寧安上人と銀狼教

第13話 銀狼教と寧安上人


   

 銀狼ぎんろう山脈の中腹に築かれた、西華国せいかこくを治める中枢となる壮大な宮殿。銀狼教の寺院もまたその横にあって、宮殿に勝るとも劣らない荘厳さを誇っていた。


 宮殿の瑠璃瓦るりかわらと、寺院の大小いくつもそびえ立つ金色の尖塔せんとう

 この光景を銀狼山脈の麓から見上げれば、砂礫をむき出しにした灰色の山肌に、それはまるで、片方は青く片方は金色の羽を広げた巨大な鳥のように見える。


 宮殿では、建国以来延々と続く半氏の血脈を誇る皇帝とその妃たちが、多くの侍女と宦官にかしづかれて何不自由ない暮らしを営んでいた。そして寺院の奥深い場所には、銀狼をかたどって刻まれた石造りの像が祀られ、寧安上人ねいあんしょうにんと多くの僧侶たちの読経が途絶えることはない。


 しかしながら、銀狼教という名ではあるが、西華国の民の幸せを願いその教えを広めるための寺院でも僧侶たちでも読経でもない。銀狼教の存在目的はただ一つ、西華国を治める皇帝・半氏の存続と繁栄を祈るためだけにある。





※ ※ ※


 読経を終えて自室に戻った寧安上人ねいあんしょうにんは縁に出て、目深にかぶった頭巾の隙間から、銀狼山脈の上に広がる空を仰ぎ見ていた。


 初夏の空の色は濁りなく薄青く澄み、その明るさを照り返した銀狼山脈の万年雪はいっそう白く輝いている。その光景は、五百年前に住処としていた小さな小屋のり抜き窓から、毎日眺めていたものとなんの変りもない。


――自分の体も、五百年前に見た空の色と同じく、六十代半ばのまま変わっていない。ただ、呼ばれる名前だけは、半亀禮はん・きらいから寧安へと変わったが。あの時、あと十年早く銀狼さまが完旦かんたんをお訪ねくださっていたら。この五百年、わしも五十代の若い体で過ごせたものを――


 女が抱けたか……。今より十歳若い自分の姿を思い描き、頭に浮かんだ忘れて久しい夢想を彼はしばし楽しんだ。


 再婚することなく自ら選んだやもめの立場だった。しかしながら独り身ではあったが、完旦に住む人の妻や生娘に手をだすことは、自らを戒めてきた。女に気を許して、銀狼との誓約と不老不死の秘密を、褥の中で喋ってしまうことをおそれた。


――いや、女を抱く楽しみは捨てたが、時おりはひそかにこの寺院を抜け出して、異国を旅することを楽しめたはず……――


 そしていつものように、今より十歳若い心と体は、はたして五百年のに堪え得ただろうかと、そこに想いは戻る。


 銀狼より与えられた不老不死を喜べたのは、ほんのしばらくの間でしかなかった。


 自分より若いものが歳をとり老いさらばえて死んでいく。それを初めて経験したのは、苦難を供にして完旦にたどりつき西華国の初代皇帝となった一人息子が、老衰で死にゆく姿を見た時だ。


 はらわたを引き裂かれるほどの心の痛みであり、血の涙が流れるほどの悲しみだった。そして孫を曾孫を見送るころには、不老不死とは、生きたまま底なし井戸に投げ込まれ閉じ込められるだと思い知ったのだ。


「お上人さま、昼餉ひるげの支度ができております」


 背後から声をかけられて、物思いから我にもどった寧安は振り返った。


 剃り跡もすがすがしい青い頭を見せて、ひとりの僧侶が恭しくひざまずき頭を垂れて彼の返事を待っている。


 最近、彼の傍仕えとなったばかりの若い僧侶だ。


 前の傍仕えの僧侶は三十年常に傍らにいて、文字通り痒いところに手が届く気配りで仕えてくれたが、つい最近、自分の年齢を理由として彼の元を去った。


 主人が不老不死である秘密を知ってしまった彼は、その後どうしているのか。たぶん今までの付き人たちと同様に、もうこの世にはいないはずだ。彼の死に際がやすらかであったことを祈るしかない。


「おお、もうそのような時刻であったか。歳をとると時の流れが遅く感じられて困る。早慶そうけい、いつもすまないね」


「もったいないお言葉にございます」


 そう答えて顔をあげた早慶そうけいが目線だけで合図を送ると、膳を掲げ持った僧侶たちが渡り廊下に姿を現す。若い僧侶は言葉を続けた。


「皇后さまより珍しいお菓子を戴きましたので、昼餉のあとに召し上がっていただけるように、用意しております」


「それはありがたい。わしが甘いものに目がないことを、皇帝陛下も皇后も御存じであられる」


「第三皇子との婚儀をひかえていらっしゃいます趙陵容ちょう・りょうようさまが、今朝、両陛下にご挨拶申し上げるために、お父上の将軍に連れられて参内されたとか。お菓子はその時のものでございましょう」


「そういえば、そのようなめでたい話が、あちらではすすんでいたな」

 ひざまずく早慶の頭を見下ろしていた視線をあげて、安寧は宮殿のある方角を見やった。


「ご婚儀の前には、第三皇子さまと陵容さまがうち揃って、こちらに挨拶に参られると聞いております」


「そうか、そうか、それは楽しみなことだ」


「では、お上人さま、昼餉の膳を並べ終えたかどうか見てまいりますので、中座することをお許しください」


 そう言って、早慶は立ち上がる。摺り足で部屋の中へと消えていくその後ろ姿は、羨ましいほどの若さに満ちていた。





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