第6話 亡霊の息子を推す
アスペルマイヤーが少年に駆け寄った。そしてひざまずいた。少年の両腕をつかむ。
「無礼な!」
少年を連れてきた男が怒鳴ってアスペルマイヤーを蹴り飛ばした。
「軽率に触るな。こちらは正統な帝位継承者クラウス皇子のご落胤だぞ」
男がそう言った途端、教会の中が歓声と怒号に包まれた。
「クラウス殿下は生き延びてお子を成していたのか!」
「奇跡だ!」
「すばらしく美しいご子息だ!」
「殿下に瓜ふたつだ!」
「クラウス殿下は十五年前に死んだ!」
「亡霊に帝位継承などありえない!」
「皇帝になったのはルートヴィヒ様のほうだぞ!」
「いまさら出てきて何が目的だ!」
男は少年の肩を抱いてまっすぐ祭壇に向かった。男の覇気のようなものに押された司祭が、転げるように説教台を離れた。帝室のメンバーも慌てた様子で場を譲った。十五年前には生まれていなかったディートリヒだけがきょとんとしており、他の三人は驚きに唇をわななかせている。
「まさか、クラウス殿下が!」
ツェツィーリエが金切り声を上げる。
「どういうことだ、辺境伯」
ローデリヒが威嚇に似た怒声を出す。
「貴様、神聖な葬儀の場に乱入して、このような茶番を」
「茶番?」
辺境伯と呼ばれた男がローデリヒをにらみつけた。その眼光の鋭さにローデリヒがたじろぐ。男の低い声が響く。
「
今度はツェツィーリエが口を開いた。
「側女の子でしょうが正妃の子でしょうが、兄であるルートヴィヒ陛下が御即位されたのですから、その弟のクラウス殿下の継承順位が下がるのは当然のこと。まして十五年前に亡くなられた方でございますよ」
「今なおご存命だ。我らがヴァランダンに亡命されたのだ」
「であればなぜ今日までお姿を見せられなかったのです? すぐ戻られてお兄様を断罪すればよかったものを」
「断罪だと?」
男に言葉尻をとられて、ツェツィーリエが顔色を変えた。
「貴様はルートヴィヒが何をしたのか知っているようだな」
彼女は沈黙した。黙秘権を行使する気だ。
ジークも混乱していた。目の前で何が起こっているのかわからない。つい父の顔を見てしまった。
父オットーも蒼白な顔をしていた。
「あの男性は?」
「今しがた噂していた男だ。ヴァランダン辺境伯ヴォルフガング」
ヴァランダン辺境伯国とは、ロイデン帝国東方の荒涼とした大地を基盤とする国である。東の大国で帝国一の陸軍を持つ国だ。東方の異民族との戦いに身を投じ続ける屈強な騎士団が母体で、ロイデン帝国最強と謳われている。
「お前もあの男には逆らうな。あの男はロイデン一の剣豪、無礼を働けば容赦なく斬り殺されるぞ」
ジークも震え上がった。
意外にも、次に動き出したのはハインリヒだった。
彼は少し困ったような笑顔を浮かべて、少年の目の前に膝をついた。
「こんにちは、初めまして。私はあなたの従兄のハインリヒです。あなたのお名前は?」
少年はうつむいている。
「カールと申します、殿下」
「お年はいくつですか」
「十二歳です」
「こんなところに急に連れてこられて恐ろしかったでしょう。よく耐えましたね」
いかにも聖職者らしい柔和な態度だった。ハインリヒの善良さが窺える。ハインリヒの言葉に安心したのか、天使のような少年カールが涙を浮かべて頷いた。
ヴォルフガングが溜息をついた。
「ヴォルフ殿、お久しぶりです」
「お久しゅうございます」
「カール君は確かにクラウス叔父上のお子さんでいらっしゃると思います。十五年前に叔父上と顔を合わせたことのある者ならば誰もが認めることでしょう。こんなにもそっくりです。あまりにも、ご本人が若返られたのかと思うほどに」
「そうでしょうな。自分もそう思います。であればこの場にお連れするだけで皆納得すると思いました」
「カール君が十二歳ということは、クラウス叔父上は十二年前までご存命だったということですね」
