第6話 五百騎の男

 ジークとローデリヒは、オットーの言いつけどおり、二人で部屋を移動した。行き先はローデリヒのために整えられた賓客室だ。外国の王侯貴族を迎えてもいいようにみっつの間がひと続きになっていて、寝室、応接室、荷物置き場として使える衣装部屋がある。


 応接室のソファで、二人向かい合って座る。


 気まずい。何の話をしたらいいのかわからない。


 もともとしゃべるのは苦手なほうだが、今は戦時中に出ていけと言われた者同士慰め合うことしかできないように思われて、余計に気が重くなる。


 しかも相手は五百騎の義勇兵しか連れてくることができなかった男だ。ツェントルム正規軍を動かすことができなかった人間だ。

 アスペルマイヤーのせいとはいえ、もうちょっと人徳があるものだと思っていた。途端に彼が皇帝になることについて不安が込み上げてきた。

 これがディートリヒだったらどうだったのだろう。ハインリヒだったらどうか。カールはヴァランダン生まれヴァランダン育ちだから論外だろうが、クラウスだったらどうだっただろうか。他の皇子たちのことを想像してしまう。


「俺が五百騎しか連れてこられなかったこと、がっかりしたか」


 ジークの胸中を見透かしたかのように、ローデリヒがそう言った。ジークは慌てて「滅相もございません」と言ったが、ローデリヒは自嘲的な悲しい笑みを浮かべてジークを見つめていた。


「五百でも立派な軍団です。ツェントルムではえ抜きの騎士たちなのでしょう」

「そう言ってくれるとありがたいが、伯父上はそう思っていなさそうだからな」

「戦争が始まってゆとりがなく、殿下に当たっているのです」

「そのゆとりをもたらす存在でありたかった」


 援軍を連れてきてくれた若者にこんなことを言わせる父にこそがっかりした。


 ジークが黙ったのを見て、話題を変えなければならないとでも思ったのだろうか。

 次の時、ローデリヒはこんなことを言い出した。


「お前のほうはどうなんだ」

「え?」


 何の話だかわからず、ジークは目をしばたたかせて首を傾げた。

 とんでもない方向に話が進んだ。


「オグズ帝国にパイプはないのか」

「どういうことですか」

「お前の母親はオグズ人だろう。オグズ帝国出身ではないのか。そのつながりで、お前にはオグズ帝国政府に顔が利く人間はいないのか、と訊いている」


 この男は何を言っているのかと、まじまじと眺めてしまった。


「俺の母親は庶民だったそうですよ。政府につながりなんてとんでもない。しかも二十年前にオグズ帝国からザイツェタルクに連れてこられてから一度も帝国に帰ったことはないそうです。親類縁者が生きているのか、生きていたとしてザイツェタルク王の愛人になった女のことをどう思っているのか」

「親類縁者の女の息子ならば可愛いだろう」


 びっくりしてしまった。この男は本当に何を言っているのだろう。


 そんなジークの驚きに気づいているのかいないのか、ローデリヒは微笑んだ。


「伯父上は俺のことを愛してくださっている」

「ああ」


 ジークは彼に失望した。


 この男は、オットーの妹の子であるというだけで、オットーの愛情を、オットー率いるザイツェタルク民の支持を得られると思っているのかもしれない。だから、ジークにももし伯父や叔父がいるとしたら、その人が後ろ盾になってくれるのではないか、と思っているのだろう。


 話は逆だ。ローデリヒがザイツェタルクに恩恵をもたらしてくれるのではないかと思っているからみんなローデリヒに親切にしているのであって、ローデリヒが何ももたらせない存在だったら支援する気も失せるだろう。

 五百騎の男だ。

 それにがっかりしたオットーにこんな部屋に押し込められている、ということに、気づいていないのだろうか。


 外戚が頼りになるのは自分の地盤固めのためであって、愛情ゆえのものではない。そこを履き違えているようだ。


 自意識過剰だ。


「敵国であるザイツェタルクの王の愛人になった女を、オグズ人はどう思っているのか」


 同じようなことを繰り返して言った。

 ローデリヒは笑っていた。


「名門ザイツェタルク王家に見出されて喜んでいるのでは?」


 どこまで本気で言っているのか。


 非常事態にこそ本性が浮き彫りになるとはよく言ったものだ。


 扉がノックされる音がした。ローデリヒはすぐ「入っていいぞ」と答えた。グリュンネン城の中は彼にとって安全地帯で誰何すいかする必要もないのだ。


「失礼致します」


 入ってきたのはガービィとミーヒャだった。二人とも騎士服を着て帯剣している。

 二人はローデリヒの前にひざまずいて頭を下げた。


「わたしはガブリエラ・ケッヘムと申します。殿下の護衛につくよう王からおおせつかまつりました」

「同じく、ミヒャエル・ケッヘムと申します。妻のガブリエラとともに殿下のおそば近くに仕えるよう申しつけられております」


 普段幼馴染の連中と戯れている時は二人とも幼く馬鹿っぽく振る舞うのに、ここぞという時は騎士としてきっちり決めてくる。ジークはこういう時にも劣等感を覚える。ジークはきちんとした見習い期間を設けられなかった分騎士の身分がない。


