第155話 成り上がりの騎士②ー負けヒロイン

 第8代魔王デプロラ。


 絶大な魔力を持ついにしえの魔族であるにもかかわらず、戦いを好まなかった彼女は、自ら戦地におもむくことがほとんどなかった。

 それなのに、なぜ魔王でいられたかというと、その理由は彼女を守る魔王軍にあった。


 デプロラの陣営には、とにかく強い魔族が多かった。中でも、魔王級の魔力を持つ魔導士ドルシエルと、『いばらの騎士団』と呼ばれる魔王直属の部隊は無類の強さを誇った。

 忠誠心の厚い彼らを中心に、魔族にしては統率のとれた軍隊が女王デプロラを支えていた。


 そして、そんな最強軍団に放り込まれたはいいが、弱すぎて役に立たない俺は、ほとんど雑用係みたいな存在だった。しかも、野生児で集団行動もできないので、クソ雑魚トラブルメーカーでしかない。


 そんな俺を見かねてか、デプロラは『荊の騎士団』の団長を呼んで、剣の稽古をつけさせた。


 団長はムキムキのミノタウロスといった感じの渋いオッサンだ。

 で、この渋い牛のオッサンが鬼のように厳しいもんだから、俺はしょっちゅう稽古から逃亡しなければならなかった。


「おい、逃げるな馬鹿者!! まだ稽古は終わっとらんぞ! このヘタレが!」

 二足歩行のムキムキの牛が、こん棒を振り回しながら追いかけてくる。

 こん棒には、当たり前のように俺の血が染み込んでいた。


「うるせえクソ牛! これ以上やったら死ぬわ!」


 そうして、俺は森に逃げ込み、しばらく身を潜めるのだった。


 で、こんなとき、高確率で「うわあああん」という、聞き覚えのある泣き声が聞こえてくる。

 近くを探してみると、案の定、白いドレスを着た美しい魔族が見つかる。


 どういうわけか、俺の逃亡先と彼女の泣き場所は被ることが多く、たびたび遭遇した。


「ゔゔゔゔ……なぜ……なぜわらわじゃダメなのぉ? ゔおおんおぉん」

 魔王デプロラは大木にしがみついて、小刻みに体を震わせながら泣いていた。蝉みたいだ。


「なんだよ、また人間の男にフラれたのかよ」


 デプロラはなぜか人間の男ばかりを好きになり、そして、毎回フラれた。


 まあ、当然だろう。

 いくら見た目が綺麗だからって、魔族の女なんて、人間からしたら恐くて付き合えるはずがない。


「毎日家に通って、手料理も作って、借金も肩代わりしたのに。魔族だとわかった瞬間、もう一緒にいられないって……! ひどいよおおおおっ」


 デプロラは相手に尽くすタイプの重い女だった。


「なぜじゃあぁ。こんなに良い女なのに、なぜ誰も妾のことを好きになってくれないんじゃああぁあ」


「人間にこだわるからだろ? もう諦めて魔族にしたら? ドルシエルがいるじゃん。毎日のようにお前にプロポーズしてるけど、アイツじゃダメなの?」


 俺はさりげなくドルシエルを推してやった。

 以前、雑用を頼まれたときに、ちょっとデプロラの話を振ったら、怒涛の勢いで食いついてきて、それから会うたびに恋愛相談をされるようになった。

 面倒だから、さっさとくっついて欲しかった。


「アイツは嫌じゃ。ナルシストだし、しつこいし、何度断ってもアタックしてくる自己肯定感の高さが無理」


 辛辣しんらつだな。まったく脈がなさそうだ。ドンマイ、ドルシエル。

 愛が重い者同士、お似合いだと思ったのに。恋愛ってむずかしいな。


「悪いが、おぬしにもチャンスはないぞ」

 聞いてもないのに、断りを入れてくるデプロラ。澄ました顔がウザい。


