第17話 はちみつ色の空

 そして迎えた初デートの日。

 昨晩のことを洗いざらいユリとユーミンに話し、指示を仰ぐとユリは腕を組んで考え込んでしまった。

「先に言っておきますが、釣り合わないとかそういう話ではありまえせんよ。むしろ私どもとしては大歓迎でございます」

「うぇっ」

「タムの意思を尊重しますよ」

 だが、どちらかと言うと、どうやってタムの首を縦に振らせるかで、ユリは悩んでいた。

「波が来たわね〜ビッグウェーブよ〜」

 ユーミンはニコニコとタムのクローゼットを開いて中を見ている。

 中にはジョセフィーヌやユリが作らせた色とりどりの服があるが、タムはいつも無難なワンピースやブラウスにズボンとコーディネート皆無の服を選びがちだ。

「ユーミン様、動きやすい服装でお願いします。街ではなく、ピクニックにしましょう」

 盛り付けにこだわる料理研究家だけあって、色に関するセンスが抜群にいいのだ。

「任せてくださいな」

 服を選んでもらっている間、タムはユリに聞く。

「街は駄目なの?」

 会話が持つ自信がない。

「はい。初デートに大変申し開けありませんが…」

 あの騒動のあと、まだタムは一度も街へ行っていない。

 ようやく神殿が修復されて街の人々も通常運行になってきたが、皆、タムを非常に心配しているのだ。

 もちろん、ハニーベアという認識は一切無くなっていないどころか、強くなってしまった。

 今街に行くと、デートどころではなくなるだろう。

 そう伝えると無自覚に楽しみにしていたのか、タムはしょんぼりした。

「…手紙は返信してるんだけど…心配し過ぎだなぁ…」

 お使いに出た屋敷の人から、心配した子供たちからのお手紙です、と手紙を貰った。

 体はなんともないし、今は勉強中よ、と伝えてあるのだが。

(お菓子でも作って神殿で配布してもらおうかな…)

 手に頬を添えて考えている彼女を、ユリはチラリと盗み見る。

(だいぶ痩せて、ただのとても可愛いお嬢さんになってしまったわ)

 自分の手腕だから当然だし、もちろんそうした方が健康にも良いのだからダイエットが成功したと言っていい。そのくせ胸もお尻もある。

 が、それが裏目に出た。

(街に出たら求婚が殺到するわね)

 今は屋敷に居るから誰も手を出して来ないが、貴族からのお見合いの話が既にわんさかと来ている。王族からもありそうだったが、それは辺境伯が早々に手を打ってくれた。

 街へ使いに出た者からも、どうしましょうこれ、と街の男共が書いたラブレターを預かっている。

 もちろんタムには一切見せていないし、話もしていないが。

「大丈夫ですよ、落ち着いたら街にまた行きましょう。今は我慢です」

「はい」

 タムはユリに全般の信頼をおいているので素直に頷いた。

 純粋培養過ぎるとも思うが、この世界のことを知らないから仕方ない。

 だからこそ、自分の目の届く所で…性格も稼ぎもキチンとしたレイスヴァールと一緒になってほしかった。

 半分は、やっと遅い春が来たレイの応援だが、半分は自分の弟子であるタムを守ってあげたい親心だ。

(纏まれば万歳、そうでなくても、きっとあの子はここに居るわね。それでもいい)

 坊っちゃんには申し訳ないが、自分の弟子としてずっと面倒を見ようと思っている。

 なんだかんだ言って、タムに一番甘いのはユリなのだ。

 その手が無意識に胸元にある精巧なビーズのブローチを触る。タムの居た世界にある、自分と同じ名前の花だと言っていた。もしかしたら作ったのはタムと同郷の人かもしれない。

(私が男だったらねぇ)

 さっさと求婚して離さないのだが。

(その役目は、レイスヴァール様に譲りましょう…チッ…後で素振り千回だわ)