 ローデリヒが「おもてを上げよ」と鷹揚な態度で言った。


「お前がケッヘム家の跡取りか?」


 彼の目はまっすぐミーヒャを見ていた。その視線を受けて、ミーヒャがにこりと人の良さそうな笑みを見せた。


「僕は婿に入った立場で、後継者といえば後継者かもしれませんが、正式な次期当主はガブリエラのほうです」


 ガービィが顔を上げ、頷く。


「わたしがケッヘム家直系唯一の子でしたので、わたしが後を継ぐようにと父に言われております」

「え、女にか。それで騎士の家系としてまともに存続できるのか?」


 その言葉に、一瞬空気がひやりとした。ガービィがケッヘム家の次期当主であることなど当たり前のことだったので、ザイツェタルクでは誰も話題にしたことがないのだ。


 ザイツェタルクは血統を重んじる。性別がどうか、よりも、当主との血縁関係が近いか、のほうを気にする。女であっても直系ならば正当な後継者だ。ガービィと似たような経緯で当主になった女騎士は他にもいる。ましてガービィは剣術も槍術も優秀なので、ザイツェタルク民は文句をつけたことがない。


 複数妻を持ってでも男児を増やすツェントルム帝室ではこういう相続問題は起こらないということか。


 どうも常識が違う。


おそれながら殿下、わたしもそれなりの鍛錬は積んでおります。殿下がお求めとあらば殿下を相手にでも剣技を披露させていただくことも可能ですが」

「女と剣を合わせる趣味はない」


 それでもガービィは揺るぐことのない堂々たる態度だ。


「ケッヘム侯爵も苦労するな」


 とんでもない。ケッヘム侯爵にとってガービィは自慢の愛娘だ。敵方であるアッシェンバッハ家の息子との恋愛結婚を認めたほどの溺愛ぶりなのだ。


「そうかもしれません」


 ガービィは冷静に曖昧な返答をした。


 今度、ローデリヒの興味はミーヒャに移ったらしい。彼は改めてミーヒャのほうを向いた。


「お前はどこの家の人間だ?」


 ミーヒャもゆるく笑みを保ったまま答えた。


「アッシェンバッハ家の次男です」

「アッシェンバッハだと?」


 ローデリヒが眉を吊り上げる。


「よく婿入りを許したな」

「父であるアッシェンバッハ伯爵も妥協点を探していたのでしょう。我が実家はこのままでは立場が危ういと判断し、グルーマン派との融和の道を採ったのです」

「そうか。お前も苦労したな。父が折れ、自分は婿入りさせられて、ずいぶんな辱めを受けたものだなあ」


 そんなことは、この二人を多少なりとも知っている人間なら、言わない。


 あまりにも、無神経だ。


 ミーヒャもガービィも澄ました顔をしている。


「どのみち次男で継ぐ土地もないものですから。両親も、旧家であるケッヘム家にやって体面を保ち婚資も得たので、今は何とも思っていないことでしょう」

「そうか。しかし、婿だなんて。俺だったら恥ずかしくて耐えきれん。お前は立派だ」


 ジークのほうがはらわたが煮え繰り返る思いだった。

 この幼馴染二人がこんなふうに侮辱される日が来るとは思っていなかった。

 怒りを覚える。

 この二人に対しては勝手に距離を感じて卑屈になっていたが、こういう物言いをされたら怒りを抱く程度には友愛を抱いていたらしい。


 ミーヒャとガービィは大人だ。実年齢はガービィが二十二でミーヒャが二十一、二人ともジークと二、三歳しか違わないのだが、こんなことを言われても落ち着いたやり取りができるとは、二人をみくびっていた。


「まあ、いい。俺も剣の腕には覚えがある。お前らのことも守ってやるつもりでいるから、安心するように」


 二人はまた頭を下げた。


 ジークは困った。

 こんな男を支持しなければならないとは、ザイツェタルクの将来が不安だ。少なくともジークは、この男をロイデン皇帝にしたいとは思わなくなってしまった。


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