第4話 戦争は定期的にやっておこうということか 1

 オグズ軍の快進撃が止まらない。このままではグリュンネンも危ないかもしれない。


 不安がじわじわり上がってくる。


 ジークにとってこれは初めての戦争だ。何をどうしたらいいかわからない。


 グルーマン侯爵は何もせずにじっとしているようにと言ってくれた。だが、今後王子という立場を主張していくのであれば、それは悪手である。ザイツェタルクは騎士の国だ。ジークは騎士ではないけれど、ザイツェタルクの王子であるなら多少の勇ましさは見せるべきではないのか。


 積極的に国のために戦いたいわけではない。国のためにという言葉に吐き気すら覚える時もある。


 インノケンティウスやアッシェンバッハ伯爵の声が頭の中にこだまする。

 悪魔の子、淫売の娘に誑かされてできた子、牧羊犬の子、馬糞のにおいのする子――ジークは過去に数限りない誹謗中傷を受けてきた。きっとこれはザイツェタルクにいる限り続く。


 それでも、他に行くところがないから、グリュンネンに住み続けている。追い出されたら困るから、ザイツェタルクの王子として立とうとしている。


 消極的に、国のために戦うしかない。ここにしか居場所のない以上逃げることはできない。


 声もおぼえていない母親でも、父の寝室に飾られた肖像画の彼女は小さなジークを抱いて幸せそうにしている。おそらくあれがジークの人生の絶頂期だ。母が死んだ後のジークの残りの人生はザイツェタルクのために使われていく消化試合で、どこにも逃げ場のないジークはここに居続けるために何かするしかない。


 気力を振り絞って父に会いに行った。


 戦争が始まってからというもの、父はずっと執務室を司令室にして家臣たちと情報交換をしていた。

 この忙しい中にと思うと気が引けたが、ザイツェタルク王家のためだから仕方なく時間を割くだろう。


 父はたいへん喜んでくれて、自分から執務室に出向いたジークを強く抱き締めた。そして、すぐ隣の控え室に連れていった。


「いいか、ジーク」


 控え室はレースのカーテンがひかれていて、昼間にもかかわらず薄暗かった。


 父は、ジークをソファに座らせると、ジークのそれぞれの二の腕をつかんだ。


「お前は戦場に行ってはいけないのだ。なぜなら私の唯一の子供だからだ。万が一お前が死んだら王家は断絶する。侯爵が言いたいのもそういうことだ」

「ですが、王都でのうのうと暮らしている王子の王位継承を誰が歓迎しますか。最前線では多くの騎士や兵士が死んでいるのに、俺はグルーマン邸で三食食べているわけです」

「お前が最前線に行っても、意地の悪い人間はお前を受け入れられないだろう。お前の目は紫色をしている。敵と一緒くたにされたり、敵軍に通じているとありもしないことを考えたりするかもしれん」

