第14話 ヌルギュルとの会談

 状況がまるっきり逆転した。今度は帝国軍のほうが苦境に立たされており、ザイツェタルクおよびヴァランダン連合軍に降伏する形になった。


 ヌルギュルとの会談は、今度、グリュンネン城の正門の中に入って玄関ホールへ続く前庭で行われることになった。軍とヌルギュルを引き離すためだ。交渉が決裂した時にまた兵士たちに襲われては困る。


 しかし、そういう無理難題を、ヌルギュルは無条件で受け入れた。オグズ軍はよほど痛い思いをしたと見える。


 ヴァランダンにはどんなに感謝しても感謝し尽くせない。


 だが、ヴァランダンの裏側には、例のクラウス皇子がいる。


 クラウス皇子とは、いったいどんな男なのだろう。


 それは今は置いておいて、ヌルギュルとの会談である。


 今回、彼女は甲冑を着て現れた。勇ましい女戦士の姿はオグズの兵士たちを奮い立たせるには充分だったのではないだろうか。気の強そうな紫の瞳は、今もまだまったく心が折れている感じには見えない。ともすれば会戦の申し入れにきたのではないかと思うほどの堂々たる態度であった。


 会談のために設られたテーブルで、ヌルギュルとジークが向かい合って座った。そして、その二人と直角に、二人ともから顔が見える位置にヴォルフが座ることになった。ヌルギュルもジークも完全に一対一ではなく、後ろに複数人の従者や兵士を控えさせているが、ひとまずこの二人で首脳会談という形になる。


 正直なところ、こういう場に出たことのないジークには何を言ったらいいのかわからない。先ほどグルーマン侯爵に吹き込まれたことをそのまま繰り返すだけだ。あとはヴォルフを頼るしかない。

 情けないが、仕方がない。無理をしてザイツェタルクをふたたび危機に陥れないようにしなければならない。経験はこれから積んでいく。


 口火を切ったのはヌルギュルだった。


「我々は引き返す。どうしたら追撃せず無言で見送っていただけるのか、条件を提示していただきたい」


 素直で単刀直入な申し出に、ザイツェタルク側に安堵の空気が広がった。


「互いにほぼ無条件で武装を解くと約束しろ」


 ヴォルフが言った。


「オグズ帝国軍はヌルギュル殿の言ったとおりこのままオグズ帝国に引き返す。何もするな。すれば今度こそ我らヴァランダン騎士団が殲滅する」

「恐ろしい話だ。もちろん貴殿の言うとおりにする」

「撤退するにあたってザイツェタルク側からも攻撃しないよう俺が保証しよう」

「ありがたき幸せ」


 ヌルギュルがジークのほうを見て意地悪そうに笑った。


「よかったな、頼りになる兄貴分が来てくれて」


 まことにそのとおりなので、ジークには文句を言えなかった。


 ヴァランダンの件には触れず、ザイツェタルクの話に進む。


「ユーバー川の利権について、こちら側も譲歩することにした」


 緊張で震える拳をテーブルの下に隠した。


「さすがに通行税の免除とまではいかないが、オグズ帝国政府の発行した通行許可証を持っている人間が船に乗る時には優遇する。ザイツェタルク王の名のもとに保護し、無事にツェントルムとグリュンネンを行き来できるよう手配する。それで手打ちとしていただきたい」


 ヌルギュルが頷いた。


「ありがたい話だ」


 そして、また、意地悪そうに笑った。


「ザイツェタルク王の保護というのがどこまで通用するのかわからんが、楽しみにしている」


 ジークは頬が熱くなるのを感じた。からかわれている。


「ただひとつ、敗者の側から言うことではないと思うが、約束してくれたらありがたいことがある」


 警戒しながらも首肯した。ここにはヴォルフもグルーマン侯爵もいるからなんとかなるだろう。


「何だ、言ってみてほしい」


 次の時、ヌルギュルは少し悲しそうな笑みを見せた。


「ロイデン帝国に住まう同胞を解放してやってほしい。我々はもう彼らのために軍を差し向けることができない。だがあまりにも、あまりにも悲しい」


 紫の瞳が、まっすぐジークを見ている。


「連れて帰れる人間は連れて帰らせてくれ。でも、全員は無理だろう。ここで築き上げたものがある人間もいる。家庭をもった人間もいる。そういう人々に無理をさせたくないのだ」

「そうだな」


 ヌルギュルはとても優しい。オグズ帝国で育ったオグズ人というのはみんなこんなに情に厚く優しい人々なのだろうか。


 そう思ってから、ようやく気がついた。


 オグズ人がどんな人たちなのか、ジークは知ろうとしてこなかった。ただ自分の境遇を呪い、半分オグズ人であることを忌まわしいことだと思っていた。


 それこそが差別心だったのではないか。


 オグズ人の血を引いていることについて否定的だった自分が恥ずかしい。


 だが、ヴォルフの言うとおりだ。自分が生まれたのはあくまでロイデン帝国でありザイツェタルク王国なのだ。オグズ帝国ではない。その点では自分はロイデン人であり、オグズ帝国に譲歩しすぎないほうがいい。


