第4話 爵位を金で買った一族の国

 混血のジークは、歴史のある名家の生まれであることで、かえって悩み多き人生を送ってきた。したがってザイツェタルク王家の格がどうこうという話は好きではない。

 しかし、今のザイツェタルクの最大のライバルはノイシュティールンである、と言われると、少々複雑な気持ちになる。


 ザイツェタルクが落ちぶれたのではない。ノイシュティールンがのぼり詰めたのだ。


 そうとわかっていても、新興国ノイシュティールンと肩を並べることになってしまったことに、歴史の何たるかを思う。


 ノイシュティールン大公フリートヘルムと会って話をすることになったのは、ザイツェタルク一行が帝都についた翌日、皇帝ルートヴィヒが死んでから五日目の夜だった。


 ルートヴィヒの葬儀は死後一週間後の明後日と決まった。それまで葬儀に参列予定の帝国内諸侯は宮殿やその周辺の別宅、宿屋に逗留だ。


 オットーおよびジーク、そしてジークのお供にしてお目付役のリヒャルトは、ローデリヒの計らいで宮殿の離れで宿泊していた。


 一方、ノイシュティールン一行は宮殿の本宮に滞在していた。


 大公がルートヴィヒ最後の皇妃ツェツィーリエの甥だからである。


 最後の皇妃として絶大な権力を握ったツェツィーリエが、夫の死を契機に堂々と実家をひいきし始めた。


 もちろん周辺各国はおもしろくない。だが、大公が当たり前のような顔をしているので、なかなか文句をつけづらい。


 今夜の食事会もそうだ。ルートヴィヒ帝の喪に服さなければならない以上パーティなどやるのは言語道断だったが、ノイシュティールン一同は喪服と称した黒いドレスで豪華な晩餐会を開いて楽しくやっている。


 彼らを諌められるのは王号を認められるほど格の高いクセルニヒとザイツェタルクくらいだが、クセルニヒ女王イルマこそ喪服すら着ずに可愛らしいオレンジ色のドレスで歩いているので、ザイツェタルク王である父の心労は如何いかばかりか。ジークは父が好きでなかったが、今回の帝都旅行で彼の苦労を知ったため、態度を少し改めてやることにした。


「やあやあ、ジギスムント」


 その男、ノイシュティールン大公フリートヘルムは、食堂の革張りの椅子に座っておとなしくしていたジークの斜め後ろから明るい声で話しかけてきた。ジークはびっくりして目を真ん丸にした。確かに、ロイデン人の大半は見るからに混血のジークを敬っていない。しかし一応ロイデン有数の名門ザイツェタルクの王子だ。それにこんなふうに気安く話しかけてくるというのはとんでもないことだった。


 彼は愛想の良い顔でにっこりと笑っており、とても人死にが出た後とは思えぬ陽気な態度であった。


「私がノイシュティールン大公フリートヘルムだよ。フレットと呼びたまえ。そのほうが親しげだからね。よろしく頼もう」


 ふわふわした亜麻色の髪を顎の下まで伸ばしている男だった。背は高そうだが、今はジークの顔を覗き込むために前屈みになっている。絹のブラウスの上に分厚くて黒いジャケットを羽織っており、その厚みのせいで体格はわからなかった。白い肌、派手な目鼻立ち、なかなかの美男子だ。年齢は確か二十七歳といったか。


 金色の瞳が、爛々らんらんと輝いている。

 取って食われそうだ。


 彼は膝の上に置かれていたジークの手を勝手に取って強引に握り締めてきた。握手のつもりか。


 慌てて立ち上がろうとする。それでも一応挨拶はきちんとしたほうがいいのではないかと思ったからだ。しかしフレットのほうが手で押さえつけるようなジェスチャーをして止めた。


