第9話 父親に跡を継げと言われて苦労する気持ち
翌日、ザイツェタルク一行は早々に国に帰ることになった。理由はふたつ、これ以上帝都に長居してもできることはないから、というのと、伝書鳩で本国から不穏な報せが届いたから、というものだった。
クラウス皇子の件は、ひとまず、近々ヴァランダンに調査団を派遣することになったらしい。クラウス皇子が本物かどうかを確認した上で、本物であれば、今後の意向を伺う、とのことである。
ユーバー川をさかのぼる船の上、甲板にて、オットーとジーク、そしてリヒャルトはゆっくり搾りたての葡萄ジュースを飲んでいた。ユーバー川の岸辺に葡萄畑があるのだ。樽に詰められたものはそのうちワインになる。秋の風物詩だ。
リヒャルトが訊ねた。
「もし本当にご本人で、今後の意向を伺うことができたとて、それが帝位継承にどれくらい影響を及ぼすとお思いですか?」
オットーは目線を下に落とした。
「辺境伯が言ったことが本当ならば、ルートヴィヒ帝からはさらに人心が離れていくことだろう。現時点でも相当な暗愚の皇帝として歴史に名を残しそうだが、これ以上となると息子たちの印象も悪くなる」
「というと?」
「ルートヴィヒ帝はどうやら、クラウス皇子を殺すために馬車の事故に見せかけて崖から転落させた上、念には念を入れて崖の下に落ちた死体に火を放ったらしい」
カールが、クラウスの顔には火傷の痕がある、と言っていたのを思い出した。
「実際には死体ではなくまだ息があり、たまたま通りがかったヴァランダン民が救助したとのことだが。もちろん直接手を汚したわけではなく誰か雇った者にやらせたのだろうが、正気の沙汰ではない」
「実の弟になぜそこまで……」
「母親の身分の違いのせいだろう。ルートヴィヒ帝の母親は先々帝の戯れで孕まされた宮殿の洗濯女だが、クラウス皇子の母親は先々帝の従妹でツェントルム王家の人間だ。圧倒的に格が違う。だからクラウス皇子の帝位継承は間違いないと思われていたが、直系の長子でありながら日の当たらない存在だったルートヴィヒ帝が帝位を欲したとなれば、弟を殺して唯一の存在になるしかないのだ」
昨日、カールたちと会う直前にリヒャルトがほのめかした言葉を思い出した。ぐちゃぐちゃ言う親族をみんなぶっ殺せば帝冠が転がってくる――最初にそれをやったのはルートヴィヒということか。
ジークが知らないだけで、ルートヴィヒ帝以前にも何度もあったことなのかもしれない。権力はそれくらい人の心を狂わせる。
ただ、それでも、ルートヴィヒ帝は少し異常に思う。クラウスを暗殺しようとする権力への執着、寵妃のために最初の妃を処刑する女への執着、高額納税者であるノイシュティールンに大公を名乗ることを許す金への執着――彼は人間の欲望の醜さをすべて凝縮したような人間だった。葬式がめちゃくちゃになるのも頷ける。
「ただでさえ洗濯女の息子だったルートヴィヒ帝の評判が悪い三人の妃の息子たち。かたや民衆に愛された血統書付きの美少年クラウス皇子とヴァランダン辺境伯家の聖女と呼ばれた美少女の子。いろいろ思うところがある者は多い。ロイデン人は潔癖な上に建前や血筋に弱い」
不利益を被るのはその息子たちだ。息子たちが帝冠を巡って争うことになるのは、父親のせいだ。
「ルートヴィヒ陛下も、陛下のお父上である先々代も、女で失敗しているようですね」
リヒャルトが不敬な物言いをした。権威をまったく恐れない彼らしい。
オットーが笑い飛ばした。
「私がジークを唯一の息子と定めたのはそのためもある。すべてはジークへの円滑な王位継承のため。愛する一人息子のために妻は一人と決めたのだ。むろん他の女に魅力を感じなかったというのもあるが」
そして、彼は隣にいた息子の肩を抱いた。
「何の心配もないぞ、ジーク。お前には腹違いの兄弟など出てこないからな。次のザイツェタルク王候補はお前ただひとりだ」
「もっと違う問題があるでしょうが。混血の俺はそもそも教会に王子として認められていない」
「なんの、ザイツェタルク王家が滅亡するよりはマシだ。いざという時には直系男子のお前の存在を認めざるを得なくなるに決まっている」
ジークは大きな溜息をついた。父親の愛が重すぎるのも困りものだ。かといって今回の帝都視察で政治に興味が湧いたジークはまるっきり拒むこともできない。
この時代の中心の近くで見たい。
それはおもしろさでもあり怖さでもある。楽しみと同時に悲しみでもある。
きっと政治とはそういうものなのだ。
