≪4≫
「お上人さま、わたくしのお喋りで、時間をとらせてしまいました。わたくしめの口は閉じることといたします。さぞや、お腹がお空きになられたことでございましょう。どうぞ、お召し上がりください。」
「いやいや、いつも思うことだが、おまえとのお喋りは楽しい」
その言葉に顔を紅潮させた早慶は、上人の背後に回ると言葉を続けた。
「後ろから失礼いたします。頭巾をお取りいたします」
「ああ、すまないね、頼むよ」
早慶は手を伸ばして、上人の頭をすっぽりと覆っていた頭巾を持ち上げた。彼の目の下に、癖強く波打った寧安の白髪交じりの赤い髪の毛が現れる。初めて見た時は、上人が剃髪していないことに驚いた早慶だが、それも今は見慣れた。
――お上人さまの頭巾を外したら、おまえは顔を伏したまま退室するのだぞ。ちらっとでも、お上人さまのご尊顔を見てはならない――
おまえのお喋りな口が心配だと言った有慶の、これもまた早慶に残した忠告だ。
そのために上人の顔を正面からみたことはない。しかし後ろから見下ろしてもわかる。骨ばって張り出したいかつい額と、猛禽類の嘴をおもわせる曲がった鼻梁。陽に焼けてはいないはずだが、肌の色は浅黒い。その眼の色はたぶん真っ黒で、人の心など鋭く見透かしてしまうのだろう。
それは、先輩僧侶たちより聞かされた噂話から作り上げた印象とはかなり違っていた。
寺院の奥深くに引きこもり皇帝の安泰を願って読経三昧の日々を過ごしている上人は、体にも心にも尖ったところも曲がったところもなく丸々としていて、そして肌はつやつやと白く輝いているのだろうと、勝手に想像していた。
確かに、上人の物腰やものの言い方は穏やかで、自分のくだらないお喋りをけっして咎めることはない。しかしそれはうわべだけのことではないのか? こうして上人の頭巾を取る時、彼はいつも思う。
もしかしたら、自分は得体の知れない世界に足を踏み入れてしまったのではないか、そしてそれはもう引き返したいと思っても引き返せないのだと、かすかに手が震える。
若い僧侶の手の震えは寧安にも伝わった。
この素直でお喋りな僧侶がそのうちに自分の不老不死と半氏の繁栄と銀狼教の秘密に気づき、いやでもその口を閉ざし寡黙になる日が来ることを、寧安は知っている。この五百年、いままでの傍付きの僧侶たちがそうであったように。
そしてその秘密の重さを抱えきれなくなった時、彼らは皆、寧安の傍を離れて自ら命を絶ってしまうのだ。
「では、わたくしは下がらせていただきます」
胸の前に突き出して囲った両腕の中に頭を深く垂れて早慶は言い、そのまま摺り足で後ずさった。開け放した戸の敷居を片足の裏に感じて、とどこおりなく昼餉の用意を完了した安堵にほっとした時、上人が彼の名を呼んだ。
「早慶……」
思わず顔をあげそうになった彼は慌てて、ますます深く頭を下げる。そのせいで体が前に傾いで倒れそうになり、やっとの思いで踏ん張った。心の中の迷いを見抜かれた思いがして、彼にしては珍しく声に明瞭さが欠けた。
「お、お、御上人さま、な、な、なにか粗相がございましたでしょうか?」
「いや、そのようなことではない。今日あたり、喜蝶さまが碁を打ちにいらっしゃるのではないかと思い出してな。喜蝶さまがお見えになられたら、かならず、すぐにわしに知らせよ」
「かしこまりました」
なんだ、そのようなことだったのかと彼は思い短く答えると、後ずさったまま部屋の外に出た。しかし、体が壁の陰に隠れるところまできて顔を上げようとしたとき、ぽたりと水滴が落ちて、廊下の乾いた床に黒く丸い染みを作った。
それが自分の額から落ちた汗だと気づくと同時に、全身に汗がどっと噴き出て、身にまとった一重の作務衣が濡れて体にはりついた。
自分はいったい何をこれほど怖れているのだろうと、早慶は思った。
※ ※ ※
皇帝がわざわざ
あの時、『五百年後に、髪の白い美しい少女がこの地を訪れる。庇護しその少女の望みを叶えよ』と、銀狼は言った。
――少女との出会いはどのような形となるのだろうか、そしてあの美丈夫な若い男の神が妻にと願ったという、天上界からこの地に落ちてさまよい続けているという少女はどのように美しいのか――
五百年前から、思いを馳せない日は一日たりともなかった。それにしてもまさかこのような形で出会うとは。
少女に
そして、彼女は時々、退屈な後宮から抜け出してきて、寧安と碁を打って遊ぶ。
言葉も喋れず記憶を保つことも出来ない少女だが、勘だけで打ちこんでくる石はなかなかに手ごわい。
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