第7話 殺される前に殺す

 オグズ帝国軍の快進撃は止まらず、ザイツェタルクは村や小さな町だけではなく都市まで南から次々と落とされていった。


 今回の戦争の特徴は、都市が内側から開放されてしまい、市壁の中に立てこもることができないところだ。

 都市の中に住むオグズ人が勝手に門を開けてオグズ軍を招き入れてしまうのである。

 オグズ軍は正面から堂々と入ってきてロイデン人を殺した。


 市壁から離れて城壁の中に退避するロイデン人に反攻するすべはなく、ただひたすら援軍を待って耐え忍ぶ日々を送っているらしい。


 当然グリュンネンからも援軍を送ってどうにかしようとしているが、ロイデン人の城を囲むオグズ軍、オグズ軍を囲むザイツェタルク軍、という構図があっちでもこっちでも展開してしまい、打破する糸口は見えないと聞く。


 そうこうしているうちに、オグズ軍の一部がグリュンネンに迫ってくる。


 一部、といっても、彼らは道すがらザイツェタルクに住んでいたオグズ人の一般人を巻き込んで常に増強している。どこかで包囲戦、攻城戦になっても、オグズ軍はトータルで見ればそんなに小さくなっていない。

 しょせん一般人で、鍛えられた軍人とは違う。だから隙はあるはずだ。ザイツェタルク軍の人間は口々にそう言って互いを励まし合っているが、長年虐げられていたオグズ人たちの怒りはすさまじく、士気は想像以上に高い。みんな行く先々でロイデン人への復讐を果たしているのだそうだ。


 グリュンネンにもオグズ軍が近づいている。


 いったいどこから情報が来るのか、ザイツェタルク軍上層部しか知らないはずのそういう話がすでに市中に出回っていて、喜び勇んだオグズ人たちはロイデン人があきなう店舗を略奪している。


「オグズ軍が到着すれば救われる! 俺たちのロイデン人への攻撃もオグズ軍の助けとなるはずだ!」


 そんな流言が市内各地に飛び交い、オグズ人たちの反乱を肯定している。


 市内に残った騎士団が巡回して鎮圧に当たっているが、そこでオグズ人を殺すとますます反感を募らせる。負のループがいつまでもどこまでも続く。


 最悪なことに、グリュンネン城内にもオグズ人労働者がいる。


 彼らはザイツェタルク王に忠誠を誓って人質として家族を差し出した人々だ。

 しかし黒髪に紫の瞳であることには変わりはない。

 オットーは彼らを呼び出してひとまとめにし、城内の礼拝堂に集めた。


「我々は陛下に忠誠を誓った者です」


 召し使いたちが泣きながら騎士たちに訴える。


「けして裏切ったりなどしません。だからお許しください」


 騎士たちが彼らをあしらう。


「わかっているが、念のためだ」

「信じてくださらないのですか」

「仕方がないだろう、お前たちが向こうを敵だと思っていても、向こうは仲間だと思っているかもしれない」


 礼拝堂の中にすすり泣く声が満ちた。


 その様子を、ジークは、ローデリヒ、ガービィ、ミーヒャと見に来ていた。


 召し使いたちの中に、ジークに会いたい、と言う者たちがあったからだ。


「ジーク様にお会いさせてください。我々の希望、我々の王子なのです」


 そんな訴えを聞いて、ローデリヒが満足げに言った。


「ほら、お前はやはりロイデン人とオグズ人の架け橋になるべきなのだ。お魔のその紫の瞳がきっとザイツェタルクに住むオグズ人たちを救うだろう」


 気持ちが悪かった。


 しかしよくよく話を聞いてみると、ロイデン人とオグズ人の混血のジークは本当に城内のオグズ人たちに期待されているらしい。自分たちの団結の象徴としてジークをいただきたいらしかった。ジーク自身が注目されることをいとって向かい合わず今の今まで交流がなかったので知らなかった。


