第2話 がんばればきっとお姫様になれる 2

 子供の頃からそうだった。


 レオは女の子として振る舞うのが苦手だった。


 はっきりといつからかはわからない。物心がついた時にはすでにこうだったと思う。


 どうしてそうなのかも、いまいちよくわからなかった。


 小さい頃はよかった。女の子ばかり四人も続いた我が家では、幼い末っ子が長男の真似をしてズボンをはいたり男性的な言葉遣いをすることを可愛いと言ってくれた。レオは兄に倣って本を読み、剣を振るい、馬に乗って育った。


 しかし、ある時、決定的に自分が兄とは違う生き物であることを思い知らされる。


 初潮である。


 ひとより少しだけ成長が早かったレオは、その日を、十一歳の時に迎えた。

 その現象の意味を知った時、全身がばらばらに砕け散るようなショックを受けた。

 自分も女なのだ、と思わせられること、そしてそこから生じる体の違和感が何よりも苦痛だった。


 体が丸みを帯び、柔らかくなり、手足がすらりと伸びる。


 ただそれだけの当たり前の変化がこの上なく嫌だった。


 けれど、それを止めるすべはない。


 それに、親きょうだいはとても喜んでくれる。


 家族の祝福に耐えられない気持ちでいる自分を悲しいと思った。


 ある時、そんなふうに落ち込んでいるレオをおもんぱかった祖母が、こんなことを言った。


 女とは難儀な身の上だ。ありったけの教養もかぐわしい美貌もすべて政治のために吸い取られていく。嫁ぐだけの悲しいさだめがつらいのだろう。


 そういうものだろうか。どう足掻いても男の道具でしかない自分の人生が悲しいのだろうか。


 母や姉たちのように生きるのが嫌なのだろうか。


 そんな失礼なことがあるだろうか。彼女たちの生き方を否定して、自分だけ男のように好き勝手やりたいなどというわがままを言うわけにはいかない。


 レオは人一倍努力した。刺繍も声楽も勉強した。歩き方も矯正した。家族のために、ノイシュティールンのために、淑女になろうと思った。

 それが心底嫌なわけでもなかった。夢中になってレースを編むのは楽しく、詩を読むことも煩わしくない。女がすることと言われていることに特別な拒否感があるわけではない。


 それでも何かが掛け違えたように合わない。


 そうして苦しみ続けるレオに、兄が決定的なことを言った。


 お前は心と体の性別を間違えて生まれてきたのかもしれない。


 その言葉はレオの心にすっと入ってきた。


 そうか、自分は心が女ではないのか。


 そう思った途端レオは一瞬解放された。


 レオのその時の安心した顔を見た時のフレットは、レオに自分のおさがりを与えて大学に通い双子と交流することを許した。


 これも最初のうちはよかった。

 ドレスを着なくても済む。コルセットをしなくても済む。髪を長く伸ばして結わなくてもいい。


 髪を切り落とした頭が軽い。


 ところが困ったことに、これはこれで何かが合わなかった。


 大学の仲間たちと酒場に出入りして店員に絡んだり、双子と徹底的な討論に挑んでみたり、というようなことが、なんとなくだめなのだ。


 レオはつらかった。


 男として振る舞うこともできない。


 女ではなく、かといって男にもなれない。


 どちらにも所属できない。


 自分は欠陥品だ。人間として何かが欠落している。


 どこに行っても、自分はどちらでもない。


 まともではない。


「ブラウエにいるうちはいいのですよ、フレットの目が光っていますから、いくら甘えても。ですが世界じゅうのどこに行っても、とは――」

「いいや、世界じゅうのどこに行っても私の目は届くのだがね。別に永遠に私が守ってあげてもいいのだが」


 この兄が言うと実現しそうで頼もしくも怖くもある。

 事実、フレットの目の届く範囲内ではレオは呼吸をしやすかった。フレットはレオをただのきょうだいとして見ていて、妹として扱うことはない。かといって粗雑にされるわけでもない。もちろん男の仕事を押し付けてくることもない。この屋敷の中にいる限り、レオは安心安全だった。


 ところが、だった。


 今日、兄はとうとうこんなことを言った。


「しかしレオ、残念ながら、私はお前にはとびっきりの縁談を準備している。とびっきりの、しかし誰も目をつけてこなかった、どこよりも歴史があり格式が高い家の息子でありながらちょっぴり不遇な結婚相手だ」


 いよいよ来たか。


 現実を直視する時が来た。いい加減女に戻って、政治の道具として結婚すべき日が近づいた。


 我慢しなければならない。この体は確かに女なのだ。それにドレスや化粧が絶望的なほど嫌いなわけでもなかった。


 ただの甘えだ。我慢していればいつか慣れる。大人になったら普通の女性になれる。


 がんばればきっとお姫様になれる。


「私のきょうだいでもっとも美しく教養と愛嬌のあるお前には、私が厳選したとびっきりの名門の配偶者が待っているのだ」


 体が硬くなる。指先が冷たい


「何ですの、どこですの」


 母の声が明るく弾んでいる。


「そんな話今までしてくれなかったではありませんか。嬉しい。そうならそうと早くおっしゃいよ」

「母上、慎みたまえ。レオはそんな楽しそうな様子ではない。我が子の顔色ぐらい読みたまえよ」


 息子にたしなめられて、母が「ごめんなさい」とうなだれた。


「それに、まだ下準備が必要だ。横槍もいろいろ入る。まずは目の前のことを着実にひとつずつ片付けていかねばなるまい」

「まあ、あなたのような天才の手を煩わせるなんて」


 誰も聞いてはいないのに、声をひそめて訊ねる。


「ディートリヒかしら」


 フレットは首を横に振った。


「いいや、違う。間接的には関係があるかもしれないが、直結はしていない」

「何なのよ、はっきりおっしゃい」

「とにかく、冬が来る前にちょっとしたおでかけの用事ができた」

「どちらまで?」

「ザイツェタルクの王都、歴史と宗教の街グリュンネンだ」


 それからまた予想外のことを言う。


「レオも連れていこうと思っている」

「え、僕を」

「そう。大事な儀式だからね」

「どうしてレオまで、そんな急に」


 フレットが、にっこり笑った。


「ザイツェタルク王オットーが死んだ。また葬式だ。なかなかおもしろくなってきたね」


 不謹慎すぎる。


「ちょっと、兄上」

「さあ、とっとと行ってとっとと帰ってこよう。ザイツェタルクに雪が降る前に」


 不安になってきたが、たぶん大丈夫だろう。兄の判断が間違ったことなど過去に一度もない。兄についていって酷い目に遭ったことなど記憶になかった。

 しかし、ザイツェタルクは遠い異国の地だ。温暖なノイシュティールンとはぜんぜん違うらしい。ブラウエには雪は降らないのである。


 逆に考えて――


「……少し、雪を見てみたいかもしれない」

「そうだろう、そうだろう。それならば少し滞在時間を延ばしてもいいね」

「雪国旅行だ」

「そうだとも、楽しみだね、レオ」


 毛皮のマントを着よう、と思った。うさぎの毛皮を使ったとびっきりのお気に入りだ。ツェツィーリエがプレゼントしてくれたものだが、ブラウエの気候ではなかなか着る機会がなかった。ようやく活用する日が来た。


「ともに行こう、私たちの可愛い天使よ」


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