第3話 これは何かあるに違いない

「すごい女だな」

「それが、生まれつきなのです」


 困った様子のアスペルマイヤーのそんな言葉に、笑いそうになってしまった。地位の高い初老の男が十代前半の少女に振り回されているというのはなんとも滑稽だ。


「ジーク殿下にお会いいただきたいのはイルマ女王ではないのですが、女王陛下はどうもすべてのことに首を突っ込みたがる。女の子だから仲間はずれにされるのが嫌なのですかねえ」


 リヒャルトが鼻で笑った。


「男だって仲間はずれにされたら妬みそねみが始まりますわ」


 厳しい指摘にアスペルマイヤーはますます縮み込んだ。


 扉の向こうから衛兵のものだと思われる大きな声が聞こえてきた。


「アスペルマイヤー閣下、いらっしゃいますか」


 アスペルマイヤーが気を取り直して「おお」と頷く。


「ローデリヒ殿下のお越しです」


 その名を聞くと、彼はほっと胸を撫で下ろした。


「お通しするように」


 外から扉が開いた。


 意気揚々と入ってきたのは、ジークと同世代の若い男だ。ハニーブロンドの髪にツェントルム王家にありがちなみどりの瞳をした、体格のいい男である。端整な顔立ちは凛々しく、筋肉質の体型も相まって、男性的な美を感じる。黒を基調としたモノクロの喪服を着ているが、その足取りは堂々としていて威勢の良さまでにじみ出る。


「やあ、伯父上、従弟殿」


 彼、ローデリヒが嬉しそうに目を細めた。


 オットーが恭しく膝をつき、頭を下げた。ジークも父に倣ってそうした。もちろんリヒャルト含むザイツェタルク家臣団も皆同様だ。アスペルマイヤーも胸に手を当てて首を垂れている。


「苦しゅうない。おもてを上げろ」


 ローデリヒがそう言ったのを聞いてから、一同は顔を上げた。


「久しぶりだな、ジーク」


 彼はそう言いながら下級の側仕えに持ってこさせた椅子に座った。その仕草は身分のわりには少し荒々しいが、単なる性格上の癖であって深い意味はない。


「お久しぶりでございます、ローデリヒ殿下」


 ローデリヒがにっこり笑った。


 この男は先帝ルートヴィヒの第二皇子だ。同時にジークの従兄、オットーの甥である。彼の母親がオットーの妹でザイツェタルク出身だったのだ。


 ザイツェタルクは帝室と深く結びついていた。先帝ルートヴィヒが、一人目の妃を追い出したあと、二人目の妃としてオットーの妹リリアーナを所望したためだ。


 ジークに叔母リリアーナの記憶はない。聞くところによるとたおやかで穏やかで可憐な姫君だったという。おとなしくて儚げで、ルートヴィヒ帝のすることに口を出さない従順な妃になったとのことだ。


 ルートヴィヒ帝はリリアーナを深く寵愛したそうだ。彼は最初の妻にはなかった情熱でリリアーナを重んじ、その兄であるオットーにもかなり目をかけた。ザイツェタルクが没落の一途をたどりながらも強力な発言権を維持しているのはこのリリアーナのおかげでもある。


 しかし不幸なことに、リリアーナはローデリヒを産んだところで力尽き、帰らぬ人となった。

 その時のルートヴィヒ帝の悲しみはいかばかりか。

 もちろんジークは、また女のせいで政治を傾けるやつ、と呆れているが、それはそれ、これはこれである。ザイツェタルクを重用してくれるのであれば多少のことには目をつぶろう。


 血縁関係が濃いからか、ローデリヒはザイツェタルクに思い入れがあるらしい。一、二年に一度避暑でザイツェタルクを訪れる。前回のザイツェタルク来訪からは二年経っているが、彼のオットーやジークへの親愛の情は変わっていないようだ。


「あまり堅苦しくするな。俺はお前を萎縮させたくない」


 ジークも意図してローデリヒの前でかしこまっているわけではない。ローデリヒは皇族でありながら異民族の血が濃いジークを差別しないでいてくれる。しかも同い年だ。仲良くしたいと言うローデリヒに対してもう少し心を開いてもいいのではないか、とジーク自身も思う。


 それがなかなかうまくできないのは、ジークの心の奥底にある無意識の卑屈の表れだろう。父は皇帝で母は由緒正しい名家の出、ブロンドの髪に碧眼と高い身長、性格は少々高慢なようにも思うが基本的には豪胆で気前がよく嫌われることはめったにない、ジークと違って何もかもを持っているように見える。


