第8話 カール少年と皇帝の指輪 2

「しかし、今思い返すと、不自然な点がたくさんあります。周囲の人たちは巧妙に隠し事をしていたように思います。僕が子供でしかも十五年前の事情を何も知らないのでわかっていなかったのでしょう。気がつかなくて情けないです、物心がついた頃からこうだったからだとしか言いようがないのですが」

「ちなみにお母様について聞いてもいい?」

「はい、僕の母は先代の辺境伯の娘で今の辺境伯であるヴォルフさんの姉、ロスヴァイセ姫という方でした。ただ、この方は僕を産んですぐ亡くなられたとのことで、僕は記憶がありません。でも、お墓はちゃんとあるし、周りの人たちが言っていることのつじつまは合うので、母についてはおかしな点はないと思います」

「ロスヴァイセ姫……聞いたことがある。ヴァランダンの白薔薇とか何とか言われた美しい女性だったと」

「それはもう善良で聖母のような女性だったそうだね」

「よく言われますが、自分の母親のことだと思うと照れてしまうので、あまり言わないでいただきたいです」


 ここまで聞いた感じ、カールはけして愚鈍なわけではなさそうだ。十二歳のわりには理路整然とした会話ができる。教会の中ではあくまで叔父の無茶な発言と剣幕に押されて萎縮していただけかもしれない。


「僕のほうが知りたいですよ。クラウスさんはなぜ何も言ってくれなかったのか。皇帝陛下が亡くなられてから突然お前には帝位継承権があるから中央に行けだなんて……。皇帝陛下とクラウス皇子が生きていることを知られたら殺されるかと思うくらい険悪な仲だったということも知らなかったし」


 カールの中でも情報が錯綜しているらしい。生きていることを知られたら殺されるかと思うくらい険悪――それは重大な秘密だ。


 クラウス皇子は、ルートヴィヒ帝に殺されそうになって、ヴァランダンに亡命した。


 となれば、ルートヴィヒ帝は弟に帝位を奪われるのを恐れていた、ということになる。


 そして、本人が死んだ後になってから、彼の息子を弟の息子が追い落とそうとしている。


 首脳会議に参加したくなってきた。政治の駆け引きのなんたるかをこの目で見てみたくなったのだ。けして楽しいことではないが、政治はこんなにも生臭くて自分の生活に密着しているのか、と思うと、少しでも詳しい話を聞きたくなってくる。


「何をいまさら……。本当に、みんな僕を何だと思って……」


 おとなしく賢そうだった少年が、初めて負の感情をあらわにした。それは、父や叔父への怒りか。父親に振り回される苦しみは理解できるので、同情心も湧いてくる。


「僕は……実の両親に会いたかっただけだったのに……」


 静まり返ってしまった。双子はどんな家庭環境で育ったのかは知らないが、彼らも思うところがあるのだろうか。


 少ししてから、双子が口を開いた。


「何度も言うけれど、そうであればやっぱりクラウス皇子本人が出てきて兄君の不徳を指摘するべきではないのかな」

「いきなりお前の父親の兄は自分の兄弟を殺そうとする悪い奴だったからその悪い奴の息子たちをやっつけて皇帝になれ、なんて、息子への負担が大きすぎると思うんだが」

「いや、どうかしらね」


 双子の台詞に、リヒャルトが突っ込む。


「出てきたら殺されるかもしれないと今でも思っているんだとしたら、我が身可愛さに出てこないんじゃないの」

「そういうもの? 僕なら十二歳の息子にこんなことをさせようとは思わないんだけど」

「それはあなたたちの親がまともだったからでしょう。クラウス皇子はまともじゃない。それがすべての結論よ」


 ジークからするとリヒャルトの親もまともなので何をもってそこまで断言するのかわからないが、真理のようにも思えてくる。


「そもそも論としてこいつが本当にクラウス皇子の息子なのかも俺は疑っている。俺たちは十五になるまでノイシュティールンを旅行ですら出たことがないからクラウス皇子本人と会ったことがないんだが、そんなに似ているのか」

