は、ロイデンで一番の、とつけるものだ」


 それを聞いたジークが、鼻で笑った。


 笑われてしまった。


「まあ、俺が過去に出会った中では一番かもしれないな」


 レオはなんだか侮辱された気分になってしまったが、淑女はこんなことで怒りをあらわにするべきではない。無言で、にこ、と微笑んでおいた。


「ありがとうございます。過分なお言葉、恐縮でございますわ」


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