第152話 初恋

 ギルティは傷ついた足を引きずって、グウの死体のほうにズルズルと這い寄った。

「隊長……」


 完全につぶれた上半身のそばに、剣を握ったままのグウの右手が落ちている。

 ギルティはその手に触れながら、もう一度、緑の宝石をかざした。

「再生せよ」


 彼の手にはまだ温かさが残っていた。

 しかし、ぴくりとも反応しない。


「隊長、お願い……もとに戻って……」

 ギルティは涙声で言った。


「無駄だ。そいつはもう完全に死んでいる」


 カツ、カツ、とカーラード議長の靴音が近づいてくる。

 二、三歩離れたところで、彼は足を止めた。


「いかに再生能力が高かろうと、死んでしまえばそんなものは機能せん。死んだトカゲの尾が生え変わらぬのと同じこと」


 ギルティはぎゅっとグウの手を握りしめた。

「死んでない……グウ隊長は死んでなんかないっ」


 ハッハッハ、とカーラードは笑い飛ばした。

「どう見ても死んでおるわ。そのように頭が潰れて生きているはずがない。この状態から復活できるとすれば、いかなる部位にでも脳を複製できるという、不滅王シレオンくらいだろうよ」


 無情にも突きつけられる現実。

 ギルティは頭ではその通りだと思いながらも、どうしてもその現実を受け入れられなかった。


(グウ隊長が死んだ……?)


 だって、さっきまで、そこに立っていた。

 自分を守ろうとしてくれた。


(あのグウ隊長が、もういない……?)


 目の前に転がったグウの手を呆然ぼうぜんと見つめる。

 ほんの数日前、自分の頭をでてくれた手。


『ありがとう。お前は本当にいい奴だな』


 そう言ってくれた、あの声も、あの眼差しも、もうこの世界に存在しないというのか。


「さて、小娘。もはや決着は着いた。さっさと空間魔法を解除するがいい。そうすれば、こいつよりマシな死に方をさせてやろう」


 カーラードが床に手をかざすと、ズズズッと床からトゲトゲのついた大きな金棒が現れた。


 どうにかしなければ。

 立って戦わなければ。


 ――そう思うものの、どうしても体が動かない。

 全身から力が抜けてしまったようだ。


 これまでにも何度か死に触れたことはあるが、そのどれとも違う。

 感じたことのない喪失感。


(だって、私が今までやってこれたのは、グウ隊長がいたから……)


 走馬灯そうまとうのように様々な場面が頭に浮かんでくる。グウの疲れた顔や、困った顔、笑った顔。

 彼の笑顔が好きだった。


『ナイスだ、ギルティ!』

『さすがギルティ』

『ありがとな、ギルティ』


 彼がめてくれるのが嬉しくて、役に立てるのが嬉しくて。いつからか、それが最大のモチベーションになっていた。


(グウ隊長の役に立ちたくて頑張ってきたのに……隊長がいないなら、何のために立ち上がればいいの?)


 グウの手を握った彼女の手の甲に、ポタッと涙が落ちた。

 気づけば、涙がほほを伝っていた。


(そうか、私……)

 ギルティは涙で濡れた自分の頬に手をあてた。

(私、グウ隊長のことが好きだったんだ……)


 彼を失って、今、はっきりと自覚した。

 恋をしていたのだと。


「聞いているのか、小娘」

 カーラード議長の声がする。何だか遠くのほうから響いてくるような気がした。

「まあいい。お前を殺したあと、ゆっくり異空間を壊すだけのこと」

 たぶん、自分がぼんやりしているから、そんなふうに聞こえるのだろう。


(ごめんなさい、グウ隊長。私、隊長を守れなかった……)


 やはり自分なんかじゃ役に立てなかった。

 もうできることは何もない。


『そんなことないよ。十分支えられてるし。それに、なんていうか……お前が横に居てくれると、気分が明るくなるというか』


 それは、ダリア市に向かう途中の船で、グウに言われた言葉。


『だから俺は、お前みたいな奴に親衛隊を引っぱっていって欲しいと思ってる。お前みたいな奴っていうか、お前だけど』


 それは、別れの森に向かう車の中で言われた言葉。


『頼りにしてるよ』


 ギルティはハッとした。


(そうだ。自分に自信が持てなかった私を、最初に認めてくれたのは隊長だった。こんな私に期待してくれたのは隊長だった)


 ギルティは足に力を入れた。

 魔法のつえに寄りかかりながら、どうにか体を起こす。


(立て、ギルティ! 隊長の期待に応えろ!!)


 彼女はカーラードに向かってビシッと杖をかまえた。


「何のつもりだ。まさかお前ひとりで戦うとでも?」


「もちろん戦います。グウ隊長と魔王様と約束したので。必ずセイラさんを救い出すと!」


「無駄な足搔あがきだな。まあいい。せいぜい苦しんで死ね」


 カーラードは金棒を振り上げた。


 ギルティは杖の石突きをダンッと床の血だまりに突っ込んだ。

 グウの血に残った魔力に反応して、杖が金色に光り出す。


(グウ隊長、力を貸して!)


