寧安上人と銀狼教
≪1≫
宮殿の
この光景を銀狼山脈の麓から見上げれば、砂礫をむき出しにした灰色の山肌に、それはまるで、片方は青く片方は金色の羽を広げた巨大な鳥のように見える。
宮殿では、建国以来延々と続く半氏の血脈を誇る皇帝とその妃たちが、多くの侍女と宦官にかしづかれて何不自由ない暮らしを営んでいた。そして寺院の奥深い場所には、銀狼をかたどって刻まれた石造りの像が祀られ、
しかしながら、銀狼教という名ではあるが、西華国の民の幸せを願いその教えを広めるための寺院でも僧侶たちでも読経でもない。銀狼教の存在目的はただ一つ、西華国を治める皇帝・半氏の存続と繁栄を祈るためだけにある。
※ ※ ※
読経を終えて自室に戻った
初夏の空の色は濁りなく薄青く澄み、その明るさを照り返した銀狼山脈の万年雪はいっそう白く輝いている。その光景は、五百年前に住処としていた小さな小屋の
――自分の体も、五百年前に見た空の色と同じく、六十代半ばのまま変わっていない。ただ、呼ばれる名前だけは、
女が抱けたか……。今より十歳若い自分の姿を思い描き、頭に浮かんだ忘れて久しい夢想を彼はしばし楽しんだ。
再婚することなく自ら選んだ
――いや、女を抱く楽しみは捨てたが、時おりはひそかにこの寺院を抜け出して、異国を旅することを楽しめたはず……――
そしていつものように、今より十歳若い心と体は、はたして五百年の孤独に堪え得ただろうかと、そこに想いは戻る。
銀狼より与えられた不老不死を喜べたのは、ほんのしばらくの間でしかなかった。
自分より若いものが歳をとり老いさらばえて死んでいく。それを初めて経験したのは、苦難を供にして完旦にたどりつき西華国の初代皇帝となった一人息子が、老衰で死にゆく姿を見た時だ。
「お上人さま、
背後から声をかけられて、物思いから我にもどった寧安は振り返った。
剃り跡もすがすがしい青い頭を見せて、ひとりの僧侶が恭しくひざまずき頭を垂れて彼の返事を待っている。
最近、彼の傍仕えとなったばかりの若い僧侶だ。
前の傍仕えの僧侶は三十年常に傍らにいて、文字通り痒いところに手が届く気配りで仕えてくれたが、つい最近、自分の年齢を理由として彼の元を去った。
主人が不老不死である秘密を知ってしまった彼は、その後どうしているのか。たぶん今までの付き人たちと同様に、もうこの世にはいないはずだ。彼の死に際がやすらかであったことを祈るしかない。
「おお、もうそのような時刻であったか。歳をとると時の流れが遅く感じられて困る。
「もったいないお言葉にございます」
そう答えて顔をあげた
「皇后さまより珍しいお菓子を戴きましたので、昼餉のあとに召し上がっていただけるように、用意しております」
「それはありがたい。わしが甘いものに目がないことを、皇帝陛下も皇后も御存じであられる」
「第三皇子との婚儀をひかえていらっしゃいます
「そういえば、そのようなめでたい話が、あちらではすすんでいたな」
ひざまずく早慶の頭を見下ろしていた視線をあげて、安寧は宮殿のある方角を見やった。
「ご婚儀の前には、第三皇子さまと陵容さまがうち揃って、こちらに挨拶に参られると聞いております」
「そうか、そうか、それは楽しみなことだ」
「では、お上人さま、昼餉の膳を並べ終えたかどうか見てまいりますので、中座することをお許しください」
そう言って、早慶は立ち上がる。摺り足で部屋の中へと消えていくその後ろ姿は、羨ましいほどの若さに満ちていた。
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