第11話 祈りを捧げます

 礼拝堂の中ではまだ血のにおいがするとのことで、城にこもった人々は大広間で救世主の像と燭台を並べただけの簡易な祭壇に向かって祈っている。


「神は乗り越えられぬ試練などお与えにならない。神はいつでも見ておられる。祈れば救いは必ずきたる」


 いつの間にか避難してきたらしいインノケンティウスが、信徒たちを前にそう説教をしていた。あんな男でも一般民衆には慕われており、みんなの心の拠り所になっている。ジークにとっては気持ちを萎えさせる害悪だが、この国においてはまったく不必要な存在ではないのだ。


「祈りなさい、されば救われん。祈れば罪は赦され、必ずや救われん」


 何も知らぬ避難民たちの慟哭と祈りの声が聞こえる。


 礼拝堂代わりの広間の半分、何もないスペースにテーブルを置いて、ザイツェタルク家臣団たちの協議が続いている。


「もうだめかもしらんな」


 弱気なことを言うのはケッヘム侯爵だ。敬愛していた王が死に、溺愛している一人娘が夫を失った悲しみから体調を崩して戦線離脱したこともあって、精神的に参っているらしい。


「全面降伏しよう。開城して、すべてを明け渡そう。あとは四大国の他の国がなんとかするだろうし、なんともならずにロイデン帝国が滅んでも、後の世にザイツェタルクという国が残らないのであれば何もかも一緒だ」


 それに対して、息子を殺された怒りがまだ収まらないアッシェンバッハ伯爵が唾を飛ばして言う。


「開城すればあの蛮族どもは城の中にいる人間を女子供まで殺すに決まっている。徹底抗戦だ。戦い抜いて最後の一人まで誇り高くあるべきだ」

「勝つ見込みはまるでないのだぞ。我々が二十年前にザイツェタルクに下ったオグズ人を受け入れたように、オグズ人もオグズ帝国に下ったロイデン人からは命まで取らないはずだ」

「甘い。オグズ人どもなど信用できるか」


 グルーマン侯爵が溜息をついた。


「いずれにせよ頭が欲しいところだ」

「頭?」

「旗印になるような王だ」


 一同がグルーマン侯爵のほうを向く。

 グルーマン侯爵は険しい顔をしていた。この数日で十年か二十年分くらい老けたように見える。


「オットー陛下が亡くなって城内に絶望感が広がっている。我々も最終決定権を持つ頭領がなくては議論が紛糾する一方で収まらん。ここはまず次の王を立ててからにしよう」


 そして、ジークを見る。


「なあ、ジーク。いや、ジギスムント王子」


 アッシェンバッハ伯爵が立ち上がった。


「オグズ帝国と戦っている今オグズ人の王が立つことを認める奴があるか!」


 しかし、ケッヘム侯爵は次の王という存在に小さな希望を見出したらしく、さほど元気になったわけでもなさそうだが、それなりに明るい声で言った。


「陛下の最期の時に居合わせた者たちは、陛下が命を捧げてでもジークを守ろうとしたこと、そこまでしてでもジークに王位を継承させたがっていたことを知っている。陛下に忠誠を誓った者なら受け入れてくれるはずだ」


 そして、少しうつむく。


「旗印になってくださるかも知れなかったローデリヒ殿下はあのざまだし」


 実はあのあと、堀に落ちたローデリヒを回収したのはオグズ帝国軍であった。


 ローデリヒの肉体はどう見ても蘇生の見込みがないほど損壊し、誰もが目を背けるほど悲惨な状態になっていた。


 オグズ帝国軍は、ローデリヒを引き上げたあと、その遺体を槍に刺して掲げて周囲に見せびらかしている。さすがにその行為は野蛮だと言われても仕方がないだろうが、最初にムスタファを手にかけたのはローデリヒだし、こちらからは非難の声明を出すくらいしかできることはない。


