第154話 成り上がりの騎士①ー無職と森の女神

 記憶というのは、忘れたら消えていくものだと思っていた。


 けど、実際は思い出せないだけで、消えたわけじゃなかったらしい。

 脳の再生をきっかけに、いろんな記憶が一気に蘇ってきた。


 たとえ、それが千年前の記憶でも。

 色褪せることなく、まだ俺の中に残っている。



* * *



 あれは、まだ魔界と人間界の境界が曖昧だった頃。

 のちに『別れの森』と呼ばれる東の果ての森で、俺はひっそりとアウトドアな生活を送っていた。

 毎日がフリーダムでサバイバルだった。

 まあ、言葉を濁さずに言うと、住所不定無職の浮浪者だったワケだけど。


 当時の俺は、最弱の雑魚だったので、魔界で生き延びるのは、なかなかのハードモードだった。

 何しろ、魔力がクソ弱いうえ、まったく魔法が使えないという低スペックぶり。


 魔族に生まれた以上、肉体には魔力が宿っている。

 なのに、それを操作する才能がゼロ。

 初歩的なシールド魔法すら使えない。


 当たり前のように炎を操ったり、水を操ったりする奴らを見て、

『それ、どーやってんの?』と首をかしげることしかできない。


 強さがすべての魔界において、俺は悲しいほどに弱者だった。

 きっと、いつか強い奴にぶち殺されて、誰の記憶にも残らないまま、あっさりと生涯を終えるんだろうと思っていた。



 彼女と出会うまでは。



 その日、いつのもように食料となる魔物を探して、森の中を徘徊していると、泉のほうから女の泣き声が聞こえてきた。


「うわあああん。わあああん。どうしてぇ? どうしていつもこうなのぉ? あんなに尽くしたのにぃ。うおおおんおん」


 えらく豪快な泣きっぷりだった。

 気になって、茂みからこっそりとのぞいてみると、女が一人、泉のほとりに座り込んで、号泣していた。


 涙と鼻水でべしょべしょになった顔と、吐くんじゃないかと思うほど激しい嗚咽おえつに、正直ちょっと引いてしまう。


 だけど、そんな状態なのに、女は美しかった。


 透き通った緑色の瞳。ほっそりとしたはかなげな雰囲気。

 ひたいをぐるりと覆う金色の装飾品と、白いドレス。

 身なりは豪華だが、頭の両側から小ぶりな鹿の角みたいなものが生えているから、きっと魔族の女だろう。

 明るい若葉色の長い髪に、木漏れ日がキラキラと反射して、すごく綺麗だった。


 わりとタイプだったので、俺は声をかけることにした。

 が、先に弁解させていただくと、当時の俺はまだ二十二、三で、魔族の二十代というのは、理性も知性も未発達で、より本能に忠実というか、動物的というか。

 そんなアニマルな俺が、泣いている女性に向かって放った一言がこちらです。


「お姉さん美人だね。俺と交尾しない?」

 すみません。アホだったんです。


 当然ながら、女はゴミを見るような目で俺を見た。

「今まで聞いた中で、最低の誘い文句じゃな。タイミング、言葉のチョイス、すべてがクソじゃ」


「そこまで言わなくても」

 いや、そこまで言われて当然だろ。


「失恋直後の乙女にとんだ精神的苦痛を与えおって。許すまじ」

 女はエメラルドのような美しい目をカッと見開いた。


 その瞬間、地面から無数のつる植物が生えてきて、こちらに襲い掛かってきた。


「うえええ!?」


 俺はびっくりして逃げ回ったが、蔓は執拗に追ってきた。十秒ほどでぐるぐる巻きにされ、地面に転がされてしまった。


「おい何すんだテメェ! 放せコラ!」


「ほう。わらわの攻撃から10秒も逃げ回るとは。大した逃げ足じゃの」

 女は感心したように言って、俺の傍らにしゃがみ込んだ。

「おぬし、名前は?」


「名前? ねーよ、そんなもん」


「仲間はおぬしを何と呼ぶのじゃ? その汚い格好、どうせ盗賊かなんかじゃろ?」


「盗みはするけど、仲間はいねえ。顔見知りの奴には、『阿呆』とか『でくの坊』とか『緑の』とか呼ばれてるけど」


 女は俺の髪の色を確認し、「なるほど『緑の』か」とつぶやいた。

「おぬし、一人ぼっちなのか?」


「ソロで活動してます」


「うむ。ぼっちじゃな」

 女は立ちあがると、蔓をぐいっと引っ張った。

 何かを思いつたような、いたずらっぽい笑みを浮かべる。

「ついて参れ。さきほどの非礼、とくと償わせてやる」


「えぇ……殺すならここでひと思いに殺ってくれよ……」


 そうして、俺は森の奥にある大きな城まで強制的に連れて行かれた。

 白い城壁に覆われた、美しい城だった。


