1-2 イリアナ・サティスファイドとは

 サティスファイド家は数ある貴族の中でも古くから続く家系で、その地位は揺るぎないものであった。家長であるガードンは実直で皇帝からの信も厚く、財務部のトップを務めている。またユグノアの母であるハルルはその美しい容姿から社交界の中であり、皇后と共に流行の最先端を行く人でもある。


 そんな二人に蝶よ花よと大事に育てられたユグノアがやや傲慢に育ったとしても、一体誰が責められようか。いや、責められまい。


「そうよ!お姉様は全てにおいて完璧なんですもの!むしろお姉様の意図を察することのできない人間こそ反省するべきだわ!」


 どん!、と強く机を叩く。机が小さく揺れ、並べられた食器がわずかに浮いた。


「イリアナ、静かに。ここ、食堂。」


 サテラがイリアナの横に座る。二人がいるのは学園内にある食堂だ。イリアナの奇行に周囲にいた生徒たちが反応したが、すぐに自分の日常へと帰っていった。


「でも!サテラ……むぐっ。」


 サテラに嗜められても止まる事を知らなかったイリアナの口を、サテラは柔らかい肉の塊を入れることで止める。


「淑女らしく。食事は静かに。」


 普段表情筋が死んでるのかと思うくらい無表情なサテラが、鬼の形相でイリアナを見る。滅多に見ないサテラの様子にイリアナも思わず黙って口に入れられた肉を咀嚼する。


 サテラはイリアナの興奮がおさまったのを確認すると、食事の前に置かれた食事に手をつけ始める。イリアナが自分の食事に手をつけ始めたのを確認するとサテラも自身の前に置かれた食事に手をつけ始める。どの料理も綺麗に一口サイズに切り分けてから口へと運ぶ。陶器の食器に銀製のフォークとナイフを使っているのにまるで音を立てずに食べていた。他の令嬢に比べて物静かで、自分の地位を笠に着ることがないから忘れがちであったが、サテラも立派な侯爵令嬢であった。


「サテラは、本当に綺麗に食べるわよね。」


 イリアナも食事を進めながら呟く。サテラは不思議そうにイリアナを見つめる。たくさんの生徒に溢れかえって騒がしい中でもイリアナの声はちゃんとサテラに届いていたようだ。


「ううん。なんでもないわ。」


 イリアナは笑ってなんでもないふりをする。サテラは首を傾げながらも食事を続けた。


 その時だった。二人の席から少し離れたところが一層騒がしくなった。二人は何事かと騒がしくなった場所に目をやる。するとその騒めきの中心にはイリアナの姉、ユグノアがいた。


「!!」


 イリアナはユグノアを見つけると反射的にその場で立ち上がり、ユグノアの近くに走り寄った。そしてサテラも一歩遅れてイリアナの後を追った。


 ユグノアの近くには彼女とその取り巻きを中心に円を描くようにポツンと空間ができていた。ユグノアの反対には、体を震わせながら今にも泣き出しそうに青褪めた見知らぬ女子生徒がいた。


「あの子、よりもよってあのユグノア様にぶつかるなんて。」

「見てみなさいよ。ユグノア様の服が汚れてしまっているわ。」


 周りの野次馬の中からそのような内容の囁き声が聞こえてくる。どうやら震えている女子生徒がユグノアにぶつかったようだった。

 イリアナはユグノアの衣服が汚れたことも気になったが、それよりもユグノアが怪我をしていないかが不安だった。ぶつかったとされる女子生徒のことなんて眼中にも入っていなかった。

 イリアナが今にも飛び出してユグノアの無事を確認しようとしたところで事態が動く。


「貴方!ユグノア様にぶつかるだけじゃなく、お召し物まで汚すなんて!」


 イリアナの不安をよそにユグノアの取り巻きがヒステリック気味に声を荒げる。その声に同調するように他の取り巻きが声を荒げる。


「まぁまぁ。皆さん、少し落ち着きましょう。」


 まさに鶴の一声だった。ユグノアが言葉を発すると、周りの取り巻きだけじゃなくイリアナの周囲にいた人たちまで口を慎んだ。まるで今口を開けば、ユグノアに目をつけられるのではないかと恐れているようだった。