「多少の手荒な扱いには耐えるつもりです。慣れっこですから」


 父のオリーブ色の瞳が、じっとジークの紫の瞳を見つめている。


「本音を言おう」

「何ですか?」

「同胞殺しをさせたくない」

「同胞?」

「お前は半分オグズ人だ」


 その言葉が胸に突き刺さった。


「ロイデン生まれロイデン育ちで、ロイデン語しかしゃべれなくて、ロイデンの外のどこにも居場所がなくても?」


 オットーが首を横に振る。


「万が一の時はお前の命乞いは聞いてくれるかもしれん」

「命乞いなんかしたら余計ザイツェタルク民はついてこないですよ」

「私はお前に生きてほしいのだ。オグズ人の仲間とともに安全なところへ逃げてほしい。もしもザイツェタルク王国の再興を考えてくれるならば落ち着いてからでいい」

「つまり、王位を継承できなくても生きていればいい、と?」

「そう。王位を継承できなくても生きていればいい。私はな」


 言葉を失った。


「戦争に負けてザイツェタルク王国が滅んだら、ザイツェタルクを見捨てた王子として嘲笑されながら皇帝スルタンの庇護下で生きろ、ということですか」

「そうだ」

「俺にそういう辱めを受けろ、と」


 自分がいつになく興奮している。口から次々と言葉が出てしまう。かけられた呪いの分呪いをかけようとしてしまう。


「俺はいつまで馬鹿にされ続ければいいんですか。いつまで罵られ続ければいいんですか。いつまで嫌われていればいいんですか」

「それでも生きてくれ」

「生きますよ。ええ、生きます。でもそれは陛下の希望を叶えるためじゃない、俺に死ぬ勇気や度胸がないからです。グルーマン侯爵が細く長く慎ましく下を向いて生きることを教えてくれたからで、生きていればなんとかなると思っているわけではないです」

「そんなことのために使う勇気や度胸ならば持たなくていい。侯爵の教えどおりに、地味にひっそりとでもいいから生きていきなさい」

「夢も希望もなくても?」

「そうだ」


 父がふたたび、ジークを強く抱き締めた。


「生きてくれ、ジーク。それが私の望みであり、マーフペイケルの望みだ」


 押しつけの夢、押しつけの希望だ。


「ついでに、グルーマン一族やケッヘム一族のな。味方はいないわけではないのだ」


 執務室のほうから扉を叩く音が聞こえてきた。


「陛下」


 ジークを離しながら「開けてよい」と答える。


 入ってきた青年が胸に手を当てる敬礼をした。


「ローデリヒ殿下がご到着です。執務室にお連れしたく存じます」

「なんと、ローデリヒ殿下ご本人がおいでになったのか」

「はい。ザイツェタルクのために激励の言葉をかけたいと」

「そうか、ありがたい話だな。お連れしてくれ」


 父がジークの腕を叩き、「お前も行こう」と言った。ジークは不承不承ながらも頷いた。


 執務室に戻ると、ローデリヒがすぐに現れた。半月くらいぶりだろうか、こんなに短いスパンで会うのは初めてだ。


 彼はツェントルムの軍服でやってきた。黒を基調とした生地に金の飾緒しょくしょがついた服だ。彼ほど筋肉と上背があると似合っている。こういう見た目をひとは頼もしいと言うのだろう。


「俺が来たからにはもう心配はいらないぞ」


 そう言って彼は笑った。

 彼は次期皇帝だ。外見も良い。強く猛き名誉あるロイデン人だ。ジークよりよっぽど士気を上げてくれるだろう。


 しかし、思わぬ誤算が起こった。


「せっかくご到着したばかりなのに申し訳ございませんが、余裕がないので単刀直入にお聞きすることをお許しいただきたい」


 オットーがそう言いながらローデリヒと真正面から向き合った。


「何だ?」

「ツェントルムからはどれくらいご支援いただけるのでしょうか?」


 ローデリヒが言葉を詰まらせた。旗色が変わった。途端に不安になってきた。


「たいへん不躾で恐縮ですが、今のザイツェタルクが求めているのは兵士と戦費でございます」


 伯父のそんな台詞に、ローデリヒがうなだれる。


「ツェントルム騎兵が五百騎」

「歩兵は」


 ローデリヒは答えなかった。


 執務室が静まり返った。みんな絶句していた。


 ザイツェタルク軍は騎兵が三千に歩兵が一万だ。対するオグズ軍は二万前後だという噂で、しかも行く先々でザイツェタルクに住んでいたオグズ人を吸収してどんどん膨れ上がっているとのことである。そこにツェントルム騎兵が五百では話にならない。


「実は」


 ローデリヒが彼らしからぬ小声で話し始めた。


「ツェントルムは今重大事件が起こって大荒れだ。ツェントルムの統治機構が混乱しているし、市内の治安も悪化していて、軍の本隊を動かすことができない。今回俺が連れてきた五百はザイツェタルクを救いたいという有志、つまり義勇軍のようなものだと思っていただきたい」

「初耳ですぞ、殿下。ツェントルムで何が起こったと?」


 少し、間が開いた。


「アスペルマイヤーが死んだ」


 オットーもジークも両目を見開いて同じ顔をしてしまった。


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