「ああ、大丈夫。いらねえから。デプロラは一番ない」


「えっ!? こんなに良い女なのに!?」

 デプロラは信じられないという顔をした。

 お前も十分ナルシストじゃねえか。


 正直、彼女の性格を知り、残念な部分を見過ぎたせいか、そういう対象として見れなくなってしまった。

 見た目はタイプなのに、もはや微塵みじんも抱きたいと思わない。不思議だ。性格って思ったより重要なのかもしれない。


「ま、まあ、妾は人間と結婚すると決めておるからの。魔族なんぞ最初から対象外じゃ」

 動揺をにじませつつ、デプロラは言った。


「なんでそんなに人間が好きなわけ?」

 俺は前から気になっていたことを聞いてみた。


 ずっと疑問だった。

 デプロラはやたらと人間を気にかけ、彼らを庇護ひごする。

 魔族に人間を食うことを禁じ、違反した者には厳しい罰を与えた。

 さらに、魔族と人間の住む世界を分けるために、魔界の東側に森で国境をつくる計画を進めたりもしている。


 だが、そういった方針は魔族から反発を招き、たびたび内乱が起こった。

 なぜそこまでして人間を守りたいのか、なぜそこまで人間にかれるのか、俺には理解できなかった。


「家族が欲しいのじゃ」

 デプロラは答えた。

「魔族は家族を持たんじゃろ? 子供を生んでも、育てるのは一瞬だけ。歩けるようになったら独り立ちじゃ。子供は運がよければ生き残るし、悪ければ死ぬ。親はそこに何の関心も持たん」


 彼女の言う通り、俺も親に育てられた記憶はなかった。

 多分いたんだろうけど、顔も覚えてない。


「でも、人間は家庭を持ち、共に暮らし、助け合って生きていく。親は子供を愛し、子供も親を愛する。人間の家族は、とても美しい」

 デプロラはうっとりと目を細めた。


 俺にはよくわからなかった。それの何が美しいのか。

 俺も家族を知らなかったから。


 俺の何とも言えない表情を見て、デプロラは穏やかに微笑んだ。

「おぬしにも、いつか好きな人ができるといいの」


 好きな人、か。


 この頃、俺はまだ恋愛に対する理解が浅く、“好き”という感情と、エロ方面の魅力との違いがわからなかった。

 どちらにせよ、デプロラが対象外であることだけは確かだが。


 しかし、恋愛対象ではないものの、彼女のことは嫌いではなかった。

 ヤバい女ではあるが、根は優しい奴だと思うから、いつか幸せになって欲しい。

 俺はひそかに彼女の恋を応援していた。


 だって、デプロラは俺にとって恩人であり、初めての友達だったから。



 さて、そんな負けヒロイン属性なデプロラも、ついに本命ヒロインに昇格する日がやってきた。

 人間の青年と結ばれたのだ。


 俺がユーグレイス城で暮らしはじめて、四、五年が経った頃のことだ。


 相手の男は素朴で優しい家具職人で、魔族だと知ったうえでデプロラを愛していた。

 二人は結婚式を挙げ、俺は心から祝福した。


 ドルシエルはもちろん結婚に大反対したが、思ったほど取り乱さなかった。

 いちおう慰めようと声をかけると、彼はナルシストっぽい仕草で髪をかき上げて、こう言った。


「なに、どうせ人間など、あと五十年もすれば死ぬ。ちょっと待てば、またチャンスが巡ってくるのだ。むしろ、夫と死別したタイミングこそ、最大の勝機ではないかと思っている。今からそこに向けてスキンケアなど始めようと思うのだが、何かいい美容法は知っているか?」