「構わないよ、私は堅苦しいのは嫌いだ。座りたまえ」


 ジークの隣のオットーが口を開いた。


「フレット、もうご存じのようだが、私の息子のジギスムントだ。私が貴方をフレットと呼ぶようにこの子をジークと呼んでやってほしい」

「もちろんだとも」


 いたずら猫のような瞳で、ジークの目を見つめる。


「可愛いね。お行儀よくテーブルについて夕飯を待っている。いい子だ」


 背筋が寒くなる。


 この男が、帝国でもっとも金を持つ富豪にして、今や最高権力者の座にのぼり詰めようとしている男か。


 美しい叔母を帝室に嫁がせ、美しい妹たちを都市国家諸侯に嫁がせ、今や外戚の筆頭として帝国をゆるがさんとしている、最強の成り上がり、フリートヘルム。


 ノイシュティールンの『ノイ』は、ロイデン語で『新しい』という意味である。


 もとはシュティールン地方と呼ばれる何もない平原だったところを、一商人であったフリートヘルムの祖父が莫大な資産で買い占め、広大な小麦畑と巨大な港湾都市を築いた。


 そして、その財産を相続したフリートヘルムの父親は、金で伯爵の称号を買った上に、皇帝の妹、ルートヴィヒの姉を降嫁してもらって大公の座を得た。 

 そこから交換するように美しい妹ツェツィーリエをルートヴィヒに嫁がせ、権力を盤石なものにした。


 最終的に、現当主フリートヘルムは、従弟のディートリヒを皇帝にしようとしている。


 たった三代の、それも爵位を金で買った卑しいノイシュティールン大公国が、数百年の伝統を持つ誉れ高きザイツェタルク王国と、帝位を巡って争わんとしている。

 恐ろしいことだ。


 けれど、フレットは表向き友好的な態度を装っている。


「紹介しよう」


 フレットが体を起こし、背後を振り向いた。やはり背の高い男だ。


 彼の背後には、五人の男女が立っていた。


「まず、我が従弟にして正統なる帝位継承者、第三皇子ディートリヒ」


 ぺこりと頭を下げたのは、無愛想な少年だった。しかしその容貌は目をみはるほど整っている。真っ白な肌には一点の曇りもなく、十四歳のはずだがにきびもそばかすもない。高い鼻筋は従兄のフレットと似ている。大きな二重の目には父親ルートヴィヒ帝から受け継いだという碧眼が埋まっている。さらさらの亜麻色の髪は柔らかそうだった。

 彼は無言でジークを見つめていた。何も言わない。彼ほどの美少年だと目が合うだけで圧迫感のようなものがあるが、性格はいまいちどんな子なのかつかめなかった。


「次に、我が叔母で、皇子ディートリヒの母君、皇妃ツェツィーリエ」

「よろしくお願いいたしますわ」


 広げた扇の向こうからそう言って微笑んだのは、息子や甥同様美しい女性だった。十四歳の息子がいて、実年齢もおそらく三十代半ばだと思うが、女盛りの美貌がすさまじい。豊満な肢体を黒い喪服に押し込み、黒い帽子から垂れるヴェールの向こう側でも細い首筋が艶かしかった。

 彼女は明るく社交的な印象だ。最後の皇妃としての絶対的な自信も彼女を美しく見せているのだろう。リリアーナが死んだ後金と美貌で帝室にねじ込まれた女で、かなりの化け物であることが窺える。


「そして、この二人は私の従者たち。彼らについてはおいおい説明しよう、初対面で大勢の顔と名前をおぼえさせるのは可哀想だ」


 その二人は図ったかのように同時に片手を胸に当て、恭しく頭を下げた。

 ジークはちょっと興奮した。

 揃いの黒服を着た青年二人は、まったく同じ顔をしていた。

 二人ともふわりとした黒い短髪、二人ともノイシュティールン民らしい黄金色の瞳、二人とも白い肌にアーモンド型の目、年齢は二十代半ばだろうか、同じように背の高い、美貌の男たちだった。

 双子だ。こんなにそっくりなのは初めて見た。


「最後に」


 フレットが双子の後ろを見やった。双子が道を開け、後ろに隠すようにしていたその人を間に通した。


 美しい少女だった。


 長い金の睫毛まつげは憂いを帯びたように伏せられ、丸くて大きな金の瞳を守っている。高いが小鼻の小さな鼻をして、薄紅色の唇は紅をいているのだろうか形がとびきり良い。黒いが胸元の開いたドレスからは白く長い首筋とまだ若い年頃には似つかわしくない豊満な胸の谷間が見えていた。

 特徴的なのはその髪型だった。

 ふんわりとした柔らかな亜麻色の髪を、少年のような断髪にしている。


 硬くて冷たい目をしていた。目線を上げようとしなかった。


「私の妹、エレオノーラだ。ジークには特別にレオと呼ぶことを許そう」


 少女、レオは、にこりともしなかった。

 ただ、次の時、目線を持ち上げた。

 にらむように見据えられたのは気のせいか。どうも敵意のようなものを感じる。何もしていないというのに嫌われたのだろうか。


「年は十七だ。ジークは十九だったかい? 近いね」

「え、あ、はい」


 ジークははっと我に返った。

 どうした自分、まさかとは思うが、レオに見惚れていたのか。


 硬質な、美しい少女、レオ。冷たい目で、ジークを見ている。


「我が家に残った末っ子、私の最後にして最愛の妹だ。仲良くしてくれるとありがたいのだがね、ジーク」

「はあ、まあ」

「ふふふ。まあよかろう」


 フレットがいたずらそうににやにやと笑っている。


「これが我がノイシュティールン大公家の面子だ、ザイツェタルク王家およびその家臣団の諸君。よろしくしてくれたまえよ」


 その不敵な言葉は宣戦布告に似ていた。

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