≪3≫
「そうだったのですか!」
知識を一つ増やした喜びに、若い僧侶の顔が輝く。
――まだまだ未熟者だが、素直な考え方をするよい若者だ。厨房で働いていたというが、
再び小首を傾げて何ごとかを思案し始めた横顔をながめて、
――この素直で無邪気な若い男をわたしの元に寄こしたのは、彼の成長していく姿を日々にながめて、悠久の時の無聊にせよという有慶の配慮か? 気の利く男ではあったが、最後までたいした気配りだ――
だが、寧安の物思いは早慶の明るい声に破られた。
「お上人さま。お上人さまのお言葉で、わたくしにも一つわかったことがございます。申し上げてもよろしいでしょうか?」
「おお、何に気づいたのだ。遠慮することはない、なんでも言ってみよ」
「わたくしども僧侶の衣の色が、神話に出てくる大木の樹の肌の色であれば、お上人さまの衣のその深い緑色は、もしかすると、その大木の葉の色ではございませんか?」
早慶の言葉に、今度は寧安が自分のまとった法衣を見下ろす。
ぬめぬめとした光沢をもつ最上級の絹で仕立てたそれは、早慶の指摘通り深い緑色に染められていた。西華国においてその色は、銀狼教の上人ただひとりしか着ることのできない禁色だ。
五百年前に銀狼に導かれてその大木の下で、皆で身を寄せあって眠った。翌朝に見上げた大木のみずみずしい葉の色と、安住の地をやっと見つけたという安堵を、昨日のことのように思い出す。
だが、今、その大木はない。
族長の地位を譲った彼の息子が、砂漠の民の掟を破り、草原の国をまねて皇帝を名乗った。
族長として民を憂い率いることと、皇帝と呼ばれて民を統治し君臨することには、雲泥の差があると、
彼の父親の半亀禮はすでに
深く頭巾を被りその姿を誰に見せることもなく、
その後また時が過ぎて、息子の息子である皇帝が側室を持つと言い出した。
死に別れれば再婚はあったが、夫婦となったからには最期までひとりの妻とひとりの夫に添い遂げることは、厳しい砂漠で生きるための知恵だ。そのうるわしい掟を、隣国から献上された美姫に目がくらんだその皇帝は破るという。
「他国の皇帝は、後宮をかまえ、そこに多くの妃を住まわせているではないか。だから自分も真似て、何が悪いのか」
そう言ったという皇帝の言葉を人づてに聞いて、苦々しく思ったが、反論はしなかった。
そのころになると、完旦は小さいながらも西華国という一国の都となっていた。小さい国で兵の数も多くはないが、なぜか、他国から仕掛けられた戦はことごとく退け、こちらから仕掛けた戦はことごとく打ち勝つ。
半氏一族の安泰は揺らぐこともない。
それもあって、半氏一族がどのように変貌しようと、自分は姿を人目にさらさぬようにしてただ祈り続ければよいのだと、亀禮は思うようになっていた。
神の真意などしょせん人には解せぬもの。そもそもが、五百年など神々にとってはたかが午睡の時にしかすぎぬと、あの時、銀狼は言ったはず。短い午睡の間に人の世に起きることに、神の真意などないのだろう。
そしてまたまた月日は過ぎ去り、何代目かの皇帝が「宮殿を広げるのに邪魔だ」と言って、亀禮に告げることもなく大木を切り倒した。大木に実が
それでも大木を切り倒したことに皇帝も後ろめたくは思ったのか、それまで祠でしかなかった寧安の住処を、宮殿の横に立派な銀狼教の寺院として建て替えた。そしてその寺院の頂点に立つものに上人というたいそうな名称を与えた。また、上人の衣の色を深い緑色とし、皇帝の衣の輝く黄色とともに禁色に定めた。
その日より、数十年に一度、亀禮は形だけ死んで寧安上人という名前を引き継ぐ。
物思いに沈んだ寧安上人からの返事がないので、早慶は自分の言葉に自信を無くした。慌てて上人の足元に平伏し、頭を床につけて言う。
「見たこともない大木の葉の色を語るなどと、大それたことをしてしまいました。お許しください」
「いやいや、そのようなことで一々案じずともよい。よくぞ、気がついたな、早慶。おまえの言うとおりだ。この禁色の深い緑色は、その大木の葉の色だ……」
そして最後に一言つけ加えるのを彼は忘れなかった。
「……、と言っても、わしもおまえと同じく、その大木をみたことはないのだがな」
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