 まして、彼は帝位継承の順位が第一位なのではないかともくされている。


 オットーが口を開いた。


「父君様のこと、まことにお悔やみ申し上げます」


 ローデリヒが鼻を鳴らす。


「伯父上は優しいから本心からそのようなことを申すのだと思うが、俺は別にあのクソ親父の死など悲しくない」

「そんなこと大きな声でおおせになるな」

「プライドばかりが高くて気狂いの父親であった。いなくなってせいせいするわ」


 きっといろんな人が同じことを思っていることだろう。だがジークはルートヴィヒに同情しなかった。上に立つ者はその器がないだけで罪だ。


 ローデリヒはなおも続ける。


「特に最近、病にしてからはどうも何かにとり憑かれているような節があってな。どうやら幻覚を見ていたようだ」


 眉間にしわを寄せる。


「何かにつけて、クラウス、クラウスとうわごとを」


 その名を聞いた瞬間、アスペルマイヤーの肩が震えた。


「クラウスというのはありふれた名だが、きっと父上の弟、俺の叔父のことだろう。顔はぼんやりおぼえている。しかし父上と仲違いしていたからか会話をした記憶はない。どんな男だったのだろうな。最後に会った時俺は四歳か」


 アスペルマイヤーがうつむいている。オットーも沈黙している。


「十五年も前に死んだ弟に憑かれているとは悲しい話だ。あの男のことだから弟にも恨みを買うような真似をしたに違いない。化けて出たのだ」


 ジークは「へえ」と呟いた。クラウスとは、聞いたことのない名だ。


 十五年前といえばジークもすでに四歳だったはずだ。だが、四歳の頃はグルーマン家で少し過保護に育てられていた時代で、ザイツェタルク城内のことですらよく知らない。皇帝一族のことについて記憶になくても仕方がない。


 とはいえ、まったく話題に出たことがないのも奇妙な話だった。ルートヴィヒ帝には三人の妃とそれぞれが産んだ三人の息子の他に血縁者はいないものだとばかり思っていた。


 オットーは何も言わずに真顔をしていた。何も思い当たるところはないのだろうか。


 アスペルマイヤーを盗み見た。

 おや、と思った。

 蒼白な顔で震えている。

 これは何かあるに違いない。

 この男はつくづく政治家に向かない人間だ。ルートヴィヒ帝の侍従官から秘書官へ、そして一本釣りで宰相に起用されたという話だから仕方がないのか。


 クラウス、おぼえておこう。あとでこっそりオットーやグルーマン侯爵に聞けばいい。リヒャルトに聞いてもいいだろう。だがこの場では避けたほうがいいに違いない。なにせオットーもアスペルマイヤーも何も言えない相手だ。しかもどうやら兄を祟る怨霊らしい。触れるのはやめよう。ジークはこういうところは野生の勘で嗅ぎ分けるのが得意だ。


 少ししてからオットーが口を開いた。


「単刀直入にお尋ねします」

「なんなりと」

「殿下はお父上の跡を継がれる気持ちにはおかわりがないですかな」

「当然だ」


 ローデリヒはきっぱりと断言した。


「応援してくれるか」

「もちろんですとも」


 オットーがまた恭しく頭を下げた。


 ジークは唾を飲んだ。


 ザイツェタルク王室から出た母を持ち、ザイツェタルク王やその息子を快く思っている皇帝が立てば、ザイツェタルクは安泰だ。


 しかし話はそう簡単には進まないのが世の常である。なにせローデリヒには兄弟が二人いる。異母兄と異母弟だ。三人とも母親が違う。ルートヴィヒ帝は三人の妃の中では一番ローデリヒの母親リリアーナを愛していたと聞くが、長子である兄と現在存命中の妃の子である弟がいるのだ。こんなややこしい話があろうか。


 ひとのいいオットーが、珍しく据わった目で言った。


「殿下を皇帝にしてさしあげるためにザイツェタルクは死力を尽くしましょう」


 ローデリヒが「頼もしい」と微笑む。


「そのために差し当たって排除しなければならない相手がいる」


 ジークは緊張のあまり拳を握り締めた。


「ディートリヒとツェツィーリエ妃、そして、その背後にあるノイシュティールンだ」


 ザイツェタルク一同は深く頷いた。


「できる限り荒事は避けたいとは思っている。しかし万が一の時には、よろしく頼む」


 彼はザイツェタルク騎士団の出動をほのめかしている。戦争だ。西の大国ノイシュティールンとの大きな戦が起こる。


「……まあ、万が一の話だ」


 ローデリヒはそこで立ち上がった。


「日が暮れてきたな。晩餐会を催す。父上の喪に服しているということになっているのであまり盛大な宴はできないが、うまいものを出すので食べてくれ」

「はい、ありがたき幸せ」


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