第3話 優等な人種、劣等な人種

 オグズ帝国とは、ロイデン帝国の南部で国境を接する大帝国である。

 さまざまな民族の集団を内包しているが、統治機構の頂点にいるのは騎馬遊牧民族のオグズ人だ。

 黒い直毛、紫の瞳、浅黒い肌を持つ者たちが勇猛果敢な戦士の一族の末裔として尊ばれ、皇帝スルタンの座につくことをよしとされている。


 ロイデン帝国の南方にあるということは、ロイデン帝国内でもっとも南に位置するザイツェタルク王国と隣合わせということだ。


 その事件は、ザイツェタルクとオグズ帝国を隔てる山脈を超えた北側、ザイツェタルクの小さな町から始まった。


 黒い髪に紫の瞳、革鎧をまとい大きな馬に乗った戦士の一団が、その町に押し寄せてきた。


 町は煉瓦造りの市壁に囲まれており、市壁に取り付けられた木製の門扉を兵士が守っていた。しかし騎兵たちはいとも簡単に槍で兵士たちを突き殺し、あっという間に門を打ち破って市内に突入した。


 住民が阿鼻叫喚で逃げ惑う。

 その背に騎兵たちの槍が突き刺さる。

 騎兵たちは槍だけでなく弓も放った。至るところに矢が降り注ぎ、あたり一面に血のにおいが立ち込めた。


 だが、騎兵たちはむやみやたらに人という人を殺しているわけではなかった。


 ぼろのようなワンピースをまとい、裸足で逃げようとしていた黒髪に紫の瞳の女に対して、戦士たちは手を差し伸べた。


「大丈夫か!?」


 女は泣くのをやめ、声を掛けてきた戦士の青年を見上げた。


「オグズ語はわかるか? ロイデン語でないとだめか」


 黒髪に紫の瞳の戦士が、彼女にそう語りかけた。


「ロイデン語でお願いします」

「そうか。大丈夫だ。俺たちは皇帝スルタンのもとで訓練されていてロイデン語もできるから。父祖のオグズ語はおいおいおぼえていけばいい」


 戦士の青年が、微笑んだ。


「我々はロイデン人に虐げられている同胞を助けに来た。さあ、一緒に狼の末裔である我々の国へ」


 金髪に緑の瞳のロイデン人たちが次々と倒れていく中、黒髪に紫の瞳のオグズ人たちが続々と集まってくる。ロイデン人たちは清潔なブラウスに革の靴を履いているが、オグズ人たちはつぎはぎだらけの服に木の靴だ。


 町に住んでいたオグズ人が、希望を手に入れた顔で笑った。


「ロイデンに住まうオグズの民よ、自由を取り戻せ!」


 歓声が上がった。




「やはり始まったか」


 報せを受けたザイツェタルク王オットーが、険しい表情を作った。玉座に腰を下ろした状態で足を組み、肘置きに肘をかけて頬杖をつく。

 ジークもリヒャルトと神妙な顔をしてそばに控えていたが、思わず父と同じ表情を作ってしまった。


「死者はざっと千人ほど、負傷者はそれを上回るものと見ています。しかし殺されているのはロイデン人ばかりで、町のオグズ人は逆に率先してロイデン人に暴行を加える有り様で略奪なども行われている模様」


 ほうほうのていでグリュンネンにたどりついた若い兵士が、傷だらけのまま床の絨毯の上に膝をつき、状況の詳細を報告する。オットーは眉間にしわを寄せた状態で耳を傾けている。


 最後に、兵士は吐き捨てるようにこう付け加えた。


「恩知らずなオグズ人どもめ。養ってやった恩を忘れて、オグズ人兵士に手を貸すなど」

「もうよい」


 オットーが「下がれ」と言った。


「そのほうには褒美と休暇を与える。怪我の手当てをして充分な休息を取るように」

「御国のためならばまた戦えます」

「心配は無用だ。我らがザイツェタルク騎士団は一人欠員が出たくらいでは負けない。そうであろう?」

「そのとおりにございます」


 兵士は頭を下げた。


「では、ありがたく下がらせていただきます」

「よろしい」


 兵士の青年が謁見の間から出ていく。


 玉座のそばに控えていた家臣の一人が、王に「いかが致します」と問いかけた。


「どうもこうもない。ザイツェタルク騎士団を動員する」


 謁見の間の中でも遠くに立たされている身分の低い家臣たちは喜色を浮かべて声を漏らしたが、玉座に近いところにいる国家運営の幹部たちの表情は浮かない。彼らはザイツェタルクの財政が切羽詰まっていることを熟知しているからだ。