「おい、ここって魔王の住んでる城じゃねーの? 入って大丈夫なのかよ」


「もちろんじゃ。ここは妾の家じゃからな」

 女は得意げに言った。


「えっ、ここに住んでんの? すげー」


 城門が開くと、思いのほか賑やかな光景が目に飛び込んできた。

 まず人が多い。使用人や兵士のほか、行商人の姿も見える。

 色とりどりのテントが並んで、まるで市場のようだ。

 驚いたことに、人間の商人や旅芸人も混じっている。


「おかえりなさいませ、デプロラ様!」

「今日はいい魚が入ってますよ!」

「デプロラ様、もぎたての果物はいかがです?」


 商人たちが次々と声をかける。

 どうやら、女は『デプロラ』という名前らしい。


 商人たちは、つるで引っぱられている俺のほうを不思議そうにジロジロと見た。なので「おい、コラ。見せもんじゃねーぞ」と、ガンを飛ばしてやった。


「魔王様ぁ!! どこに行っておられたのですか、探しましたぞぉ!」


 大声とともに、一人の魔族が猛烈な勢いで駆け寄ってきた。

 魔法使い風のローブを身にまとい、肩まで伸びた青い髪とヤギのような角を持った、端正な顔立ちの青年だった。


「うるさいぞ、ドルシエル。わらわにだって一人になりたい時があるのじゃ」

 デプロラはツンとそっぽを向いた。


「そうは言っても、急にいなくなると心配いたします! ん? なんですか、その汚くてガラの悪い男は?」


 ドルシエルと呼ばれた男は、はじめて俺に気づいたように言った。


「ああ、罪人じゃ。不愉快なナンパをしてきおったから、魔王に対する不敬罪で逮捕した」


「ぬぁにいいい!?!?」

 男は金切声で叫んだ。異常なほどの興奮。

「ぶち殺すぞ貴様あああ! デプロラ様に求婚してよいのは、このドルシエルだけだあああ!」


「おぬしもダメに決まっとるじゃろ」

 デプロラはうんざりした顔で言った。


「ちょ、ちょっと待て。さっきなんて言った? 誰が魔王だって?」


 俺の言葉に、ドルシエルは目を丸くしてこう答えた。


「何を言っている。目の前にいらっしゃるだろう。まさか、第8代魔王デプロラ様を知らぬのか?」


 衝撃の事実。

 ナンパした女は魔王だった。



* * *



 その後、玉座の間に連れて行かれた俺は、そこでやっと蔓をほどいてもらえた。

 てっきり殺されるのかと思ったら、魔王デプロラは意外な提案をしてきた。


「おぬし、魔王軍に入らぬか?」


「は? なんで?」


「この辺りでフラフラされて、人間を襲われたら迷惑なのでな。わらわは人間と仲良くしたいのじゃ。悪い話ではなかろう? この城で暮らせば、他の魔族に食われる心配はないし、衣食住も保証される」


「いや、それなら俺を殺せばいい話では? なんでわざわざ家来にするんだ?」

 俺はデプロラの考えがまったく理解できなかった。


「べつに。ただの気まぐれじゃ」

 玉座に座ったデプロラは、優しく微笑んだ。


 なんだよ、それ――と思った。


「思えば、妾も昔は名前がなく、『緑目』とか『三つ目』などと呼ばれておったのぉ」


「三つ目?」

 彼女の顔には目が二つしか見当たらなかったので、俺は首をかしげた。


「そういうワケじゃから、しっかり励むがよい」

 デプロラは勝手に話を進めようとする。


「待てよ。いいのか? 俺、弱いし役に立たないぞ?」


「強くなればいいではないか」


「無理だよ。生まれつき魔力も弱いし、魔法もぜんぜん使えねーし」


「おや。やる前から諦めるのか? 意気地のない奴じゃの」


「あぁ?」

 なんで出会ったばかりの奴に説教されなきゃいけないんだと、俺は腹が立った。


「どうせヒマなんじゃろ? なら、やれることを全部やってから諦めたらどうじゃ?」


「……」

 ヒマなのは否定できないし、あと衣食住――とくに食が捨てがたく思えてきた。


「そうじゃ! 妾の家臣となるなら、おぬしにも名前が必要じゃな」と、デプロラはさらに勝手に話をすすめる。「おぬしは今日から『グラン』と名乗るがよい」


「グラン?」


「そう。魔界の古い言葉で、『偉大なる英雄』という意味じゃ」


 デプロラは美しい目を細めて微笑んだ。

 勝手に家来にされ、勝手に名前をつけられた。

 なんて勝手な女なんだ。


 後世の創作では、心優しい女神のような女性だったとされているが、実際の性格は全然ちがう。

 我儘わがままで、強引で、お人好し。

 そして、生粋の負けヒロインだった。

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