 応援していたくせに、剣の弟子には厳しい。

「こ…これでいいの?」

 タムの困惑した声が聞こえて現実に引き戻される。

「おや、可愛いですね。さすがユーミン様」

「うっふふ〜」

「あああの…露出多すぎませんか…」

 着替えたタムが恥ずかしそうにしている。

 レースの多い焦げ茶のチューブトップにショートキュロット、それにニーハイソックスとショートブーツだ。その上からオリーブグリーンに金糸の刺繍のある柔らかい七分袖のフード付きハーフコートを羽織ってはいるが、鎖骨もおへそも太ももも見え過ぎである。

「大丈夫よ。こんな服着れるの、今だけよ?」

 ユーミンが大きな姿見を壁からひょいと持ち上げるとタムの前にドスンと置く。

「う〜むむ…たしかに、この姿にはこの服が合って…いるのかなぁ」

 ファンタジーゲームに出てくるキャラクターのようだ。しかもマスコットキャラ的な感じの。

 ユリは微笑んでスッパリと言う。

「似合っていますよ。どうせ隠しても出っ張ってしまうのですから、それで良いでしょう」

「うっ」

 普通のブラウスを着ると皆から「胸がきつそうよ、サイズ合ってないの?」と言われるし、隠すと返って見ようとしてしまうとも男性陣から言われている。

「じゃあこれで…ありがとうございます、ユーミンさん」

「いいのよ!頑張ってね!」

「な、何を頑張れば?」

「頑張るのはレイスヴァール様ですね。さぁ、先に行きましょう」

「え?」

「行ってらっしゃい〜」

 ユリは有無を言わさずタムを連れて池のほとりへ行き、分厚い絨毯のようなピクニックシートを敷いた大木の根元にバスケットとともに下ろすと去って行く。

 なお、ここにあったルベリアーナの小屋は移設され、彼女は屋敷に近い場所でくつろいでいた。

「どうしよう…」

 獣人は基本的に体温が高いそうなので、露出していても寒くはないのだが、ついハーフコートの前をたぐり寄せてしまう。

「タムー?落とすわよ〜」

「へ?」

【ジョーったら息子に容赦ないわね】

 ジョセフィーヌとルべリアーナの声がしたあと、何かが降ってくる。

 慌ててキャッチすると、じゃあねーごゆっくり!と言う声がしてジョセフィーヌは去って行った。

 上を見ながらお姫様抱っこをした人物をゆっくりと下におろして見ると。

「え…?レイ!?」

「お、おはよう…」

 ルーの口で咥えられていたのか、体中がヨダレでべちょべちょだ。

 慌ててタムは浄化魔法を唱える。

 金色の粒が舞うと、テカっていた体が元の色に戻った。

「母上が庭に出てこいと言うので出たら、ルーに攫われてな…」

 そう言いながら体を起こすと、タムの方を見て固まる。

「どうし…」

 レイスヴァールを見て心配しかけたが、自分の姿を思い出した。

 瞬間、顔が真っ赤になった。

「ひゃああぁぁぁぁ!!」

「わっ!?す、すまん!ジロジロ見てっ」

 慌ててコートの前を閉じたタムだったが、太ももはそのまま。つい、背を向けて丸まってしまった。

 形の良いお尻とふくふくした尻尾が突き出される。

 キュロットの下からは白い肌がたくさん見えていた。

「!」

 見てはいけないものを見たような気がして、思わず視線を反らす。

 長らく良い人がいないレイスヴァールには少々刺激が強すぎたのだ。

(…絶対にタムが選んだ服じゃない。が、似合っている)

 レイスヴァールは彼女を起こそうと手を伸ばすが、ハロの言葉を思い出す。


 ”褒める時は変に照れずに言え”


(そ、そうだ、先に褒めよう)

「…大丈夫だ。その、よく似合っていて…可愛い!」

 キッパリと言い切ると、自分でもスッキリした。

 何を言えば正解か、相手の反応ばかり気にしていたように思う。

(今まではずいぶんと、グズグズしていたな、俺は)

 タムが涙目で見上げるのを見て微笑むと、手を取って立たせる。

「あの…お目汚しですみません…」

 母国語そのままで皆と話せるようになったタムは饒舌になり、前以上に妙な言葉を使う。

「むしろ眼福だ」

「っ!」

 真っ赤になって頬を押さえたタムが可愛い。

「昨日プロポーズしたんだぞ?…タムを否定する訳ないだろう」

 え、と呟いてうつむいたタムをギュッと抱きしめる。

 誰が選んだのか分からないが、服は全て柔らかい素材で、タムの柔らかさも感じられて。

(とても良い仕事だ…ありがとう!)

