1-1 イリアナ・サティスファイドとは
王立アールカイド学園は貴族が通う学校であるが、当然その中にも階級というものが存在する。
公爵家の令息、令嬢を中心とした王族派。伯爵、子爵を中心とした貴族派。そして男爵家を中心に特例で入学した庶子も混ざる庶民派に分かれている。
イリアナ・サティスファイドは侯爵家の令嬢であるため、王族派の派閥に所属している形となる。しかし、イリアナにとってはどの派閥に所属しているかは大きな問題ではなかった。そんなことよりも彼女にはもっと大切なことがあった。
イリアナは校門付近で周りを見渡す。そしてその後ろ姿を捉え、その人に向かって風のように走り出す。
「ユグノアお姉様!」
イリアナにとってはその他大勢の生徒がどれだけ群がっていても大した問題ではない。そんなことよりよそこに彼女の姉、ユグノア・サティスファイドがいることが何よりも大事なのであった。
せっかく朝早くから身なりを整え、完璧な姿でユグノアに会うはずが、姉の姿を見つけつい興奮して走ってしまったせいで、縁緋色の髪はボサボサになり、制服は乱れてしまった。
ユグノアは駆けてくるイリアナに気がつき足を止める。そして、ただでさえ吊り目気味で睨んだような表情に見える目をさらに吊り上げさせた。
「イリアナ……貴方、何度同じことを言えば分かるのかしら。貴方のその耳と頭は飾りでしかないのかしら。」
見た目もきつければ言葉も厳しかった。ユグノアは菜の花のように輝く長い金髪を後ろへ払った。舞い上がった金髪の髪は太陽の光を浴びてより輝いていた。
「お姉様…。」
怒った顔をしているユグノアもとても美しいとイリアナは思った。
「本日も誰よりもお美しいです、お姉様!」
そんなことを考えていたせいで、思わず心の声が漏れてしまった。そして思いの外大きな声を出してしまったようで、周りを歩く他の生徒から奇異の目で見られる。
しかし、イリアナの横にユグノアがいるのを見た瞬間、彼らはさっと顔を伏せ、足早にその場を後にする。まるで、ユグノアに関われば不幸が舞い降りと言わんばかりの態度だった。
イリアナはそんな彼らの様子など目に入っていなかった。イリアナの目には不快そうに顔を歪めているユグノアの顔しか入っていない。
「貴方、何を考えているのかしら。全く反省していない様子ですけれど。」
「あっ……も、申し訳ございません。お姉様のお言葉は一言一句、聞き漏らさず全てを憶えていられるように努力しておりますが、お姉様を前にすると全てが飛んでしまうといいますか…あ!いえ、決してお姉様のお言葉を軽んじているわけではないのです、決して!」
イリアナは思わず顔の前で手をクロスさせて弁明する。そしてユグノアに理解してもらうためについ熱が入って喋り過ぎてしまった。イリアナは心の底からお喋りな自分の口を恨んだ。
「もういいわ。貴方のような残念な頭をお持ちの方に、少しでも期待した私が馬鹿でしたわ。」
「はわわ。お姉様が私なんかに期待をしてくださっていたなんて……私、嬉しすぎて涙が出てきそうです。」
うんざりしたように話すユグノアに対して、イリアナは目を輝かせる。都合のいいところしか聞いていないイリアナをユグノアは気持ちの悪い虫でもみるかのような目で見る。そして深く息を吐くとさっと踵を返して歩き出した。ユグノアの表情の変化一つ見逃すまいと見入っていたイリアナは反応が一瞬遅れる。
「ま、待ってください!お姉様ぁ!」
その言葉にユグノアが反応することはなかったが、それでもイリアナは嬉しそうにユグノアの後を追った。
***
イリアナとユグノアは一歳差の姉妹だ。そのため、学年の違う二人が広い学園の中で出会うのは奇跡のような確率といえる。しかしそれでもなぜか、イリアナはユグノアをことあるごとに見つけだす。もはや何かの能力を使っているのではないかと周りが引くほどであった。
「あ!お姉様だわ。」
そして今日もイリアナは教室の移動の途中で、当然のようにユグノアを見つける。
ユグノアはイリアナとは反対の廊下を複数人の取り巻きと一緒に歩いていた。背筋を正し、凛とした姿で歩くユグノアは見目麗しく、貴族の風格が備わっていた。イリアナは思わず息を止める。さらりと風に流れる金の糸はまるで美しい麦畑を連想させる。
イリアナが見惚れていると、ユグノアはイリアナに気が付かず遠ざかっていく。イリアナは我に返り、ユグノアの元に駆け出そうとした。ほんの少しの間でも、敬愛するユグノアの傍に居たかったのだ。
「お姉様!」
踏み出した足は誰かがイリアナの首根っこを掴んだことで止められた。イリアナが誰かに止められている間にユグノアは建物の中に入って行ってしまった。
「お、お姉様……。」
イリアナはとても残念そうな声を上げた。そして鋭い目つきでユグノアとの逢瀬を邪魔した不届き者を見る。その目つきは知らず知らずのうちにユグノアの目つきに似ていた。
イリアナの首根っこを掴む手の先を見るとそこにはルビーのような透き通った髪色をした大人しそうな女性が立っていた。
「あら。サテラじゃない。」
イリアナは怒気を霧散させ驚いた顔をした。イリアナは彼女のことをよく知っていた。
彼女の名前はサテラ。サテラ・ルーベント。イリアナと同じ侯爵令嬢で、同年代かつイリアナの数少ない友人の一人である。
「あんたの大好きなお姉様を追いかけてたら、次の授業に遅れる。」
無表情で言うサテラはぱっとイリアナのことを離した。きっともう暴走しないだろうと判断したのだろう。そしてユグノアの姿が見えなくなった今、その判断は間違っていなかった。
「お姉様のお側に行くこと以上に大切なことなどないでしょう?」
イリアナは当然のことのように言い切った。きょとんとした顔をする彼女は全てにおいてユグノアを優先することが当然の摂理とでも言わんばかりの様子だった。そんなイリアナにサテラは首を横に振って否定の意を示す。
「イリアナが良くても、ユグノア様は?ユグノア様がもしも次の授業に遅れでもしたら…。」
「何がにおいても完璧でいらっしゃるお姉様に汚点が出来てしまう……?!」
たった今その事実に気がついたかのように驚くイリアナにサテラは小さく頷く。
「そ、それはたしかに…良くないわ。何より、私ごときの存在がお姉様の邪魔になるなんて、許しを乞うても許されることじゃないわ…!サテラ!私の愚かな行いを止めてくれて本当にありがとう!…サテラはいつも私の過ちに気が付かせてくれるわね。」
勢いよくサテラの両手を取り、上下に振る。サテラは問題ないとでも言うように頷くと、するりとイリアナの拘束から逃れる。
「イリアナ。私たちも早く行こう。ユグノア様の妹なら、授業に遅れちゃダメ。」
「それもそうだわ。お姉様の妹である私も欠点の一つもない人間にならなくてはお姉様に恥をかかせてしまうわ。」
サテラの言葉を都合のいいように解釈したイリアナは、張り切って歩き出した。
そんなイリアナを見ていたサテラは心の中で溜息をついた。
サテラ・ルーベントはイリアナ・サティスファイドの扱いを熟知していた。
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