それに、やはり、ザイツェタルクは生まれ育った土地だ。究極的なことを言えば、郷土を守りたい、ということなのかもしれない。自分の中にそういう湿っぽい感情があるのはあまり認めたくないが、ザイツェタルクがなくなった時に自分が住める場所はきっと他にないのだ。
同じように、父親から重すぎる愛情を注がれているカール少年のことを思う。
彼は結局あの時にいたメンバーにしか指輪の話をしていないようだ。
彼が指輪を持っていると知ったら、こんな回りくどいことはせずカールを捕まえてチェーンを引きちぎればいい、と思う人間が出るはずだ。それがちんたらヴァランダンに調査団を派遣するなどと悠長なことを言っているということは、彼は指輪をこそこそと肌身離さず持ち歩いているのだろう。
彼もヴォルフに連れられてヴァランダンに帰っていった。州都に帰れば父親のクラウス皇子と会える。どんな会話をするのだろう。穏やかに話せるだろうか。ジークだったら殴っているかもしれないが、カールは上品でおとなしそうなので暴力は使わない気がする。
「ジーク?」
リヒャルトに声を掛けられた。
「ぼんやりしているわね。川面に何かおもしろいものでも?」
ジークは首を横に振った。
「カールのことを考えていた。父親に跡を継げ、継げと言われて苦労する気持ちはわかる」
オットーは怒ったのか「なんの」と少し低い声を出した。リヒャルトが「ふうん」と鼻を鳴らすような声を出した。
「いいけど、あまり感情移入しないようにしてちょうだいよ」
「なんでだ?」
「ザイツェタルクのためにはリリアーナ様のご子息であるローデリヒ殿下を帝位につけないといけないんですからね」
ジークは溜息をついた。忘れていた。
「ままならないなあ」
「人生ってやつはそういうものよ」
「まあ、確かに、カールは皇帝にならないほうが幸せかもしれない」
「それはジークも王位を継ぎたくないということ?」
「うーん、まあ、どうだろうな。今の俺には何にもなんとも言えない」
オットーがジークの肩を揺すりながら「構わん」と言った。
「いずれにせよルートヴィヒ帝の喪が明けないことにはな。戴冠の儀はどんなに早くてもルートヴィヒ帝の喪が明ける一年後。その間に、クラウス皇子の件を精算してカール少年を排除し、改めて三兄弟の中から次期皇帝を選ぶ。お前の王位継承はそれからゆっくり支度しよう」
「はい」
「それにしても、本国から来た報せのほうが心配だな。いやはや、何事もなく済めばいいのだが……」
ツェントルムの夜を一台の馬車が行く。
その馬車の中で、アスペルマイヤーは恐怖で震えていた。
クラウスは確かにこの手で殺したはずだ。なにせアスペルマイヤーは直々にクラウス皇子の死体を持ち帰ったことの褒美として宰相の地位を賜ったのだ。
それがいつの間にかよみがえって子を成している。
しかしカールの顔は本当にクラウスに瓜ふたつだ。親子であることは疑いようがない。声のトーンまで声変わり前のクラウスに似ている。
それに、十五年前から解決していない巨大な懸案事項がひとつあった。
皇帝の指輪の存在だ。
あの指輪はどこに行ったのだろう。探したのだが見つからなかった。やはりクラウスが持って逃げたのか。あの時は炎に巻かれて溶けて消えたことにしたが、クラウスが生きてまだ身につけているのなら厄介なことになる。あの指輪は正統な帝位継承者の証、クラウスがあれを持って帝都に帰ってきたら何もかも終わりだ。
まさかとは思うが、カールがあの指輪を持っているのか。
ヴァランダン辺境伯はカールの帝位継承について絶対的な自信を持っているようだった。
そうであるなら、カールを殺してでも奪わなければならない。
自分の宰相の地位を守るためには、三兄弟の誰かに皇帝になってもらわなければならない。
密かにカールに刺客を放って――
馬車が急に止まった。まだ自宅までは少し距離があるはずだ。
不審に思って、窓のカーテンを持ち上げて外を見た。
静かだった。不気味なほど静かな夜が、そこにある。
真っ暗だ。
「どうした、何があった」
戸を開け、御者を確認しようとした、その時だ。
戸の外から黒い何かが伸びてきて、アスペルマイヤーの顔をつかんだ。
「ひっ」
黒い手袋をつけた手だった。顔を、誰かに、つかまれた。
「な、何を――」
壁に取り付けられたランプに照らされ、銀の刃がひらめいた。
刃の向こう側に、手の主の顔が見えた。といっても顔の下半分を布で覆っているので全体は確認できなかったが、目元だけが確認できた。
美しい碧の瞳に、焼けただれたまぶた。
「まさか」
次の時、アスペルマイヤーの胸に銀の刃が突き立てられた。
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