 心の中で喝采を送ってしまった。

「…と、これでは話せないか」

 ひょいとタムを横抱きにすると、クッションがたくさんあるピクニックシートの上へ連れて行く。

 大木を背にして座らせると、自分も隣に座った。

 ジュースやお茶、お酒もあるし軽食やデザートもたくさんだ。

「今日は、ここ1ヶ月の、タムのことを聞かせてくれないか?」

「え?私ですか?」

「ああ。俺のことも話す。…ついでに、生い立ちとかも」

 この世界のことに関しては、熊獣人2人に教師がついて教えているという。

 教えてないのはあなたのことだけですよ、とユリに言われた。

 そのヒントにお礼をしなければならないと思いつつ、まだ顔が赤いタムをジロジロ見ないようにして、レイスヴァールは自分のことから話すことにした。



「…すまんな、全然盛り上がらない話で」

 30分もかからず話し終わってしまった。

「いえ、とっても真面目だったんですねぇ…」

 本当に、真面目が服を着て歩いている見本のようだ。

 良く言えばそうだが、悪く言えばつまらない人生とも言える。

 先程までいた屋敷で生まれて両親も仲良くユリに鍛えられて育ち、王都の学校へ行った後に戻ってきて騎士団に就職。

 母の遺伝か竜と相性が良く竜騎士にもなれた。

 そして今である。

 要約すると短すぎる青春時代だった。

 自分でも話しながら、おかしいな、何をしていたんだろう、と思うほど。

「ハロは逸話がありすぎるんだが…」

「そういうのはいいです」

 物心ついた時から近所のおばちゃんを手玉に取っていた話はとても有名で、それ以降は浮いた話ばかりで話題は事欠かない。

 百分の一くらいでいいから、女性の扱いを真似て下さいとユリに言われたくらいだ。

「そう言えば、ハロは女性がお酌をするお店には行かなくなったよ」

「え!?」

 びっくりしてクッキーを食べる手を止める。レイスヴァールは苦笑した。

「…皆そういう反応なんだ。まぁ、俺も驚いたけど」

 白熊巫女に対する想いが本物であることを示すために、あの騒動の日からパッタリと通わなくなったそうだ。

 飲み屋のお姉さん方は残念そうにしていたが、反面、やっと見つかったのねぇ、と喜んでいたとか。

「お母さんの域に入っているような?」

「そうだな。子供の頃から通ってるから…本人は恋愛対象だったのかもしれないが、相手に取っては息子みたいなものだったんだろうな」

「こ、子供の時から…」

 これだから金持ちの息子は、とつい思ってしまった。

「レイはそのお店に行ったんですか?」

「…あー…数回は引きずられて行った。なんというか…商店のご婦人を相手に話しているようだったが…」

 正直に言うとタムは笑う。

「もしかしたら、女性に慣れさせようと思ったのかも?」

「!…な、なるほど。そうかもしれないが…」