 ローデリヒの評判はザイツェタルクの内部では地に落ちていた。


「まあ、あんな馬鹿皇子を皇帝にして恥をかくはめにならずに済んだと思えば」


 リヒャルトが歯に衣着せずそう言った。父親のグルーマン侯爵は「馬鹿はお前だ」と叱ったが、おそらく誰もが同意見だろう。


「何もかもが一から出直しだ。それでもザイツェタルクという国を残したいならば交渉役として王を立てて話を進めるしかない」


 アッシェンバッハ伯爵が「こいつにできるのか」と疑問を投げかける。


「ずっと黙って父親のすることを見ていただけの、こいつが」


 ジークも自信がなかった。王どころか、この場にいることだけでも本当はきつかった。


 ミーヒャも、ローデリヒも、オットーも失った。死んだわけではないが、実質的にガービィも失った。

 その衝撃は想像だにしなかったショックをジークに与えていた。


 もう、椅子に座っていることすら耐えがたい。


 それでもここにいるのは、それがオットーの――父の望みだからだ。


 自分が、やらなければならない。

 ザイツェタルク王オットーの一人息子である自分が、やらなければならない。


 それは、呪いだった。


「大丈夫だ、ジーク」


 グルーマン侯爵が優しい声で言う。


「我々グルーマン一族が応援する。私がいるし、リヒャルトもいるし、他の息子たちもいる」


 今のジークはそれを信じるしかない。


 でも本当は、全面的に頼ることはできない、とも思っていた。


 ジークが立てば、ジークを養ってきたグルーマン一族が実権を握る。


 グルーマン侯爵はすでにザイツェタルク騎士団の副団長だが、団長である王が死んだ以上彼が団長代理として仕事をするだろう。そしてジークが王になってもジークは騎士ではないので、結局のところ彼が団長になるしかないだろう。

 騎士の国ザイツェタルクでは、騎士団長は大きな力を持っている。本来の騎士団長は王だ。

 グルーマン侯爵が実質的な王になる。


 それを、彼は狙っているのではないか。


「疑う者は救われぬぞ」


 はっと気がつくと、祭壇の前で説教していたはずのインノケンティウスがすぐそばに立っていた。気づかなかった。どうも深く考え込みすぎていたらしい。


 インノケンティウスはジークの顔は見ていなかった。どこか遠くを見つめたままだ。しかしジークの隣に立ち、ジークに確かに語りかけていた。


「異教徒であるオグズ人は地獄に落ちる。しかしお前は聖隷教の信徒である。そうと信仰告白をするのであれば、私は戴冠式を執り行ってやってもよい」


 意外な翻意にびっくりした。


 驚いたのはジークだけではないらしい。インノケンティウスの血縁者であるアッシェンバッハ伯爵も「叔父上!」と叫んだ。


「ザイツェタルクは神の国、神の軍隊たるロイデン騎士の国ぞ。ここで滅亡させてはならぬ。神は野蛮な異教徒どもにこの国を明け渡してはならぬと言われるであろう」


 この男は、あくまで神のしもべなのだ。ザイツェタルクの聖職者として、なすべきことをなそうとしているだけなのだ。


「一番苦労するのはお前自身だぞ、悪魔の子よ」


 彼は話を続けた。


「ザイツェタルク民の多くがお前に石を投げるであろう。この戦争で家族を失った者は多いからな。しかしお前が自らの罪を認め、悔い改め、神にひざまずいて祈りを捧げれば、慈悲深い神は愛をもって赦してくださるであろう」

「俺の罪か」


 ジークはうつむいて訊ねた。


「俺の罪とは何ですか、猊下」


 インノケンティウスはなおもジークを見ぬままこう答えた。


「この世に生まれたことだ」


 この世こそ地獄だ。


「しかし人間は誰もが大なり小なり罪を背負っている。お前の罪が特別重いだけのこと。悔い改めよ。祈りなさい、されば救われん」


 みんなインノケンティウスの言葉に聞き入っていた。ジークはうつむいているので誰がどんな表情をしているかはわからなかった。


 生まれてきたことの罪を認め、悔い改め、祈れば、父の期待に応えられるということか。父の後を継いで政治をやるためには、まずは自分自身を否定することから始めなければならないということか。


 消えてしまいたいが、今の自分にはそれすら許されない。


「ジーク」


 グルーマン侯爵が優しい声で言った。


「受け入れなさい」


 もう誰も信じられない。


「もちろん形だけだ。お前が自分のことをそんなふうに卑下する必要はない。しかし形式を、建前を重んじる人間は大勢いる。形だけでいいから、そういうふうに振る舞いなさい」


 ジークは、頷いた。


 それが、自分を愛してくれた父に報いるということなのだ。


 罪を背負って、生きるということ。


 生まれてきてしまった自分に課せられた、罰。


「わかった」


 死んでしまいたかった。


「祈りを捧げます。王に、なるために」


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