「俺が、どうにかする」


 それは実質的には保留も同然だったが、ヌルギュルは少し表情を緩めてくれた。


「がんばれ、少年」

「来月二十歳だ」

「おお、そうか。それはすまんな」


 彼女が呵呵かかと笑う。


「ところで、話はまったく変わるのだが」


 敵味方双方に緊張が走った。

 彼女は至極真面目な顔をしている。


「そなた、兄弟はあるか」


 急にどうしたのかと思い、ジークは目をしばたたかせた。


「ない。父オットーの子供はどうやら俺一人のようだ」

「そうか、残念だ」


 ヌルギュルが溜息をつく。


「いいか、こういう時には、子や兄弟を結婚させて人質を送ったり送られたりするものなのだ」


 想定していなかったアドバイスに、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


「私がもう少し身軽だったら先の皇帝スルタンの姉である私が王であるお前と結婚してこの身を捧げるべきなのだが、私がいなくなったらオグズ帝国が滅ぶ。我が弟ムスタファはまだ幼く子供を作るに至らなかった。他に男兄弟はない。女だが私が皇帝スルタンとなって次につなぐ必要があるだろう」


 あまりのことにジークは動揺して硬直してしまった。

 だが、冷静に考える。

 ロイデン帝国内でも、ザイツェタルクがリリアーナを、クセルヒニがマルガレーテを、ノイシュティールンがツェツィーリエをツェントルムにやったのは、同盟の強化の意味もあった。ルートヴィヒ帝に姉妹を送り込むことで表向きだけでも恭順を示していたのだ。

 帝国の中のことだが、一種の外交だった。

 それを、帝国の外ともやる、ということか。


「俺には、もう、近しい血縁者がいない」


 ジークは意識的に呼吸しながら答えた。


「兄弟はなく、父も妹しかおらず、父の上の代はみんな墓の下だ。父の妹の子である従兄弟もローデリヒ殿下だけだった。母方の親族も聞いたことがない」

「天涯孤独なのだなあ」


 しみじみと言われてしまった。いまさら自分の身の上が寂しくなってきた。


「なんの、陛下にはグルーマン一族がおりますよ」


 斜め後ろからリヒャルトの少しふざけたトーンの声がする。


「乳兄弟の私とは実の兄弟も同然ではありませんか」


 そう言ってリヒャルトがジークの肩をつかんだ。そんなリヒャルトの行動をヌルギュルは見逃さなかった。


「ほう、乳兄弟なのか。それはいい。世間では産みの親より育ての親とも言う」

「あら、そうです?」

「ではお前が私の婿に来い」


 斜め上の展開だった。


「ザイツェタルク王の兄弟がいい。私と一緒にオグズ帝国に来ていただきたい。私はお前の子を産んで育て、同時に半永久的にザイツェタルクを優遇しよう」


 気が動転して言葉を失ったジークの隣で、リヒャルトがヌルギュルを見つめる。

 ヌルギュルはリヒャルトをまっすぐ見つめて、今度は妖艶に微笑んだ。


「こういう場に堂々と出てくる胆力、なかなか見込みがある。今夜はグリュンネン城に泊まって本当にふさわしいかチェックしてやろう」


 ジークも他の家臣たちも何も言えなかったが、リヒャルトはひょうひょうとしていた。


「承知致しました。今夜は私が女皇帝スルタン陛下をおよろこばせするに足る人間であることを立証しましょう」

「よろしい。いい度胸だ」


 我に返ったジークが、リヒャルトの服の袖をつかんだ。


「何を言っているんだお前は」


 リヒャルトは涼しい顔をしている。


「最小限の労力で最大限の権益を得たほうがいいわよ」

「お前はどうなるんだ」

「オグズ帝国に行くんじゃない?」

「敵国だぞ」

「今和平交渉しているでしょう」

「でも――」

「いいじゃない、おもしろそうだから」


 彼はいつもどおりだ。


「私にはロイデン帝国は狭いということよ。帝国の外に飛び出るなんて、おもしろいことになってきたじゃないの。どうやらロイデン語も通じるみたいだし、次の皇帝スルタンの父親になれるかもしれないわけでしょう?」


 ヌルギュルがまた大きな声で笑った。


「おもしろい。頼もしいぞ」


 グルーマン侯爵が三歩前に出てきた。彼はどうやら勝手に話を進めようとしている息子に腹を立てているようだ。リヒャルトの後頭部を後ろから叩いて、「馬鹿者」と嘆いた。

 ヌルギュルが「お前は何だ」と侯爵をにらんだ。侯爵が溜息をつきながら「この者の父親です」と答える。


「ふうん。舅殿は息子をオグズ帝国にやるのが嫌か」

「そういうわけではございませんが、ロイデン帝国の国難の時に好き好んで離脱する奴があるかという話でございます」

「そう言えば皇帝が死んだのだったな。そっちもそっちで後継者問題があるということか。ローデリヒとかいう皇子は我々が殺してしまったし」


 話が早くてありがたい。彼女の頭の回転の速さには恐れ入る。


「実は、俺も、ロイデンの次の皇帝が決まるまでは正式な王になれなくて」


 正直に告白すると、ヌルギュルはちょっと考えてくれた。


「では、ロイデンの皇帝が決まったらその者を迎えに来ることにしよう。それまで保留にしておくので、準備しておいていただきたい」


 グルーマン侯爵はたっぷり間を置いてから、答えた。


「承知しました」


 リヒャルトが「やったー」と笑った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る