 年上過ぎだ、という言葉をすんでの所で飲み込む。

 タムは元人間だから年齢を気にするし、自分との年齢の差も気にするだろうというユリの助言だ。

「楽しんでたのはハロくらいだ。あれでいつの間にか情報収集しているから、凄いんだよなぁ」

「特技なんですね、お喋りが」

「ああ。商家だから話題はたくさんあって…そう言えば巫女殿に贈り物をしていると聞いたが大丈夫か?」

 ハロルドが嬉しそうにニヤニヤしながら、3日に一度くらいの頻度で箱を送っていたからだ。

「大丈夫そうです。食材が多くて嬉しそうですよ」

「流石だな、アイツ…。タムは何が好きだ?」

 話の流れでちゃっかり聞いてみる。

「え?…うーーーん…マーサとユーミンさんが作る食事とデザート」

「……。それ以外で」

 むむ、と考え込むんでから思い出す。

「あ、お酒好きです」

「えっ!」

 屋敷の人と同じような反応にタムは苦笑した。

 見た目でお酒を飲むように見えないらしい。弱そう、とも言われている。

「ユーミンさんと部屋飲みしましたが、全然酔わないですよ」

 日本に居た頃と同じく、二人ともザルの域に達していて、空いた瓶の数を見たユリが卒倒しかけたほどだ。

「騎士団にいる奴みたいだな」

「あ、それ、ユリに言われました。ドラゴンのようだって」

 酒飲みにもランクがあり、頂点の表現はドラゴンだ。

「レイは?」

「たくさん飲んだことがないから分からないが…ワイン5本くらいは普通に剣が振れる」

 それはもうザルの域じゃなかろうか?と思いつつタムは傍にあったお酒を持ち上げる。

 下半分が丸く可愛らしい見た目の、焦げ茶のガラスで作られた瓶だ。

「お、蜂蜜酒か。タムらしいな」

「蜂蜜酒?…甘そうですね」

「甘いぞ。子供が熱を出すと、それを火にくべて酒精を飛ばしミルクで割って飲ますんだ」

「へぇぇ」

 それはすぐ風邪が治りそう、と呟きながら栓を開ける。

 とたんに漂う蜂蜜の香り。

「ふわぁ…いい香り」

「注ぐから貸してくれ。真夏になると、冷菓子にかけるやつがいるな」

「素晴らしい!甘党ですね」

 とくとくと音を立ててグラスに注がれたそれは、濃いはちみつ色をしていた。

 日に照らされると黄金色の光が辺りに散らばる。

「綺麗!」

「贈答用にも喜ばれる。ハニーベア関連は鉄板なんだ」

「なんかもう、開き直ったほうが良さそうですね」

 姿はハニーベアだけども、金子熊獣人だし、役割は特にない。

 女神からは神託で『大変申し訳無いが元の世界には帰せないから好きに過ごしてほしい』と言われているので、そうするつもりなのだが、周囲が放っておいてくれない。

 幸い、女神が魔法が使えるように調整してくれたから力はある。

 この屋敷にご厄介になりながら、街で困った事があればそれを解決していこうかな、とは思っているが…。

(護衛がつくからなぁ)