「いや、今なおヴァランダンで生活されておいでです」
「しかし、そうであれば、ツェツィーリエ様のおっしゃるとおり、ご自身で来られたほうがよろしかったのではないでしょうか」
ハインリヒの問いかけに、ヴォルフガングが首を横に振る。
「十五年前のお怪我がもとで不具の身でいらっしゃいます。とてもここまでの旅程に耐えられるものとは思われず、置いて出てまいりました」
「なるほど」
「ロイデン皇帝とは騎馬に耐え勇ましくロイデン騎士団を率いるに足る者が即位するもの。クラウス殿下は今のお体ではそれにふさわしくないとお思いのご様子です。したがってご子息のカール様を代わりに中央に派遣し帝位を継承させたいと」
ジークはそんなルールがあるとは知らなかった。もしロイデン皇帝がロイデン騎士でなければならないのなら、三兄弟の中では一番頑強なローデリヒが継いでもいいはずだ。もっといえば、ザイツェタルクやヴァランダンから皇家の血を引いた人間を擁立してもよさそうだが、これ以上話をややこしくしたくないので考えなかったことにした。
「やあヴォルフ」
脇のほうから出てくる者があった。フリートヘルムだ。彼はヴォルフガング相手にも気安く声を掛けられるらしい。恐れというものを知らない男である。
「会えて嬉しいよ」
「俺のほうは虫唾が走るが、この道化師」
ヴォルフガングのあまりの物言いに誰かが笑った。
「いずれにしても今この場で話すことではないのではないかね? 葬儀という厳粛な場で喧嘩をするのは死者への冒涜だ」
フレットの言うことはもっともだった。ここは儀式の場で教会の中である。そもそも帯剣して入ってくるのもどうか。
オットーが言うには彼も本来は儀礼だ何だを気にする男のようだ。フレットの言葉には多少の説得力を感じたに違いなく、怒らせていた肩を下げた。
「本当にクラウス殿下のお子だったら、ルートヴィヒ陛下は伯父のはずだ。心静かに葬儀に参列すべきではないのかね」
「悔しいが、貴様の言うことは正しい」
「クラウス殿下の十五年前の話は後でゆっくり聞こう。この私ですら当時十二歳で何があったのかよく知らない。慎重な調査をしていただきたいものだ。ヴォルフ、君も私のひとつ下なのだし、ヴァランダンと帝都には少し距離がある、クラウス殿下の口を介しない客観的な情報も欲しくないかね」
どうやらヴォルフガングは二十六歳らしい。
「私は馬車の事故だと聞いているが、十五年も潜伏して生存を秘していたということは、複雑な事情があると見える。ゆっくりときほぐしていこうではないか。皆の言うとおり本当はご本人にお越しいただきたいのだが、できないのであればなおのこと。お話を伺うためにヴァランダンに調査団を送り出してもいいのだしね」
フレットの言葉に、ヴォルフガングはとうとう頷いた。
「そうだな。まずは葬式だ。死者に礼を失するのは俺も本意ではない。一時的に剣を置くことにする」
「そうしたまえ。剣などなくても、腕力だけでも君が最強なのは間違いないのだし」
「それもまたどうかと思うが、よかろう」
彼は踵を返し、ついてきた従者に腰の剣を預けた。
「だが葬儀が終わったら帝位継承についてたっぷり話をさせていただくぞ。我がヴァランダンはこのカールを推す。絶対に曲げない」
「はいはい」
フレットがひらひらと手を振った。
「では、司祭殿。よろしく頼む」
彼がそういうと、端で呆然としていた司祭が気を取り直して「はい」と答えた。
以後、フレットの言うとおり無事に式次第の進行が行われた。波乱の幕開けではあったが、ひとまず最低限の儀式が終わったので、ジークはノイシュティールン大公フリートヘルムという男の強さを見せつけられた形になってしまった。
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