 ザイツェタルクは国土の半分が高山で主食の麦を育てにくい。しかもここ二十年ほどは先の戦争の影響でオグズ帝国との交易がうまくいかなくなり、他の財源も減っていた。なんとか捕虜にしたオグズ人を強制労働にてて経済を回していたが、今回はそれが裏目に出たということだ。


「悪いことはするものじゃないわねえ」


 小声でそう言うリヒャルトの顔は涼しげで、あまり悪いとは思っていなさそうだった。


「自分たちがやりたくないことを他人にやらせていたからこうなる」

「かといって我々がやるのもな。我々は優秀な人種なのだから知的で名誉のある仕事をするべきだ」


 リヒャルトに話しかけてきたのは、ミーヒャの父親であるアッシェンバッハ伯爵だった。白髪交じりの金髪に同じ色の口ひげの男で、背が高くがっちりしている。いかにもザイツェタルク騎士といった風情だ。


「肉体労働は知能が劣等で身体頑健なオグズ人にやらせたほうがロイデン帝国の利益になるものなのだが」

「貴様、なんてことを」


 割って入ってきたのはケッヘム侯爵だ。ガービィの父親でミーヒャの舅である。彼もやはり茶金の髪に短く整えられた顎ひげの男で、体格はアッシェンバッハ侯爵と似たり寄ったりだ。ザイツェタルク騎士団によくいるタイプの男性で、異国人からするとアッシェンバッハ伯爵やその他同僚たちと兄弟のように見えるらしい。


「よくもジギスムント殿下の前でそのようなことを言える。もとをたどればマーフペイケルもオグズ帝国から連れてきた捕虜だったのだぞ」


 アッシェンバッハ伯爵が鼻を鳴らした。


「だからこそだ。母親が母親なら子供も子供に決まっている。何が殿下だ、おぞましい」

「父親であるオットー陛下は立派なロイデン人、ロイデン人とオグズ人の混血がロイデン人で何が悪いのだ」

「その立派なロイデン人であるところの国王陛下におかれましては早急に正式な妃をめとっていただかねばなりませんな。牧羊犬の女に汚された御身も清らかなロイデン乙女ならば浄化してくれましょう」


 牧羊犬というのはオグズ人の蔑称だ。オグズ人が狼の子孫を名乗っていること、遊牧民で家畜を多く飼っていることからついたらしい。


「やめんか」


 低い声が響いた。

 声のしたほうを見ると、恰幅のいい壮年の男が二人を睥睨へいげいしていた。顔にはしわが刻まれているが、後ろに撫でつけた癖の強い黒髪にはまだ白髪がない。


「出たな、グルーマンめ」


 リヒャルトの父親でジークの育て親、ザイツェタルク騎士団副団長のグルーマン侯爵である。


「オグズ人だろうがロイデン人だろうが、陛下がお選びになった女性は陛下がお選びになった女性だ。王妃に準ずるお方として扱え。まして、お前もおぼえてはおらぬか、マーフペイケル嬢の心根がいかに清く美しいお方であったか。ジークを盾に金や地位を強請ゆすろうと思えばできたものを、彼女はそうせず静かに死んでいったのだ」


 アッシェンバッハ伯爵が舌打ちをした。ケッヘム侯爵が得意げな顔をする。


「しかしそれはそれ、これはこれ。だからといってオグズ帝国の進軍を許してこの国を滅ぼすわけにはまいらぬ。騎士団の出動は騎士団の出動」


 オットーが苦笑する。


「いつもすまんな、グルーマン侯爵」

「私は自称ザイツェタルク一の忠臣ですからな」

「彼の言うとおりだ。それはそれ、これはこれ。マーフペイケルの母国と交戦するのは気が進まないが、ザイツェタルクとオグズ帝国の戦いはロイデン帝国建国以来のならわしだ。ロイデン帝国の盾として、オグズ帝国のツェントルムおよび他ロイデン内諸国進出を食い止めねばならん」


 王のその言葉に、一同が頭を下げた。


「ロイデン内各国に援軍を要請する。同時にオグズ政府にも和平の道はないか交渉せよ。どちらも私が文書を作るので騎士団の中から有能な伝令を探して届けさせる。すべて同時進行になるが、皆耐えてくれると信じる。それぞれの書の返事が来るまでは各市町に籠城で抗戦するよう伝えろ」


 王が玉座から腰を上げた。


「それから、籠城する者たちに、絶対にザイツェタルク住まいのオグズ人を殺さず平等に食料を分けるようにと伝えろ。味方でいてもらえるようくれぐれも丁重に扱え。死なせてオグズ兵の怒りに火をつけないように」

「御意」


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