 やはりトラブルに巻き込まれるだろうという事で、独り歩きが出来ないのだ。

 普通の人間だと、街の人においおい覚えてもらえればと思っている。

「いただきます」

 タムは蜂蜜酒を口に含んだ。

 はちみつの濃厚な甘さと香りが広がり、それでいて喉を通る時は焼けるような感じもない。

「甘い…美味しい…」

「遠征で甘いものが欲しい時に、重宝するぞ」

「わかります」

 仕事で疲れた時の甘いものは美味しいのだ。それがこのお酒だったら尚、美味しいだろう。

「ミルクで割ったものも人気だな」

「そうですね…紅茶とも合いそう。あとフルーツジュース全般!」

 笑顔で飲むタムに、用意したのはマーサかなと思いつつレイは好物が見つかってホッとした。

「お酒…温泉に入りながら飲みたいですねぇ」

 タムが少し潤んだ目で、蜂蜜酒の揺らめきを見ながら言う。

「?」

 蜂蜜酒はそれほど酒精が強くない。レイスヴァールは酔ったのか?と首を傾げつつ質問する。

「温泉?地下のか?」

「えーと…露天風呂…外ですね。日本人は温泉が好きで、おうちにお風呂があるんです」

 お湯を魔道具みたいなので沸かして入れる、と説明する。

「潔癖症なのか?」

 その質問に、なんと答えてよいか悩む。

「もちろん、そういう人もいますけど…」

 日本人は少し働きすぎで、疲れるとお風呂に入ってリフレッシュするんです、と説明する。

「ああ、そうだな。風呂に入ると少し切り替わる感じがする」

「ですよね!…仕事で悩んでたりして…でもお風呂に入ると、帰ってきた感がするというか、このあとビール飲んじゃおう、とか思える訳で。あ!ドーナツ!」

 バスケットの下の方にはベージュと茶色の輪っかのお菓子が入っている。

 チョコレートが掛けられていたり、砂糖がまぶしてあったりして見るからに甘そうだ。

 それを手に取りタムは幸せそうに笑う。

 ほんのり、頬が赤い。

「観光地でも、お風呂があるんですよー。とても大きいの。女性と男性と分かれていて、もちろん塀で囲まれてて見えないようになってて。綺麗なお庭を見ながら広いお風呂に入るの、おじーちゃんとおばーちゃんの寿命も伸びちゃうよ〜」

「ん…?」

 興味深い内容だが、タムが頑なに崩さない敬語が崩壊している。

 自分の胸にタムが寄りかかってきた。

「え!?」

「レイも〜、働き過ぎだから…温泉入っちゃおう!」

(よ、酔っ払ってる!?)

 先程、酒の強さはドラゴン級と聞いたばかりだ。しかも彼女には状態異常無効のスキルが付いている。

 訳も分からず彼女を見ると、手元にはドーナツと、いつの間にか蜂蜜酒の酒瓶が握られていた。

 胸に乗る重みとふわふわの髪が顎に触れる感触にドキドキしながら考える。

(まさか、ハニーベアは蜂蜜酒で酔うのか?)

 実際の所は、酔いたくても酔えないハニーベアに女神がそういう特性を着けたのだが、レネゲドとニイナ夫妻、そして友人であるジョセフィーヌ以外は知る由もない。もちろんバスケットに蜂蜜酒を入れるよう指示したのはジョセフィーヌだ。

 鑑定に表示される種族こそ違えど、体の構造はハニーベアのままよ、とニイナからジョセフィーヌはこっそりと連絡を受けていた。

「あとぉ、やっぱり清潔にするのは大事なの。体が温まってると、病気にならないよ〜」

 パクリとドーナツを食べて頬を膨らませている。

「そうなのか?」

 もぐもぐと動かしている口を手で抑えてしっかりと飲み込んでから、タムは頷いた。

「はい」

(こういう所は礼儀正しい)

 感心しつつ眺めていると、タムがジト目で睨んできた。迫力は全く無い。

「…なによ〜信じないの?」

 タムが酒瓶を置いてレイスヴァールの顔を肉球つきの手で挟み、顔を近づける。

(ちちちち近いっ)

 間近にかかるはちみつの香りのする吐息にどうすればいいか悩み。

(唇が…)

(ここでキスしたら怒られるだろうか)

(いや、今なら覚えてないかも…ええい!)

 タムの腰を抱き寄せて、彼女の唇に自身の唇を押し付けた。

 驚いたはちみつ色の目が見開かれて、頬から手が離れる。

 それと同時に唇を離したが、物足りなかった。

「もう一度、いいか?」

 今度は断ってから。

 タムはやっぱり驚いた顔をしたが、次いで真っ赤になり、小さな声で言った。

「は、はい…」

 目をつぶったタムに、再び口づけをする。

 思った以上に柔らかい感触に、甘い味がしそうな気がして少し舐めてしまった。

「甘い」

「ふぇっ」

 ついつい三度目の口づけをより深くしてしまったのは、不可抗力なので許してほしい。

 体から力が抜けてしまったらしいタムの腰を抱いたまま、レイスヴァールは真剣な顔で言う。

「…昨日と同じ台詞をまた言ってしまうが…君を守りたい。俺と、結婚して欲しい」

 放心していたタムの目に少し光が戻り、少し揺らいだ後、頷いた。

「はい…」

 その言葉にレイスヴァールは感激して、彼女を抱きしめる。

「ありがとう、タム!」

「お礼…?」

 体を少しだけ離してレイスヴァールは言う。

「この世界に無理矢理攫われて来て騒動に巻き込まれて…それまで全然知らなかったヤツから求婚を受けて承諾してくれるんだぞ?お礼を言わないと神雷が下る」

「そこまで悲観してない…」

 初日から保護してもらえたし、衣食住で困ったことはない。

 騒動もあったが助けてもらえたし、後のことは雲の上の話だ。今はもう関係ないから気にしていなかった。

(それに…嫌じゃなかった)

