第5話 戦争は定期的にやっておこうということか 2
「どういうことだ、ほんの一ヵ月前に会って話したばかりだぞ」
「詳細は調査中で我々にもわからない」
アスペルマイヤーは、肝っ玉の小さい男ではあったが、実務はそれなりにできる男だった。皇帝亡き後もしばらく政治を回し、一応それなりの葬儀を執り行うことができた。彼を突然引っこ抜いたらツェントルム政治は立ち行かなくなるに決まっている。
「これはおおっぴらに言わないでほしいのだが」
そう前置きしてから、ローデリヒはとんでもないことを言い出した。
「暗殺されたようだ。胴体に何箇所もの刺し傷がある状態で発見された」
想定外の事態だ。
「誰に」
「それがわかれば苦労しない」
「どうして」
「わからないが、あの遺体の状況からすると怨恨だろうな」
「恨まれるようなことをしたのですか」
「それも下手人が特定できない以上はっきりとはわからないが、三十年も父の下で政治家をやっていれば恨まれることのひとつやふたつあったに違いない」
オットーが溜息をついた。
「事故か突然の病と言うほかなさそうですな」
「そういうことだ。おおやけにできない。と、いうようなことを処理している状況で軍隊を動かせるほど俺の権限は強くないのだ」
それでもオグズ帝国からザイツェタルクを守れと檄を飛ばして兵を集めてくれるものだと思いたかった。
そんなに人望がないのか。
彼の力では五百が限界か。
考えを改めた。
やはりローデリヒは頼りない。
ツェントルム軍が動けば正規兵だけで一万はかたかっただろうに、痛すぎる。
「まあ、大丈夫だろう。ロイデン帝国にあるのはツェントルムだけではないからな。この危機なら他の四大国だって動くに違いない。特にノイシュティールンが動けば最低でも二万はなんとか」
「殿下から何かノイシュティールンにはたらきかけてくださったのか?」
ローデリヒが沈黙した。
不安すぎる。ノイシュティールンはディートリヒの国なのだ。まさかロイデン帝国が危ういという今に帝位継承の兄弟喧嘩をするとは思いたくないが、フリートヘルムの腹のうちはわからない。
執務室がまったくの静寂に包まれた。窓の外で小鳥がさえずるのだけが聞こえた。
また、外から扉をノックする音が聞こえてきた。一同が我に返って扉のほうを向いた。
「陛下、いらっしゃいますか」
「どうした」
「各国に伝令にやった者たちが続々と帰ってまいりました。お通ししてもよろしいですか」
「もちろんだ」
ケッヘム侯爵が「いいタイミングだ」と拳を握り締めた。
ジークも胸を撫で下ろした。ツェントルム兵五百と聞いたばかりの宙に放り出されたような気分の今に援軍の話が届くのはありがたい限りだ。少しでも安心したい。
「失礼致します」
扉が開くと、三人の若者が次々と入ってきた。いずれもザイツェタルク軍の緑のマントを身につけた騎士である。
三人とも、沈痛な顔をしていた。
聞く前から嫌な雰囲気だ。
三人が並んでオットーの前に膝をついた。
「申し上げます」
一人目が名乗った後こう報告した。
「クセルニヒから戻ってまいりました」
「そうか。で、クセルニヒは何と言っていた?」
「クセルニヒは海軍の国、陸戦でお役に立てる兵士はいないとおおせでした。その海軍も海のないザイツェタルクではどうにもならないと申しております」
二人目が名乗った後こう報告した。
「ノイシュティールンから戻ってまいりました」
「ノイシュティールンは何と?」
「これから農繁期で兵士を集められないとのことでした。農業国であるノイシュティールンにご配慮いただきたいとのこと」
三人目が名乗った後こう報告した。
「ヴァランダンから戻ってまいりました」
「まさかヴァランダンもか」
「ヴァランダンはすでに雪が降りそうで熊の出没情報も頻発し山越えに不安がある、と辺境伯が申しております」
絶望的だ。最悪の事態に陥ってしまった。
「俺がもう一度呼びかけてみる」
ローデリヒが震える声で言ったが、オットーが「およしなさい」と止めた。
「連中はザイツェタルクに滅んでほしいのかもしれません」
「馬鹿な。ザイツェタルクはロイデン帝国建国より前からある名門中の名門だぞ」
「だからこそでしょう。直接手を下さずに消し飛んでくれれば御の字。我々はロイデン帝国の中では陸戦に強い国ですから、正攻法で戦って勝てるのはあのヴァランダンでも五分五分といったところです。どこも正面衝突したくないのでしょうよ。ましてローデリヒ殿下の後ろ盾がなくなるだけで自分の国の皇子が皇帝になる可能性がぐんと上がるわけですからな。自分の手を汚さずにオグズ帝国軍に滅ぼしてもらう算段かと」
ジークは顔をくしゃくしゃにゆがめた。
ロイデン人とはここまで愚かなのか。
ザイツェタルクは建国当初からずっとオグズ人の侵攻を食い止めてきた。ザイツェタルクはロイデンの盾だ。
ザイツェタルク騎士団があってこそのロイデン帝国ではないのか。ザイツェタルク騎士団が滅べばそれだけロイデン帝国の滅びも近くなるということがわからないのか。
わからないのだろう。
それより、自国の利益優先だ。
「我々だけで戦うしかないな」
グルーマン侯爵が言った。ケッヘム侯爵が「最悪だ」と嘆いた。
「こんなことになるなら、二十年前にオグズ帝国を決定的に滅ぼすべきだった」
そんなアッシェンバッハ伯爵の言葉に、オットーが「できたら苦労していない」とぼやく。
「オグズの犬どもを殲滅してやりたい。一匹残らずこの世から消し去りたい。でないと我々の子や孫が危険に晒される」
「オグズ人もロイデン人について同じことを思っているだろうな」
グルーマン侯爵がまた溜息をつく。
「困りましたな。我々は老いた。息子たちは戦争を知らない」
ケッヘム侯爵が鼻で笑った。
「戦争は定期的にやっておこうということか?」
「悲しいがそう言わざるを得ないな」
誰も声を発しなくなった。
しばらくしてから、オットーが三人の若者たちに「下がってよろしい」と告げた。若者たちが部屋から出ていった。
「ロイデン帝国にあるのは四大国だけではない。都市国家群が味方してくれることを祈って、まずは我々だけでできることを探ろう」
王の言葉に一同が頷く。
次に、王は息子のほうを向いた。目が合って、ジークはどきりとした。
「お前はローデリヒ殿下と城内にいるように。次に事態が動いたら声を掛けるから、それまで待つように」
ローデリヒが口を開いた。
「俺が前線に言って号令してやろう。俺が出向けばなんとか――」
「殿下」
オットーが厳しい顔をした。
「戦況を見誤れば、
伯父に言われて、ローデリヒはふたたび黙り込んだ。
「しかし殿下のお心意気は頼もしい限りです。そういう役割をお願いする時はきっと来るでしょう。私が状況を判断して声をお掛けします。それまではくれぐれも独断専行で動かれませんよう」
「あいわかった」
頭が痛くなりそうだ。ロイデン人の身内でこんなふうに足を引っ張り合っては、なるものもならない。
ヴァランダンの言うとおり、季節は秋も半ばに差し掛かっていた。今窓の外にいる小鳥たちも、そのうち旅立つだろう。だが、ジークはどこにも行けない。この監獄のようなグリュンネン城の中で五百騎の男ローデリヒと過ごさなければならない。
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