「この御令嬢も、わざと私にぶつかったわけじゃないでしょう。ねぇ、マグノリア嬢。」


 絶対零度の瞳でユグノアは蹲る女子生徒に話しかける。マグノリアと呼ばれた生徒についてイリアナは思考を巡らせる。


 たしかマグノリア家は王都から離れた小さな土地を治める男爵家の名前だったはずだ。その権力と地位はユグノアと比べれば天と地ほどの差がある。


 その生徒もそのことは十分に理解しているからか、ユグノアに話しかけられたことでより一層体を震わせた。それは見ているほうが可哀想に思うほどだった。


「あ、あの、私……。」

「誰が発言していいと許可しましたか?」


 マグノリアが言葉を発するもユグノアがはっきりと止める。


「貴方の不注意で私とぶつかり、あまつさえ制服をダメにされたけれど、私は貴方が誠意を見せるのなら、今回の件を追及するつもりはなくてよ。」


 ユグノアは蹲るマグノリアの髪を思いっきり引っ張り、無理矢理ユグノアに視線を向けさせる。マグノリアは今にも倒れそうな暗い顔を青褪めさせていた。


「さぁ、貴方はどんな形で私に誠意を見せてくださるのかしら?」


 弧を描くように美しく彼女は笑った。ユグノアの美しくも威厳のある微笑みを至近距離でみたマグノリアは今度こそ言葉を失ったようだ。

 ユグノアはそこでぱっと彼女の髪の毛を離した。まるで興味がなくなったかのようだった。髪の毛を離されマグノリアは再び地に伏せた。マグノリアの顔の前にはちょうどユグノアの靴があった。


 考えることを放棄したマグノリアは、それでも必至にユグノアが求めるであろう誠意を見せようとした。


 そう、ユグノアの足に口付けを送ることで。


 周りの取り巻きもマグノリアの意図に気づき、くすくすと笑うのをやめない。周囲で様子をうかがっていた生徒たちは可哀想にと顔に浮かべながらも決して手を差し伸べることはなかった。対岸の火事は自分に届かないからこそ意味があるのだ。

 あと少しでマグノリアの足先に口が届くところで、ユグノアはさっと足を後ろに引いた。


「!」


 マグノリア驚いて顔を上げた。その先には侮蔑のこもった目で見下げるユグノアがいた。


「それが貴方の誠意なのだとしたら、品位のかけらもないわ。こんな娘を持って、さぞかし貴方のご両親も残念でしょう。貴方、もっとご自身の家柄に見合った行動を考えたほうがいいのではなくて?」


 そういうとユグノアは汚いものから離れるように身を翻してその場を後にした。

 取り巻き含め、周りの人たちは突然のユグノアの行動についていけていなかった。皆んな、ユグノアがマグノリアに残酷な仕打ちをすると思っていただけに、突然手を引いたユグノアに周りは困惑していた。


 取り残されたマグノリアは緊張の糸が切れたのかその場で泣き出した。するとどこかにいたのか数人の友人らしき生徒がマグノリアのそばに現れて慰め始めた。


 周りの生徒は混乱しながらも徐々に自分の日常に帰っていく中、イリアナだけはユグノアの後ろ姿をいつまでも見ていた。


「……だわ。」

「?」


 小さく呟いたその声は、喧騒を取り戻しつつある周りの騒めきにかき消されてしまい隣にいたサテラには届かなかった。


「さすがだわ、お姉様。あんなことをされてもお許しになるどころか、逆にマグノリア嬢に助言までしていかれるなんて……そんなことできるのはお姉様くらいしかおりませんわ。」


 恍惚とした表情でイリアナはそう言った。たまたま近くにいてイリアナの言葉が聞こえていた生徒たちは信じられないものでも見るようにイリアナを見ていた。サテラはいつものやつかと思い、気にするのをやめた。イリアナだけは周りの様子に気づいていなかった。ただ、いつまでもユグノアの差っていった方を見ていた。


