第13話 熊は退治した、クラウス殿下の名のもとに

 ヴァランダン騎士団の登場により、形勢は一気に逆転した。

 騎士団にほふられたオグズの戦士たちの亡骸なきがらは、無惨な形で野に晒された。城下は血に濡れ、城から城下町に続く道がすべて戦士たちの亡骸で埋め尽くされたと言っても過言ではない。


 ロイデン最強の騎士団の名は伊達ではなかった。圧倒的な力であった。


 ヴァランダン辺境伯ヴォルフガングは、オグズ兵士たちを馬で踏みつけつつ、真正面から堂々とグリュンネン城に入った。

 ザイツェタルク一同はそれを拍手と歓声で迎え入れた。ジークが冠をかぶった瞬間の数百倍は明るいムードだ。

 しかしそれをどうこう言えるほどジークは強くなかった。ジークは愚かでもなければ賢くもない。助けに来てくれた辺境伯に何も考えず礼を言うほかない。


 正門から入ってすぐの前庭で、ヴォルフは馬からおりた。その場で赤い房のついた銀のかぶとをはずして、軽く首を横に振った。短髪と言うには少し長いライトブラウンの髪が左右に揺れた。毛の長い大型犬の仕草のように見えた。

 そこに、ザイツェタルクの上層部の一同が駆け寄る。


「ようこそおいでくださいました。心より御礼申し上げます」


 グルーマン侯爵がそう言って胸に手を当てる礼をすると、その場にいたザイツェタルク民全員が同じように頭を下げた。


 ヴォルフは至極冷静な顔をしていた。


「オットー殿はどうした」


 グルーマン侯爵が悲しげな顔をしながら答えた。


「お亡くなりになりました。和平会談に失敗して、矢で射殺されたのです」

「そうか。残念だ。心よりお悔やみ申し上げる」


 ジークはツェントルムで父が彼のことを儀礼だ何だにうるさい男だと言っていたのを思い出した。逆に考えれば、礼儀正しい男なのだ。こういう状況ではまず死者が出たことにお悔やみを伝えるということをする。それだけでものすごく立派な人物に見える。


「さぞかし苦労されたものとお見受けする。以後俺がフォローするのでご安心されたい」


 久しぶりに人間らしさというものは何かということに思いを馳せた。

 これが、真の意味で上に立つ者の態度だ。


「名門ザイツェタルクでは辺境のヴァランダンごとき頼りにならぬとおおせならばまた別だが」

「とんでもない! 唯一正規軍を率いて助けに来てくださったお味方にそんなことは」


 ザイツェタルク民たちは立ったままへこへこと情けなく頭を下げ続けた。


 そのうち、グリュンネン城の下働きの一人が折りたたみ式の椅子を持ってきて、ヴォルフのすぐそばに置いた。ヴォルフは落ち着いた態度で甲冑を着たままその椅子に座った。ザイツェタルク民はみんな立ったままだ。


「オットー殿が亡くなられて、それから? 後継者は息子のジギスムントだったな」


 名前を呼ばれて、ジークは心臓が跳ね上がったのを感じた。

 視線がジークに集まる。逃げられない気がして一歩前に出る。


 ヴォルフと真正面から向き合った。


「で、お前はいつ王位を継ぐ?」


 緊張のあまり口内が粘ついているような気がする。


「できる限り早急に……、というか、今投石が始まるまで礼拝堂で王冠を明け渡す儀式をしていたはずだった」

「そうか。では俺もお前をザイツェタルク王としてそれ相応の態度で接しなければならんな」


 ジークは目を真ん丸に見開いた。


「俺を王として認めてくださるのか」


 ヴォルフが目をまたたかせる。


「認めるも何もあるか、ザイツェタルクの人間がそうと決めたならそうだろう。ヴァランダン民の俺が口を出すことではない」

「でも、ザイツェタルク王は皇帝に承認してもらうべきものであって……、皇帝はロイデン内の諸国に承認してもらうべきものであって……、つまりはヴァランダンにも拒否する権利があるということに」

「そうかもしらんが、少なくともカールはそんなみみっちいことを言う器の小さな人間ではない。あの子から話を聞いた感じではあの子のほうはお前に好感を持っているようだしな」