 急に抱きつかれたりするのはハロルドでもあったが、毛が逆立つし、体が勝手に動いてぶん投げた。

 レイスヴァールに対しては、温泉に包まれるような温かい感覚しかなく。

(あばばばば…)

 思わず口づけのことを思い出して、ぐるぐるする頭でドキドキする胸を押さえた。

 驚きや恐怖とも違う、きゅうっとする胸の痛みだ。

 新しい気持ちが溢れてくる。

(これが、好き、なのかな…)

 両親や友達に抱く思いとも違う、想い。

 レイスヴァールを見上げると、彼は優しく微笑んでくれた。いつもの穏やかな、安心出来る微笑みだった。

(私より力も強いし…)

 初めて、頼れる男性というものを見た気がした。

「よし、決めたぞ」

「はい??」

「手始めに、領内の温泉の普及からやってみよう!」

 彼はどうやら、タムの雑談から何かを決めたようだ。

「寿命が伸びるんだろう?」

 タムのいた世界は文明や医療が発達していて、有用な話も多いと聞く。

「えっと…たぶんですよ」

「大丈夫だ。うちにある風呂も毎日使われているしな」

 屋敷の地下にある温泉も、使用人には大好評だ。家から通う者も温泉に入ってから帰宅する。

 幸い領内には温度の高い川があるし、街の中に温泉施設を設けて領内の住民は格安で利用できるようにすると、家に風呂を持たない平民も喜ぶかも知れない、そう思ったからだ。

「本当に?」

 さっきまでフワフワした気分で勝手なことを言っていたが、今はすっかり酔いが冷めている。

「ああ。結婚式はあとになってしまうが…良いか?母上公認とはいえ、さすがに父上抜きで決めるのもな」

「けけけ結婚式…」

 もうそんなイベントは絶対に無いと思っていたものだ。

(親族を呼んで…あ、いないや)

 両親はお互い一人っ子で、その親達は既に他界している。

 友人が結婚する際に手伝ったが、参列者を決めるのも一苦労で、参加・不参加のはがきを送るため住所氏名を手書きするもの大変だった。印刷じゃ駄目なのかと聞いたら、こういうのは手書きなのよ…と遠い目をして言っていた。旦那が手伝わないのもおかしい。

(いやいや、そういうの無いって)

 慌てて変な想像をし始めてしまった頭を振る。

「騎士団もしばらくは暇になるだろうし、夜勤の時以外は、朝食・夕食も一緒に食べられる。もっとたくさん話しをしよう」

 騒動の種が無くなった今、騎士団の仕事はまた巡回程度に戻るだろう。

 父もしばらくは王都から出られないらしいから、それなら母とブラウンが切り盛りしている領地経営に再び手を出すのも悪くない。

 横にタムがいて助言してくれるのなら、これほど心強い味方はいないだろう。

(いや、どちらかと言うと、彼女が言う内容を俺が実現する形だな)

 そう思いつつ、事業にはハロルドとユーミンもいれないと、と気がつく。

「ハロもたまに呼んでいいか?」

「あ…そうだった。あの、ユーミンさん、割と気になってるそうなので…」

 そう伝えるとレイスヴァールは非常に驚いた。

 この世界の人間は、異世界の人に惚れてしまう何かがあるんだろうか、とも思ってしまう。

(それだけ魅力的ってことか…)