 知らねーよ。

 どこまでもポジティブな奴だ。



 * * *



 結婚から二年後、デプロラは女の子を産んだ。


「見てくれ、グラン。わらわはお母さんになったぞ」


 我が子を腕に抱いたデプロラの表情は、優しく慈愛に満ちていて、どこか誇らしげでもあった。

 恋愛体質のヤバい女だった面影は、もう感じられなかった。


 俺はちょっと緊張しながら赤ん坊を抱き上げた。

 生れたばかりの赤ん坊は、すべてが小さく、やわらかく、ほかほかと温かかった。


「良かったな、デプロラ」

 なぜだかわからないけど、涙が出た。



 俺はその頃から、真面目に剣の稽古に取り組むようになった。

 戦場にも出るようになり、この手で何度か敵を倒した。

 敵を倒せば、そいつを食える。

 殺した魔族の肉を食らい、俺は少しずつ魔力を蓄えていった。


 俺は気づいた。

 魔界では、勝てば強くなれることに。

 弱者から強者へ。

 俺は一段ずつ階段をのぼり始める。


 デプロラ夫婦は四人の娘に恵まれ、魔王城はどんどんにぎやかになっていった。

 気づけば、ユーグレイス城に来て、二十年以上が経過していた。

 はじめは問題児で迷惑がられていた俺だが、二十年も居座っていたら、さすがに周りも自分も環境に慣れてくる。それに、俺もちょっとは社会性ってやつを身につけたつもりだ。


 ふらふらと一人で生きていた頃に比べて、生活にじくのようなものができた気がする。


 魔王デプロラとその家族を守る。

 それが俺の成すべきことであり、存在理由なのだと、そんなふうに考えるようになった。


 だから、もっと強くならなければ――と、思った矢先だった。


「もうお前には剣の稽古をつけることはできん」


 急に師匠である団長から拒否された。


「なんでだよ!? 最近はずっと逃亡せずに真面目にやってただろ! クソ牛とも呼んでねえし! オッサンって呼んだから? 師匠って呼べば許してくれますか!?」


「そういう問題じゃない。これ以上、教えることがないんだ。俺も我流だからな。きちんと剣を教わったわけじゃない。これ以上教えるには、知識が足りんのだ」


 ガーン。

 俺は打ちのめされた。


 剣術は、魔法の使えない俺が強くなるための唯一の手段だったのに。

 俺はもうこれ以上強くなれないということなのか?

 そう思うと、一気に絶望的な気分になった。


 しかし、昔に比べると魔力も上がったし、そろそろ魔法が使えるんじゃね?

 そう思って、魔導士であるドルシエルにレッスンをお願いしようと、彼の執務室を訪れたのだが――、


「ダメだな。お前には才能がない」


 レッスン開始から三時間でさじを投げられた。

 取り付く島もなかった。


 まあ、忙しいドルシエルに頼んだのも悪かったのだが。

 大臣でもあるドルシエルは、別のことで頭を悩ませているようだった。


「デプロラ様は、国境となる森を広げることに魔力を使いすぎて、最近かなりお体が弱っておられる。このことが外部に知れたら、さらに敵が勢いづくに違いない……ああ、先行きが不安すぎて禿げそうだ」

 ドルシエルは青いサラサラのロン毛をでながら、深いため息をついた。


 この男はナルシストで言動がキモいこと以外は、わりとマトモというか、むしろ有能だった。

 ひとたび戦場に出れば、冷静沈着に味方を指揮し、容赦なく敵を殲滅せんめつする。甘いマスクとは裏腹に、冷酷さを併せ持った戦略家であった。


「デプロラ様は禿げの私でも受け入れてくれるだろうか。私ほどのハイスペックイケメンであれば、禿げたくらいじゃ問題にならないかな? どう思う?」


 知らねーよ。

 この男は、たしかに顔はイケメンだが、中身はデプロラと同じくらい残念だった。


「デプロラ様が人間と結婚したことで、さらに魔族からの反発が強くなった。だから結婚には反対だったんだ。理想を追い求めるのはいいが、あの方は考えが甘すぎる」

 ドルシエルはクソデカため息をついた。


 たしかに、最近とくに内乱が多かった。

 魔王デプロラの治世といっても、すべての魔族が彼女に従っているわけではない。

 もともと人間を庇護ひごするデプロラの敵は多く、彼女から魔王の座を奪おうとする者は後を絶たなかった。

 どうにかこのユーグレイス城のある東部の安定を維持できているのは、いばらの騎士団の化け物じみた強さによるところが大きい。


 噂によれば、荊の騎士たちはデプロラと特別な契約を結ぶことで、彼女から魔力を分け与えられているという。


「俺は馬鹿だから難しいことはわかんねえ。ただ、デプロラと家族が幸せに暮らせる場所を守れるならそれでいい。まあ、どうせ俺は大して役に立たないけど」


 俺の言葉に、ドルシエルは「そんなことはないさ」と返した。「お前は魔法を使えないわりによく戦ってる。剣の腕も見違えるほど上達したしな」


「でも団長がもう剣を教えられないって言うんだ。これからどうしたらいいんだろ。今より強くなるには……」


 俺はそれからしばらく悩んだ。


 そして、ある決断をした。



 * * *



 手入れの行き届いた美しい中庭で、デプロラが末の娘と追いかけっこをして遊んでいた。

 微笑ましい母子の光景。

 娘には角もなく、ほとんど人間のようだった。


「デプロラ、ちょっと話があるんだけど、いいか?」


「おや、グラン。どうしたんじゃ? 真面目な顔して」


 彼女の言うとおり、俺はじつに真面目な顔をしていた。

 そして、大真面目にこう告げた。

「俺と契約を結んでくれ」


 デプロラの緑色の目が驚きで見開かれる。


「俺は荊の騎士になりたい」


 大きな決断をした自覚はあった。


 だが、この決断が自分の運命にどれほどの影響を及ぼすのか、この時の俺は少しもわかっていなかった。

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