 あの時の天使のような顔をした少年の姿が眼裏まなうらに浮かんだ。脱力してその場に座り込みそうになったが、なんとか耐えた。


「我がヴァランダンは気に食わないことがあるならば正々堂々武力を持って決闘なり何なりするから心配するな」


 それはそれで最強の陸戦部隊と一戦交える可能性が残されているということでもあるので少々怖かったが、今ばかりは頼りになった。


「この俺がお前をザイツェタルク王として認める。剣と王笏おうしゃくを持って立て」

「はい……!」

「そして逆らう者をことごとく打ち倒す力を身につけることだ」


 軍隊の国ヴァランダンを率いる者は、勇ましい。


「ナメられないように強くなれ。お前が強ければ誰も何も言わなくなる」

「はい」


 ジークは頷いた。

 そして、ここ数日、否、物心がついてから十数年溜め込んできた不満を口にした。この勢いで言っても、この男にならば聞いてもらえるような気がしたのだ。

 力強く導いて、答えを授けてほしかった。

 ザイツェタルク民は誰も聞いてくれない。


「ただ、俺は母親がオグズ人だから、オグズ帝国と戦争をすると、周りにいろいろ言われるんだ」

「くだらない」


 ヴォルフは一蹴した。


「人生は、親が何人ではなく、どこで生まれどう育ったか、だ。けしてロイデン人が善の優等人種でオグズ人が悪の劣等人種というわけではない。だが、お前がザイツェタルク王になると決めた以上は、王であるお前にとって、ロイデン帝国が味方でオグズ帝国が敵だ。それ以外のことには何の意味もない」


 あまりにもシンプルな解に感極まって泣きそうになったので、奥歯を噛み締めた。


 後からついてきたヴァランダン騎士団の騎士がヴォルフに水筒を差し出した。ヴォルフはその水筒から水を飲んだ。いまさら接待らしい接待ができていないことに気づいたザイツェタルク一同が「辺境伯殿にお飲み物を」と騒ぎ出したが、ヴォルフが「いい」と突っぱねた。


「訂正だ。ロイデン帝国の他の国が本当に味方かどうかは注意深く見極めろ。俺もザイツェタルクで出されたものを安易に口に入れると毒殺されるかもしれない」


 ふと笑ったのはリヒャルトだ。父であるグルーマン侯爵が彼の頭を叩いた。


「クセルニヒとノイシュティールンはどうした」

「助けに来てくれませんでした。海を渡るのは大変だとか、農民が忙しいとか、なんだかんだ理由をつけて」


 ケッヘム侯爵が「そうだ、貴殿も」となじる。


「熊がどうとかおっしゃって最初は断られたではありませんか」


 ヴォルフがしれっと言った。


「熊は退治した。それなりに骨を折ったがザイツェタルク民の信頼を得られるなら安い代償だっただろう」


 どこまで本当かはわからない。


 続けて、彼はちょっと表情をくつろげてからこんなことも言った。


「助けに行ってやってほしいとおっしゃったのはクラウス殿下だ。クラウス殿下に感謝するように」


 複雑な話になってしまった。ルートヴィヒ帝に取り憑いた亡霊、息子のいたいけなカール少年を操って帝位を狙っている男、クラウス――それが助け舟を出してくれたとは困ったことだ。助けてくれるのはありがたいが、また別の駆け引きが始まったように思う。


「謝礼はカールの帝位継承を認めることで手を打ってやるぞ」


 ヴォルフは真面目な顔だ。


 ジークは言葉に詰まった。

 これは即答してはだめだ。


「ちなみに、ローデリヒ皇子のご遺体はヴァランダン騎士団が回収させていただいた。ご遺体のあの様子では、ザイツェタルクで一度埋葬してからのちほどご遺骨をツェントルムに改葬するのがよろしかろう」


 みんな沈黙してしまった。


 この男はすでにザイツェタルクが擁立すべき皇子を失っていることを知っている。


 だが、だからといってカールに乗り換えるのは正しい選択か。


 ジークは、王になりたくないけれど、王になった。

 カール少年は、皇帝になりたいのか。


 門の向こうから呼びかける声が聞こえてきた。馬に乗ったヴァランダン騎士だ。


「閣下! 火急の知らせが」


 ヴォルフが立ち上がる。


「どうした」

「オグズ帝国軍から停戦の申し入れが来ました! 女皇帝スルタンヌルギュルと名乗る女が姿を見せ、会談を持ちたいと主張しています」


 彼がジークのほうを見る。


「女皇帝スルタンヌルギュル、という女に心当たりはあるか?」


 ジークは頷いた。


「先の、父が死んだ和平交渉の際に現れた皇帝スルタンの姉だ。皇帝スルタンムスタファが亡くなったので代理をしているのだと思う」

「そうか。ならば話をしたほうがよさそうだな」


 ヴォルフは、「来い」と言ってマントを翻した。


「ザイツェタルク王として、和平の話をするためについて来い」


 ジークは素直に返事をした。


「はい!」

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