 タムの頬を撫でると頷いた。

「じゃあ、ハロも呼ぼう。母上とユリが守っていて近寄れないと、半泣きだったから」

「はは…」

 あの2人もこの世界のことを知らない異世界人を守っているのだ。

 けしかけてはいたが、ハロルドが本当に本気にならなければ渡さない、とも言っていた。

「ふふ。楽しみだな。…なんだろう…タムが来てから毎日が、長い気がする」

「長い?」

「ああ。騎士団で働いている間は…昨日何してたか覚えてないほど、毎日同じ作業だった気がする」

「それは…たしかに…」

 自分も日本で働いていた時は、確実に20年は飛び去るように過ぎていたと思う。

 施設での思い出はもちろん大量にあるが、自分の思い出は?と言われると両親が亡くなってからは無いような気がした。

 自分も人のことは言えない状態だ。

「あ!…これっ」

 慌ててハーフコートのポケットを探ると小さな包を取り出してレイスヴァールに渡した。

「これは?」

「ぷ、プレゼントです…」

「!…ありがとう」

 女性から下心なしのプレゼントなど貰ったことがないレイスヴァールは喜び、包を開く。

「イヤーカフか。美しいな」

「はい。七宝焼の…レイの瞳に似てるなって思って…」

「先を越されたか」

「???」

 首を傾げるタムにレイスヴァールは笑うと、一対の一つを取って自分に、もう一つをタムの耳に付けた。

「え?」

「…一対のイヤーカフは、恋人同士でつけるものだ」

「!!」

(店主さんがニコニコしてたのは、そういう理由ーーー!?)

 他と混ざらないようにと、包みに紺色のリボンも付けてくれたのは、そういう訳らしかった。

「指輪を選ぶまでは、絶対にこれを付けていよう」

「指輪!?」

「…ニホンにはないのか?結婚の際に互いに贈りあう指輪はなんだが」

 その指輪は生涯を通して身につけているものだという。

「い、いや、あります。…その、自分には一生縁がないものだと…」

 しどろもどろ言うと、レイスヴァールは納得がいったように笑った。

「俺もだ。これから、選ぶのが楽しみでならない。貴金属なぞ付けたこともないが、タムとお揃いなら一生付けていられる」

 言われてみると本当にそうだ。タムも職業柄、貴金属はつけていなかったしつけようとも思わなかった。

 しかしレイスヴァールと選ぶ指輪はどんな物になるのだろう?とワクワクする自分がいる。

「…は、はい。私も」

 はにかんだタムを見てレイスヴァールは言う。

「これから、一緒にたくさん思い出をつくろう」

「!…はい」

 タムのオデコにレイスヴァールがキスをすると、辺りがふわりと光った。

「えっ!?」

 蜂蜜色に光る何かが、池から空へ上がっていく。

「珍しいな、蜂蜜蝶の羽化だ。今日だとは…ユリか。さすがだな」

「蜂蜜蝶?」

 この世界には蜂蜜に関する物が多すぎじゃないか、と思いつつ質問する。

「神力を宿した蝶だ。大人になるまで池の中で過ごして、羽化すると空に…女神の庭に駆け上る」

 女神フェーラに貯めた神力を渡した後、神の庭で卵を産み、それが孵化すると地上に降りてこの池に辿り着き成虫になるまで過ごすらしい。

「きれい…」

「幻想的だな」

 昼間でも、いっそう明るい光たちが空へ昇っていく。

 蜂蜜蝶は別名、恋人蝶。必ず雄と雌の2匹で一緒に空へ登っていくのだ。

 …と、女性を口説く内容に事欠かないハロルドが教えてくれた。

 この光景に、”愛情はきちんと伝えること!”という彼の幻聴が聞こえた気がした。

「タム」

「ん?」

「その、言ってなかった。愛している」

「!!」

 またしても真っ赤になるタムだ。だが、ハタと思いついた。

(そう言えば、私も言ってない)

 こういうのはキチンと言っておいたほうがいいだろう。恥ずかしいとか、そういうのは後で部屋に戻って床でゴロゴロすればいい。

「わ、私も、愛して、います…」

「!…ありがとう」 

 自分で言った言葉に悶える様子に微笑みながら抱き寄せて、口づけを落とす。

(これなら何度でも言えそうだ)

 蜂蜜蝶の舞は、2人を祝福するように舞い続けるのだった。

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ハニーベア 竹冬 ハジメ @reefsurk

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