第153話 誰
ユーグレイス城の
約千年前、第8代魔王デプロラが、のちに第9代魔王となる家臣ドルシエルによって暗殺された事件。
無限地獄のような魔界史の中でも、屈指の胸糞エピソードとして名高いこの事件は、多くの魔族の心をつかみ、数々の創作が生み出されることになった。
小説、絵画、演劇、オペラ……
中でもとくに有名なのが、魔界三大画家の一人、ギャラリスによって描かれた『勝者の
描かれているのは、デプロラ女王の家族を生きたまま料理して食ったという、第9代魔王ドルシエルの食事風景と、それを
女王の忠臣で、魔界一の剣士と
* * *
「この絵の人が、グウ隊長……?」
ギルティは床から体を起こして、踊り場の絵とグウを見比べた。
まったく似ていない。
絵の中の青年は、金髪で顔の彫りが深く、筋骨隆々で、全体的に彫刻のようだった。
そして、その美しい若者の肉体が無残に引き裂かれ、下半身が見当たらないことが、より悲惨さを際立たせている。
グウはあんな王子様のような顔じゃないし、あんなにマッチョでもない。どう見ても別人。
といっても、ギャラリスがこの絵を描いたのはユーグレイス城の事件から500年後で、彼は実際の現場を見たわけではないから、似ていないのも当然といえば当然だった。
「……いや、まさかな」
と、カーラード議長がつぶやいた。
自らの発言を一笑に付すように、フンと鼻を鳴らす。
「貴様のような成り上がり者の若造が、中世前期の英雄であるはずがない。そのような粗末な嘘をついて何がしたいのだ?」
だが、馬鹿にしたような顔には、かすかに動揺の色が残っていた。
カーラードが生まれた頃にはすでに失われかけていた古典魔界語を、グウが口走ったことが、嘘っぽい話に妙な
「若造か。ぶっちゃけ、かなりサバ読んでてさ。じつは俺のほうが年上なんだよね、カーラード議長」
グウは自嘲気味に言った。
「フッ、馬鹿な……」
カーラードはわざとらしく鼻で笑った。
(何を言ってるの、グウ隊長……)
ギルティは思考が追いつかなかった。
たしかにグウの年齢はずっとあやふやで、聞いても『永遠の200歳』とか適当な答えしか返ってこなかったが。
(サバ読んでるのは知ってたけど、さすがに千歳越えはサバ読みすぎ……って、そういう問題じゃなくて!)
騎士グランは有名なオペラの主人公だし、歴史の教科書に載っているから知っている。が、知っているだけで、およそ自分とは関わりのない、大昔の人物だったはずなのに……
「仮にそうだとして、貴様の素性などどうでもよい。まもなく貴様は死ぬのだからな」
カーラードはそう言うと、すっと腕を前に出した。
彼の背後で、赤毛の鬼ドムウの頭部や骨で構成された不気味な輪が、くるくると回転を始める。
またあの回避不可能な攻撃がくる。
カーラードはぐっと指に力を込めた。
「死ね!」
グウの背後に出現した巨大な鬼の手の指が、ズン、とグウの腹を貫いた。
鬼の手はすぐに消え、ぽっかりと体に空いた穴から、向こう側の壁が見えた。
「グウ隊長!!」
思わず叫ぶギルティ。
しかし、
「えっ」
「な!?」
これには、ギルティだけでなく、カーラード議長も驚きを隠せない。
「なんという再生スピード……今のは
もはや『再生せよ』と唱える必要すらないらしい。謎めいた緑色の宝石を体内に取り込んだせいなのか、さらに再生能力が上がったように見える。
「あの宝石の力か……! ならば、あれを体から
カーラードは腕を前に突き出した。
ズシャアッ、と鬼の手刀がグウの体を肩のあたりから縦に裂いた。
緑色の血が噴き出し、頭部の重さで体の左半分がベロンと横に傾く。
「取り出すのは無理だよ。もう、俺の体と同化しちゃったから。それに、あれは宝石なんかじゃない。あれの正式名称は『デプロラの第三の目』。かつて第8代魔王デプロラの
体が接合されていく中、グウが平然と喋るので、カーラードの顔は引きつった。
「デプロラの目だと?」
「そう。『別れの森』を生み出した、魔王デプロラの魔力の源泉。そして俺は、その目と契約した『
すっかり元の姿に戻ったグウは、ゆっくりとカーラードのほうに向かって歩く。
ぴちゃ、ぴちゃ、と水魔法で濡れた床で水が跳ねる。
カーラードは思わず後ずさりした。
「契約? 騎士団? 何の話だ……」
グウはさらに一歩ずつ距離を縮める。
「一つ、『
グシャ。
鬼の手がグウの頭を握りつぶした。
首から上が消滅する。
だが、にょろにょろと首から神経が伸びて、数秒も経たないうちに頭部が再生された。その再生スピードは、まるで早送りの映像を見ているようだった。
カーラードは
回避不可能の必殺技である『赤毛の鬼ドムウ・第三形態』。
その攻撃が、無限に再生を続けるグウには、まったく通用しないのだ。
「三つ。復活した最後の一人は、今までに死んだ騎士たちの魔力をすべて継承できる。まあ、二つ目と三つ目は、わりと半信半疑だったんだけどね」
異空間のホールの中に生い茂った魔界の
まるで、増大したグウの魔力に共鳴するかのように。
「知ってるかな、議長。葛ってね、育つと太くなって木になるんだよ」
グウがそう言うやいなや、デクロリウムの
議長は炎で焼き払おうと手を突き出したが、蔓は急激に太くなり、茶色い枝となって、彼の手の平を貫いた。
ドドドドドドドッ。
何本もの木の枝がカーラードの体を貫く。藤の木に似たその枝は、まるで
デクロリウムの槍は同時に、彼の背後で回転を続けていた不気味な車輪をも破壊した。
「ゴフッ」とカーラードは口からドス黒い血を吐いた。
木の槍が体から抜けると、彼は体から大量の血を噴き出しながら床に倒れた。
「カーラード議長。あなたには、さんざんパワハラされたし、罠に
グウはカーラードを見下ろして言った。
「やはり貴様は魔族の敵だった……貴様こそ裏切り者だ。魔王様だけでなく、魔族全体に対しての……」
カーラードは血を吐きながら、恨みのこもった目でグウを見上げた。
グウは冷たく笑った。
「裏切ってなんかないさ。俺は魔族の味方だったことなんて一度もないからな」
カラン、とギルティの
その音にグウが振り返る。
床に座り込んだギルティと、グウの視線が交わった。
「グウ隊長……隊長は……魔族の敵なんですか?」
ギルティは大きく目を見開いたまま、
目の前にいる
化け物じみた回復力を持つその魔族が、なんだか知らない人のように感じられた。
(隊長のことがわからない……私の知ってるグウ隊長は、本当のグウ隊長ではなかったの? それとも、この人は騎士グランという人で、グウ隊長なんて、最初からいなかったの?)
「あなたは……誰?」
「俺は……」
グウはギルティの瞳を見つめ返し、それから、その背後に見える絵画へと、ゆっくりと視線を移動した。
彼の視線の先にいるのは、絵の中の騎士グラン。
自分とは似ても似つかぬ、おとぎ話の中の英雄。創作の中で美化された誰か。
歴史に残らなかった真実は、もはや誰も知ることがない。
本当の騎士グランの物語もまた
それ風のタイトルをつけるなら、最弱の下級魔族から魔界一の剣士に成り上がった件。
そして、すべてを失った件。
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