 こんな状況になってしまったら、もう、逃げられない。


 自分の一挙手一投足を、ザイツェタルクに住むすべてのロイデン人とオグズ人が見つめている。


 こんなに居心地の悪いことがあるだろうか。


 礼拝堂の中に入ると、押し込められていたオグズ人たちが歓声を上げた。


「ジーク様、よくぞお越しくださいました」

「どうぞこの混乱をお諌めください。我々を開放し、城下のオグズ人たちの罪をお許しください」


 うつむいて口ごもる。


「そんなことを言われても……」


 けれどオグズ人の召し使いたちは諦めなかった。ジークを囲んで手を伸ばしてきた。

 ミーヒャとガービィが「落ち着きなさい」「離れなさい」と言って振り払おうとする。

 しかし、召し使いたちはどんどん押し寄せてくる。このままだと圧死しそうだ。ジークを偶像か何かだと思っているのだろうか、勝手に頭や肩などあちこちに触られた。

 途中で我慢しきれなくなったジークは、いつにない大きな声で「やめてくれ」と怒鳴ってしまった。

 みんな静まり返った。


 注目されている。


 嫌だ。


 動悸がする。手が震える。


 見られたくない。


「どうして、みんな、俺のことを放っておいてくれないんだ」


 すると、あるオグズ人の男が、こう答えた。


「我々はきっと今日のためにマーフペイケルを差し出したんだ」


 頭に雷が降ってきたような衝撃を受けた。


「差し出す?」


 男が頷く。


「マーフペイケルを人身御供に捧げてまで忠誠を示したというのに、そのマーフペイケルの息子であるあなたがそんな態度では、彼女が浮かばれないのではありませんか」


 召し使いたちが「そうだそうだ」と叫んだ。


「待ってくれ」


 喉から声を搾り出す。


「俺はそんな経緯で生まれたのか?」


 召し使いたちが本格的に固まった。


「母は父を愛していなかったのか?」


 彼女の幸せの絶頂期は、父の子であるジークを育てていた時だと思い込んでいた。


 彼女は城のオグズ人たちの忠誠を認めてもらうために王にからだを捧げたということか。


 そんないびつでグロテスクな流れで彼女は自分を身ごもったのか。


 扉が突然開いた。


 振り向くと、甲冑を着たアッシェンバッハ伯爵が肩を怒らせて入ってきていた。表情も硬い。眉を吊り上げ、オグズ人たちをにらみつけている。


「父上、どうしましたか」


 ミーヒャがそう問いかけると、アッシェンバッハ伯爵は吐き捨てるように答えた。


「殺せ」

「え?」

「オグズ人どもを皆殺しにしろ」


 アッシェンバッハ伯爵の緑の瞳は、本気だ。


「城下のオグズ人どもが裏切って城門を開けた。こうなったらグリュンネンのオグズ人を一人でも減らすしかない。殺される前に殺すぞ」


 彼が連れてきた騎士たちが次々と剣を抜いた。オグズ人の召し使いたちが叫び声を上げて逃げ惑い始めた。


「やめて!」


 騎士たちの剣が丸腰のオグズ人たちを斬り殺す。怒号、悲鳴、血の香り、祈りを捧げるための礼拝堂が殺戮の現場に変わる。


 ロイデン人がみんな敵になったと認識したのだろう。オグズ人たちも顔色を変えた。

 あれだけザイツェタルク王への忠誠がどうこうと言っていた彼らが、騎士たちにつかみかかり、剣を奪い、反撃に出た。

 当然訓練された騎士には敵わない。剣に近づけば怪我をする。けれど何人ものオグズ人に一斉に囲まれては騎士たちも混乱する。


 ある騎士の首が、オグズ人が奪った剣にね飛ばされた。

 歓声が上がった。


 ガービィがジークとローデリヒに近づいてきた。


「危険です。逃げましょう」


 ローデリヒは「ああ」と頷いたが、ジークは動けなかった。


 剣を持ったロイデン人が、無抵抗なオグズ人を犯した。

 そうして生まれた罪の子が、自分だ。


 このままここにいたらどうなるのだろう。


 ロイデン人として、オグズ人に殺されるのか。

 オグズ人として、ロイデン人に殺されるのか。


 死んでしまいたい。


 オグズ人の男たちが、礼拝堂の燭台や説教壇の聖書台を引っくり返した。もはや誰もこの礼拝堂を神聖な場所だとは思っていなかった。


「ジーク!」


 ミーヒャがジークの名を呼んだ。


「危ない!」


 ミーヒャのほうを振り返った。


 突如ミーヒャに抱き締められた。


 それから、ご、という、鈍い音がした。


 何が起こったのかわからなかった。


 ミーヒャの頭から、真っ赤な血が流れてきた。彼はジークより背が高いので、彼の頭から流れてきたものはジークの顔面にしたたって頬を汚した。


 また、ご、ご、という音が聞こえた。


 ジークは目を丸くした。


 ミーヒャの背後に、オグズ人の若い女の姿が見えた。

 彼女は大きな燭台を振り上げて一生懸命ミーヒャの後頭部を殴っていた。


 すぐにガービィが駆けつけた。

 彼女も剣を抜いてオグズ人の女を斬りつけた。

 オグズ人の女が倒れ、血の海に沈んだ。


 それを確認して安心したのか、ミーヒャが膝を折った。崩れ落ちた。


「ジーク」


 ミーヒャの大きくて温かい手が、ジークの手首をつかむ。


「怪我はない?」


 急いで首を横に振ると、ミーヒャが微笑んだ。


「そう。よかった」


 それきり、彼は目を閉じて沈黙した。


 ガービィの悲鳴が響き渡った。


 ジークには何もできなかった。


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