「私に聞かないでちょうだいよ、同世代の私だって同じに決まっているじゃないの」


 すると、カールが口を開いた。


「僕がクラウス皇子の息子であることの証拠になるかどうかはわかりませんが、クラウスさんがクラウス皇子であることの証明はできるかもしれません」


 そして、自分の首元に手をやった。よく見たら、カールの首には銀のチェーンがかけられていた。彼はそのチェーンを取り出した。どうやらペンダントらしい。


「これはクラウスさんに貰ったものです。お前の父親の遺品で、いつかこれを持っているかどうかで親子関係を証明する日が来るかもしれないから、と言われたのですが、本当はクラウスさん本人の私物だったのだと思います」


 ペンダントトップは小さな金色のリングだった。指輪にチェーンを通してペンダント状にしているらしかった。


 カールが指輪を大人たちの目線まで持ち上げた。


 ジークはぎょっとした。


 その男性物であると思われる太くて大ぶりな指輪には、ドラゴンの意匠が彫り込まれていた。冠をかぶり剣を握ったドラゴンが炎を吹いている。

 間違いなくツェントルム王家の紋章だ。

 しかもドラゴンの目にはダイヤモンドと思われる輝石が埋め込まれており、剣の鍔にもルビーと思われる赤い石が三連はまっていた。こんな高価な宝飾品はめったにお目にかかれるものではない。


「これはこれは……」


 双子の片割れが手を伸ばそうとすると、カールが指輪を握り締めて拒んだ。大事なものらしい。


「皇帝の指輪だね」


 双子のもう片方が呟く。


「この指輪を持っている者が本物の帝位継承者だと言われている。まるっと帝位継承権が入れ替わるレベルの皇家の財宝だ」

「宮殿から消えていたということさえ知らなかったな。しかもクラウス皇子が持って逃げていたとは」

「知っているのですか?」

「噂に聞いた程度だ。なにせ皇帝、その妃や直系の子供たち、そして戴冠式を執り行う聖職者ぐらいしか見たり触ったりできないはずのものだから」


 そこまでは真面目な顔をしていたのに、双子が突然「ちょうだいちょうだい」「ちょうだいちょうだい」とふざけ出した。カールが顔を真っ赤にして「だめです」と怒鳴った。


「クラウスさんてば、そんな貴重なものを……! いったい何を考えているのでしょう? 僕がなくしたりなどしたらどうするつもりだったのですか」

「いやあ、愛ねえ」


 リヒャルトのそんな呟きに、カールはますます縮こまった。


「で、そのクラウスさんとやらは今ヴァランダンにいるの?」

「はい、そのはずです」


 カールが溜息をつく。


「クラウスさんは大嘘つきなので、ツェントルムに来られないほどの不具であるというのは本当なのかわからないのですが……少なくとも馬に乗れないというのは間違いなく偽りです、僕を乗せて遠出してくれたことも何度かありますし。ただ、火傷のせいかたまにとても高い熱を出して寝込んでしまうことがあるので、あまり長期間出かけたくないのは本音かもしれません。とはいえ、それよりツェントルムに来たら殺されると思っていることのほうが大きいのではないかと僕は思います」

「さっきも話題になったけど、そのツェントルムに皇帝の指輪を持たせるほど可愛い息子を送り込むというのはやっぱりどうかしているわね」


 そのリヒャルトの言葉に、カールが傷ついた顔をした。双子が「いじめだいじめだ」「悪いやつ悪いやつ」とはやし立てる。


「まあ、話の大筋はわかったわ。説明してくれてありがとうね」

「はい、これでよろしいですか?」

「質問責めにして悪かったわね。ちょっとお菓子でもつまむ?」


 カールが初めて安心した顔をした。



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