第5話 どうしてもこの葬儀に参加させたいお方がある

 ツェントルムの都の中心部からやや東に、王室聖母教会という、代々のツェントルム王およびその家族が葬られてきた墓地を擁する教会がある。ツェントルム王がロイデン皇帝を兼ねる前から使われていたそうだ。数百年の歴史を持つ教会はひとつの尖塔と狭い十字形の身廊からなっていて、参列者が全員入ると葬式にもかかわらず人いきれが充満した。


 ルートヴィヒ帝の葬儀が、始まろうとしている。


 今日はあのイルマ女王でさえ黒くて露出の少ないドレスを着ているが、内心ではおそらく誰も悼んでなどいない。皆思い思いに知り合いの貴族と歓談しているし、喪主のツェツィーリエ皇妃でさえ血色のいい顔をしている。唯一宰相アスペルマイヤーだけは慌てふためいているようだが、彼はわりといつも挙動不審らしい。


 教会の鐘がまず一度だけ鳴った。葬儀の刻限が来たことを知らしめる鐘だ。


 参列者がそれぞれ身廊に設置された木製の硬い椅子に座った。ジークも父オットーの隣に座った。反対隣はリヒャルトだ。


「ご覧なさい、ジーク」


 リヒャルトが小声でそうささやいた。軽く肩と肩とをぶつける。


「ディートリヒ皇子の隣の男。あれがハインリヒ第一皇子よ」


 主祭壇に安置された棺の前に、四人の人間が立っていた。


 一番右はローデリヒ第二皇子だ。彼は寵姫リリアーナの息子として喪主かのように振る舞っている。現に多くの諸侯は女狐ツェツィーリエを嫌って先に彼に挨拶をしていた。

 ローデリヒもツェツィーリエも、自分の心の中のメモ帳に誰がいつどちらに先に挨拶してきたか書き込んでいるはずだ。これが弔問外交というものだ。

 この対立はザイツェタルクとノイシュティールンの戦争でもある。気を引き締めて、後でローデリヒと情報共有をしなければならない。


 ローデリヒ皇子の隣は本物の喪主であるツェツィーリエである。今日の彼女は扇をたたんでへその前で持っていた。若く美しい未亡人だ。喪服から弾けるような色気があふれ出ている。表情は沈痛に見せかけていたが、それが演技であることは誰もがわかっていた。


 ツェツィーリエの隣、ローデリヒの反対側にいるのは、ツェツィーリエの息子のディートリヒ第三皇子だ。

 彼は母親のそばでおとなしくしていた。何も言わず、何もせず、ただぼんやりしている。まさかこのに及んで何も考えていないわけでもないだろうが、十四歳の子供だ。帝室の人間として十四にもなれば何かしてほしいとは思わなくもないけれど、世間一般ではこんなものだろう。


 そして、ディートリヒの隣、一番左端にいるのが、問題のハインリヒ第一皇子である。


 真っ黒な長髪をひとつに束ねた男だった。斜め後ろにいるので横顔が見えるのだが、端整で少々女性的な顔立ちをしている。瞳は確かに皇家によくいる碧眼だ。表情は陰鬱で蒼ざめていた。背はすらっと高く、手足が長い。年齢は確かリヒャルトと同じ二十三歳のはずだ。


 何より特徴的なのは、僧籍にある者だけが着用する修道服を着ていることだった。黒い司祭服の上に灰色のマントだ。


「線が細いというか、幸が薄いというか、影が薄いというか」

「おっしゃるとおり」


 そんな感想を漏らしたジークに、リヒャルトが頷いた。


「似てない兄弟だな」

「三人とも母親が違うもの。みんなそれぞれ顔はいいのだけれど、方向性がだいぶね」

「ちなみにお前は誰が一番好みだ?」

「ハインリヒ皇子かしら。修道士をけがすという背徳感がたまらないのよ。それに、ローデリヒ皇子は雄々しすぎるし、ディートリヒ皇子はまだ子供だわ。ましてハインリヒ皇子はこういう場にしか出てこられないレア中のレア。めったにお目にかかれないんだから、今のうちに個人的に親しくなっておかねば」

「聞かなければよかった」


 オットーが息子たちのやりとりに咳払いをした。


 ハインリヒ皇子はいわくつきの皇子だ。

 彼の母親である最初の皇妃マルガレーテが不貞の罪で処刑されたからである。


 マルガレーテはクセルニヒ出身の姫君であった。先代の女王、イルマの母親の姉で、ロイデン帝国でもっとも格の高い女として肝入りで結婚した。誰もが既定路線だと思うような、当たり前のように思われた政略結婚であった。当然長男として生まれたハインリヒは次期皇帝として大切にされた。


