第4話 銀狼山脈と完旦


 生き残りここまでたどり着いたものたちは口々に叫び、抱き合って喜んだ。


 やがて歓喜の波がひくと、再び、半亀禮はん・きらいは銀狼に向かい合う。


 彼は突き出し囲った両腕の中に、苦労の末に白いものが混じってしまった赤毛の頭を埋めて深く揖礼した。妻を亡くした時も幼子を亡くした時も枯れていた涙が、ぽたぽたと落ちる。それは小石混じりの乾いた土を、一瞬、濡らして消えていく。


「銀狼さま、感謝いたします」


 彼の声は皆の声となり、二十人はその冷たさをいとうことなく地にひれ伏した。


「銀狼さま、この御恩は決して忘れません」

「銀狼さま、あなたさまの御名を、子々孫々まで伝えることを誓いましょう」



 その夜、皆は、大木の下で銀狼とともに身を寄せ合って眠りについた。


 大木が悪夢の影を払ったと気づく前に、彼らは眠りに落ちた。砂漠の国を出てより一年、初めて味わう幸せな眠りだ。


 翌朝、あたりに漂う甘い匂いで彼らは目が覚めた。


 彼らのまわりに大きな果実が散らばっていた。

 大人の男のこぶしを2つ重ねた大きさのそれは黄色い皮をしていて、先の割れた口から赤い実が覗いている。拾い集めてみれば、不思議なことに果実はちょうど人数分。


 それぞれの果実を手にして、皆で同時に大木を見上げる。はるか頭上に葉は繁っていても果実は見えない。


 空腹に震える手をなだめながら恐る恐る齧れば、甘い果汁が口の中に溢れたちまちに腹が満たされていく。これはあとから気づいたことだが、一日の食事はその果実一つでことたりた。


 果実で腹を満たしたあと、男たちは井戸掘りにとりかかった。杖としていた木切れで土を掘れば、たちまち清らかな水が湧いてでて、それは小川となって斜面を蛇行しつつ流れ落ちた。


 その様子を見ながら、女たちは畑を耕す。

 小石をとりのぞけば、その下は大木の葉が積もり腐った黒い土だ。うねを高く盛り上げ、苦難の道中にも決して肌身離すことなく大切に持っていた穀物の種を、彼女たちはいた。


 翌朝も目覚めれば、果実は人の数ほど落ちていた。


 そしてまたそれは皆の腹を満たしただけでなく、その甘い匂いはどこからともなく雌雄つがいの白山羊しろやぎを呼び寄せた。白山羊の雌はすでに仔を孕んでいて腹が大きい。皆の見守る中、三匹の子を産む。


 その日は、女たちは山羊の毛を刈り紡いで布を織る準備をし、男たちは石を積んで家のいしずえとなるものを作った。




※ ※ ※


 三日目の未明、銀狼と半亀禮はん・きらいは、いずれは家々が立ち並ぶであろう場所を見下ろすせり出した崖の上に立っていた。これより三十年後のこの場所に銀狼教の寺院の元となる小屋が建ち、また何代目かの半氏が宮殿を建てることとなるが、この時はまだその片鱗もない。


 連なる山々の尾根に沈みかけた満月に薄く照らされて、大木の影が見下ろせた。その下では仲間たちが、まだ夢の中をさまよっているはずだ。


 瞳を上げて東を見渡せば、滑り落ちていく山肌の下に続く草原の端が、日の出を前にして薄い紅色に輝いている。


 しばしその光景を見つめていた銀狼は振り返り、金茶色の目に今まで見つめていた紅色の光を宿したままで言った。


「おまえたちが勤勉に土を耕し家畜を育てれば、約束しよう。あの見渡す限りに広い緑豊かな草原も、いつかはおまえたちのものとなると。ただ、それには気の遠くなる歳月が必要だ」


「時の流れは、人には止められません。気の遠くなる歳月もいつしか過ぎ去るはずです。その日が来るのが確実であれば、もとより焦るつもりはありません。わたくしの体の肉が土に還り骨もまた塵となって風に舞っても、わたくしの血を引くものがいつかは、銀狼さまのお言葉を成就することと思います」


 その言葉に銀狼は満足そうにうなずく。


「亀禮よ、よくぞ言った。だが、おまえの肉は土に還ることなく、おまえの骨もまた塵となって風に舞うこともないだろう」


 その言葉の意味がわからず問い返そうとした男を、銀狼はその金茶色の輝く瞳で制止す。そして、いままさに姿を現そうとする朝陽を見つめて目を細めた。


「まことに美しい光景だ。下界にもこのように美しいものがあるとは……」

 そこでしばらくもの思いに沈んだ銀狼だったが、言葉を続けた。

「そうだな、これからおまえたちの造る集落に名前を与えようと思う」


 その言葉の持つありがたさに、亀禮は地にひれ伏した。


「完全なる朝の始まり……、完旦かんたん。よい名だと思うが、どうだ?」

「謹んでお受けいたします」


「おまえたちの暮しが落ち着いたころ、私はまた来る。それまでに、家畜を殖やし、穀物を育て蓄えよ。おまえたちの血を継ぐ子どもたちを、この地に誕生させよ。やがておまえたちの集落は、村となり町となり国となる」


 そう言い終えたのち、朝陽を受けて赤く燃える山肌の向こう側へ、その太い尻尾をゆるゆると振りながら銀狼は消えた。


 ゆえに自分たちの住む町は完旦、その後ろの山々の連なりを『銀狼山脈』と呼ぶのだとは、興国の始まりの言い伝えとして、西華国に住むもので知らないものはいない。





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