 しばらくして、イリアナは座り込んで泣いているマグノリアに近づいた。周りを囲んでいた生徒たちも皆自分の生活に戻っていた。


「貴方、大丈夫?」


 イリアナはマグノリアに手を差し出す。マグノリアは彼女の友人たちに慰めてもらいながらも、突然話しかけたイリアナに顔を向ける。そして、涙を拭ってイリアナの手を取る。


「ありがとうございます。」

 感謝この言葉を告げるマグノリアにイリアナはにっこりと害のない笑みを見せる。


「どういたしまして。それより、これくらいで済んでよかったわね。」

「え?」


 イリアナの言葉にマグノリアは首を傾げる。


「侯爵家の大事な大事なご息女にぶつかって、もしも怪我でもさせてしまっていたら、今頃貴方、その手を切り落とされていたとしても文句は言えませんわ。」

「ひっ!」


 うっそりと怪しく笑うイリアナにマグノリアとその友人たちは小さく悲鳴をあげる。


「それにユグノアお姉様が寛大なお心でお許しになったからいいものを……あの制服だって貴方の家では弁償もできない程の金額なのよ。」

「ユグノア、お姉様…?」


 マグノリアはイリアナの言葉を復唱する。


「あぁ、ご挨拶が遅れましたわ。私、ユグノア・サティスファイドの妹、イリアナ・サティスファイドと申します。以後お見知りおきを。」


 行儀の良い笑顔を作りながら、イリアナは自己紹介をして、一礼する。マグノリアはそこでようやくイリアナが誰だか気がついたようだ。マグノリアは再び顔を青褪めさせた。ユグノアの噂もたくさんあるが、それ以上にイリアナの噂は苛烈で、危険なものが多いと言われていた。そしてその噂のどれもにも必ずユグノアが関係しているとも。


「あ……その………。」


 マグノリアは視線を彷徨わせる。イリアナはマグノリアの顎をそっと触れ、イリアナの方に顔を向けさせる。そしてその両目をしっかりと覗き込みながら微笑んだ。


「お姉様にお怪我がなくてよかったですわね。もしもお姉様に傷一つでも付いていたのなら、お姉様がたとえお許しになったとしても、私が必ずその手を切り落としておりましたわ。」


 イリアナはそのまま顔を耳元に近づけると、マグノリアにだけ聞こえる声で言う。マグノリアは息を止め、冷や汗を流す。


 そして彼女はある噂を思い出す。その噂はこの学園だけではなく、社交界にも広がる噂だった。


 ユグノア・サティスファイドよりもイリアナ・サティスファイドの方がより残酷で残虐。そして冷酷である、という噂である。


 マグノリアももちろんその噂を知っていた。そして今まさにマグノリアはその噂が事実であることを身をもって実感することとなった。

 マグノリアが言葉を失っているとイリアナの肩に手をかけられる。


「イリアナ。やりすぎ。」


 サテラだった。イリアナはマグノリアから手を離し、きょとんと幼い子供のような顔をした。そしてはマグノリアに視線を戻し、花が咲くように笑い出した。


「あら?怖がらせすぎちゃったみたいね。大丈夫よ。お姉様が既にお許しになったのに、妹であるこの私が出しゃばったりしないから。」


 先ほどまでとは打って変わって朗らかに笑うイリアナに、マグノリアたちは顔を引き攣らせる。どこからが本気でどこからが冗談なのかわからないのが、イリアナの怖いところであった。

 その時予鈴が鳴り響いた。


「もうこんな時間なのね。貴方たちも、次の授業に遅れないようにね。」


 片手を上げて颯爽とその場を後にしたイリアナに、マグノリアたちは呆気に取られその場に置き去りにされた。サテラはそんな彼女らを少しだけ同情しながらもイリアナの背中を追いかけた。


 イリアナ・サティスファイドとは姉であるユグノアを盲信し、ユグノアの全ての行動を全肯定し、なによりもユグノアを優先して動く人間であった。そこにユグノアからの愛は関係なく、ただ、イリアナはユグノアを心から敬愛していた。

 これはそんなイリアナがユグノアの幸せを全力で応援する話だったりする。

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悪役令嬢の妹ですがなにか!? 豆茶漬け* @nizu

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