 しかし、マルガレーテは大罪を犯した。息子ハインリヒが三歳になるかどうかという頃、城の馬丁と不倫したのだ。


 当時まだ生まれてもいなかったジークはその場で見ていたわけではないが、帝国じゅうが今でも話題にするのでよく知っている。


 もっとも高貴な女マルガレーテは、馬丁という卑賎の男に野生的な魅力を感じて浮気をした、と言われている。

 だが、それは十中八九ルートヴィヒによるでっちあげだ。

 すでにリリアーナに心を寄せていたルートヴィヒが、さかしらな正妻を嫌って殺すことにしたのだ。

 クセルニヒほどの強国出身者はおいそれと追放できない。だから、ルートヴィヒは彼女に罪を負わせて正当な手続きを踏んで処刑することにしたのである。

 それもこれもすべて、愛する少女リリアーナと再婚するためだ。


 ロイデン帝国に激震が走った。


 諌める家臣はいなかったわけではないらしい。しかし暗愚の皇帝ルートヴィヒが聞く耳を持つはずがなく、アスペルマイヤーを通じて裁判官と結託し粛々と処刑の手配をした。ろくな裁判も行われず、マルガレーテは帝室を揺るがした醜聞の罪で魔女と呼ばれながら火刑に処された。


 それから半年も経たずにルートヴィヒはリリアーナを最愛の妃として迎え入れる。そしてリリアーナはすぐにローデリヒを産むのである。


 ルートヴィヒはハインリヒを魔女の子と呼んで遠ざけ、精神的に追い詰められたハインリヒはその後たった十二歳にして自ら望んで修道院に入った。


 忌まわしい。

 女性関係ほど醜いものはない。


 ここで厄介なのはハインリヒが大国クセルニヒの女王の系譜に連なる者だったことである。クセルニヒがいまだにハインリヒの帝位継承権の放棄を認めていないのだ。

 ハインリヒ本人は、自ら修道僧になるくらいだから、帝室とのつながりを断ちたいに決まっている。けれどクセルニヒが許さず、還俗を求めている。まして一応長子なので、男系嫡出子の長男にこだわるロイデンの周りの諸外国がハインリヒの即位を望んでいるらしい。


「まあ、修道院に入った皇子を引っ張り出してきて騒いでいるのはクセルニヒくらいだけど、逆にいえば、クセルニヒが強情に皇子を担ぎ出して帝位を継承させると言い張ったら、我々はクセルニヒとも戦争だわね」


 そして、クセルニヒはロイデン帝国最強の海軍を持っていて、海のないザイツェタルクは海戦に出たことのない騎士団しか持っていない。クセルニヒと戦うためには、海軍のあるどこかと同盟を組まなければならない。


「面倒臭くなってきたな」


 溜息をついたジークを、リヒャルトが意味深に笑った。


 リヒャルトがハインリヒの説明を終えると、反対隣のオットーが呟いた。


「妙だな」


 ジークは父のほうを見た。父は険しい表情をしていた。


「何がですか」


 尋ねると、彼は小声で答えた。


「あの男が来ていない」

「あの男?」

「あの男は儀礼だ何だにこだわるから、こういう場には我先にと出てくるものだと思っていたが――」


 その時、鐘が鳴った。


 厳かな鐘は、何度も何度も鳴り続けた。


 正確には、ルートヴィヒ帝の享年である四十二回分鳴らすつもりなのだろう。


 鐘が、響き渡る。


 一同が、静まり返る。


 司祭が祭壇に現れた。皇子三人と皇妃がひざまずいた。


 葬儀が、始まる。


 司祭が説教台の前に立った。


 このままでいけば、葬式はつつがなく執り行われる、はずだった。


 突然、大きな音を立てて鉄の扉が開いた。


 司祭が話すのをやめた。

 全員が扉のほうを向いた。


「待て」


 そこに立っていたのは、堂々たる筋骨隆々とした体躯の男だった。少し長めのライトブラウンの髪にヘーゼル色の瞳をしている。筋張った首とごつごつした手が男らしい。黒いマントを身にまとっており、腰には赤い柄と鞘の剣を提げていた。いかにもロイデン騎士といった風情だ。


「どうしてもこの葬儀に参加させたいお方がある」


 彼は教会の中全体に響き渡る大声で言った。

 場がざわめいた。


 しかし男が肩を抱いて中に押し込んだ少年を見た時、全員が沈黙した。


 少年は、まっすぐの黒髪を短く切り揃えていた。その黒髪はつややかで、頭頂部をくるりとまわる天使の輪が見える。真っ白で滑らかな肌には一点の汚れもない。小さな鼻と口は小動物のようで愛らしい。黒いブラウスに同色のクラバット、黒い半ズボンに白い長靴下という服装から男子だと思ったが、まるで少女のような顔をしていた。


 ジークは目を見開いた。


 少年の瞳の色が、碧だ。


 それは、帝室の瞳の色だった。


 ハインリヒが震える唇で言った。


「叔父上……!」


 アスペルマイヤーも叫んだ。


「クラウス殿下!?」


 少年はうつむき、肩で大きく息をした。



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