※ 第二章 ※

婚礼の夜

≪1≫


   

 花嫁姿の陵容と彼女に付き従った侍女たちは、騒がしい祝宴の席を静かに抜け出した。初夜を迎える花嫁の後ろ姿に、宴席にいるもの誰ひとり気づかぬ振りをするのが、西華国の婚礼のしきたりだ。


 花嫁と侍女が抜け出した外には、赤い布と赤い造花で華やかに飾り付けられた輿が待っていた。陵容が乗り込むと、前に六人後ろに六人の宦官の担ぎ手が輿を持ち上げる。動き始めた輿の先頭には夜道を照らす提灯を持った者達、後ろにはこれから第四皇子の妃付きとなる侍女と宦官が総出で並んでいる。そして彼らを護衛の武官が物々しく取り囲む。


 宴席の設けられた前庭から後宮の入口の門までは歩いても知れるほどの短い距離だが、ことさらにのろのろと花嫁の輿の長い行列は進んだ。それはもう二度とこの道を引き返せないことを花嫁に覚悟させるためである。


 担ぎ手が一歩前に進むごとに、輿の中に座った花嫁は今まで育った世界での思い出を一つ捨てる。一つ捨て二つ捨てと、後宮への門をくぐる時は空っぽの心と体にならなければならない。そして門をくぐり後宮に入れば、贅沢だが後戻りできない過酷な新しい日々が始まる。




※ ※ ※


 本来であれば、皇太子に冊立された者以外は、妻を迎えた皇子はそれなりの身分と暮しを与えられて後宮から出て行く決まりだ。


 しかしまだ、皇帝は自分の地位を継がせる者を決めていない。そのこともあってか、婚礼を控えた第三皇子の新しい住居について、ある日の朝議の席で、皇帝はこともなげに言った。


「第二皇子も第四皇子もちんを見捨てるがごとく早死にしてしまった。そのうえに、十年前より朕には子が授からぬ。朕が頼りに出来る男子は、第一皇子と第三皇子の二人だけだ。第三皇子の母はすでに亡くなり、殿舎は空いている。婚礼のあとも引き続いて第四皇子が住めばよい。第一皇子もすでに妃のいる身でありながら、皇后とともに後宮で暮らしているではないか」


 その言葉を聞いて青ざめたのは、当の第三皇子だけではない。居合わせた家臣達も、皆、戸惑った顔を見合わせた。


 第二皇子も第四皇子も表向きは病死となっているが、その死因には不審なことが多々ある。しかし、第一皇子の生母である皇后とその外戚のとう氏を怖れて、そのことについては誰も口にしない。


 一人の大臣が一歩前に進み出た。彼には淘氏の息がかかっている。第一皇子より聡明で人望のある第三皇子を後宮から追い出すのは、皇后と淘氏の意向でもある。手にしたしゃくを頭上まで掲げて彼は言った。


「おそれながら、陛下に申し上げます。妃さまをお迎えになられた皇子さまが後宮を離れるのは、西華国始まってよりの決まりごとにございます。陛下の御代に決まり事を破れば、天下のまつりごともまた必ずや乱れましょう。お考え直しください」


 露骨に皇后と淘氏におもねったその言葉に、苦々しい顔をした者は数えるほどしかいない。朝議に出ていた者達の大半が、しゃくを掲げ持ち大臣の言葉を大声で復唱した。


「皇帝陛下、お考え直しください」

「皇帝陛下、お考え直しください」


 怒りで顔を真っ赤にした皇帝が玉座から立ち上がった。

「うるさい、黙れ! 見せかけの忠臣どもが!」


 愚鈍な皇帝だったが、それゆえになおさらのこと保身の術には長けていた。第三皇子が後宮を去れば、皇后と淘氏は第一皇子を皇太子に冊立することを露骨に求めてくるだろう。第一皇子が皇太子となれば、次に皇帝の座を狙ってくるのは当然のこと。だが、皇太子の座をめぐって第一皇子と第三皇子を競わせている間は、自分の皇帝という地位も一つしかない命も安泰というものではないか……。


「おまえ達の考えは矛盾している。おまえ達の言うところの善きまつりごとのために、ちんは第一皇子も当然ながら、第三皇子をもまた常にそばにおきたいのだ。第三皇子の聡明さは皆も知っているはずだ。必ずや、これからも朕によい助言をくれることだろう」


 その言葉に反論できる者はいない。これ以上何かを言えば、皇后と淘氏の怒りを買う前に、皇帝に首を刎ねられる。皇后と淘氏を怖れてはいるが、それに殉じる覚悟は誰も持ち合わせていなかった。


 水を打ったように静まりかえる中、第一皇子と並んで大臣たちの前に立っていた第三皇子は伏せていた顔を少し上げた。そして、正面の玉座の後ろで控えている趙将軍をちらりと見た。将軍は刀の柄に手をかけて仁王立ちしている。皇帝に逆らう者があれば一刀のもとに斬り捨てると、その顔に書いてある。


 不審な死を遂げた第二皇子や第四皇子と違って、第三皇子の命が今日まで長らえているのは、この将軍のおかげだ。彼の娘の陵容を妻にすることが決まった日より、陰に日向に第三皇子は将来義父となるこの男に守られてきた。


 一歩前に進んで彼は深く揖礼した。


「皇帝陛下、ありがたいお言葉にございます。あの殿舎に引き続いて私が住めば、亡き母も喜ぶことでございましょう」


「よくぞ言った、第三皇子。しかしそのまま住み続けるにはなにかと不都合もあるだろう、殿所の改築を申しつけるぞ」

 満足げにそう言い、再び玉座に座ると皇帝は言葉を続けた。

「第一皇子よ、すでに妃を持つ者として、第三皇子を導いてやってくれ」





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