 幾何学模様のシールドが金棒を跳ね返した。


わずらわしい!」


 カーラードが虫でも追い払うように、荒っぽく手を払う。

 そのとたん、ギルティの目の前に巨大な鬼の手が現れ、シールドごと弾き飛ばされた。


 彼女は勢いよくホールの床を転がって、壁に激突した。


 その拍子にペンダントの鎖がちぎれ、宝石の部分が飛んでいってしまった。

 カン、カン、とタイルの上をバウンドして、宝石はグウの下半身から流れ出した血の中にポチャンと落ちた。


「うっ……」

 ギルティがどうにか体を起こそうと、床に手をつく。


「終わりだ」

 トドメを刺そうと、カーラードが腕をのばした。


 ――そのとき。

 床に生い茂っていたデクロリウムのつるが、彼の腕にからみついて動きを制した。


「何だ。まだ動くのか、この草は」

 カーラードは腹立たしげに蔓を引きちぎった。


 キラッ、と――ギルティの目のはしに、鮮やかな緑色の光が映った。


 見ると、エメラルド色の宝石が、血だまりの上に浮かんでいる。

 緑の血をしたたらせながら、宝石はだんだんと上昇し、大人の胸の高さくらいまで来ると、ぴたりと止まった。

 そして、次の瞬間、緑色の神経のようなものがぶわっと宝石から生えてきて、まるで植物が根を張るように、四方八方に伸びはじめた。

 そのうちの数十本が、グウの下半身に向かって伸び、切断面に根を下ろすと、それを引きずり寄せる。そうして、制服のズボンとブーツを履いた下半身が、宝石の下に直立し、今度はその切断面から背骨が上に向かって伸びはじめた。その背骨の先に、あっという間に脳味噌と頭蓋骨が出来上がる。

 さらに、緑の宝石をぐるりと囲むように膜ができ、心臓のようにドクンと脈打ったかと思うと、肺やあばら骨が生成され、筋肉がつき、皮膚がそれを覆っていった。


「な、何が起きてるの……?」

 ギルティは呆然としてその様子を見つめた。


「バカな……そんなことが……」

 カーラード議長も驚愕のあまり、動きを止めて様子を見るしかなかった。


 やがて、頭部に小枝のような角と、緑色の髪が生えてきたときには、それがグウであると、誰の目にも明らかだった。最後に剣を握った右手が神経に引き寄せられて腕にくっつくと、完全にもとの青年の姿が蘇った。


「グウ隊長……?」


 それは、どう見てもグウだった。

 だが、ひとつ気になる点がある。

 彼の体に異様な文様が浮かび上がっているのだ。


 有刺鉄線を太くしたような、黒いいばらつる刺青いれずみ

 それが、引き締まった精悍せいかんな上半身の全体を覆い、二の腕のあたりまで刻まれている。


(何、あの模様……)

 ギルティは彼の生存を喜びつつも、その異変に目を奪われた。


 肉体を再生した影響で浮かび上がったのだろうか。今まであんなものは……

 いや……もしかして、前からあったのか?

 ギルティには知りようがなかった。当然だ。グウの裸体など一度も見たことがないのだから。

 彼は人前で肌を見せることはなかったし。服も長袖ばかり。あれ……よく思い出してみると、意図的に露出を控えていたのか?


「******」


 ふいにグウが何か言葉を発した。

 だが、聞き慣れない単語で、何と言ったのかわからなかった。


「ハハッ、******。アハハハハハハッ」

 彼はなぜか笑いだした。

 天井をあおいでゲラゲラと笑う。


 どこか狂気的な笑い声に、ギルティは不安になった。


「……あれは、古典魔界語か?」

 カーラードが困惑した顔でつぶやく。


「古典魔界語?」

 ギルティはますます混乱した。

(どうしよう。グウ隊長、再生のショックでおかしくなっちゃったの?)


「あのっ、グウ隊長!」


 思わず呼びかけると、グウがこちらを見た。


 彼はどこか不思議そうな表情で、しばらくギルティの顔を見つめると、ややあって、

「ああ、ギルティ……そうだ、そうだった」

 と、頭を手でおさえた。

「そっか、脳を再生したときに、記憶の時系列がぐちゃぐちゃに……えっと、俺は今……そうだ、カーラード議長を倒さなきゃいけないんだったな」

 彼はぐるりと周りを見渡すと、カーラードのところでぴたりと視線を止めた。


 カーラードは眉間に深いしわを寄せた。

「貴様、いったい何なのだ。あの状態から再生するとは……」


 今しがた起こったことは、700年生きているカーラード議長の知見に照らしても、にわかには信じがたい光景だったらしい。


「しかも、その刺青いれずみ

 と、カーラードはグウの背後へと視線を移した。


 グウの背後には――というか、このホールでは、どこを見ても同じ景色なのだが――階段があり、踊り場に大きな絵が飾ってある。有名な歴史画、『勝者の晩餐ばんさん』だ。

 そこに描かれた悲劇の英雄。

 上半身だけを額縁がくぶちに入れられ、はりつけにされているその男の体にも、よく似た荊の刺青が刻まれている。


「それは『いばら誓紋せいもん』ではないか。デプロラ女王への忠誠の証……! デメ様に仕える身でありながら、そんなものを体に刻んでいたとは……貴様、やはり根っからの親人間派……むしろ、思った以上の過激派ではないか! よく今まで隠してこれたものだな」


 怒りをにじませるカーラードに、グウは平然とこう答えた。


「憲兵隊の奴らには何人か見られたけどね。でもまあ、誰も歴史にも絵画にも興味ないみたいで、気に留めなかったらしい。アンタに報告が行ってないってことは、そういうことだろうね」


 カーラードはギリッと歯を噛んだ。

「フン。自分で拷問しなかったことが悔やまれるわ。よかろう。それほど騎士グランの真似事がしたければ、私が同じ扮装をさせてやろう! 今度は上半身だけを残し、同じように額縁に入れてさらし者にしてやるわ!」


 グウはふっと小さく笑みをこぼした。

「コスプレみたいに言わないで欲しいな」

 そう言って、トンと剣を肩に担ぐ。

「俺が原作なんだから」


「何?」

 カーラードは顔をしかめた。

 が、その顔がだんだん真顔になっていき、やがて驚愕に目が見開かれた。

「貴様、まさか……騎士グラン?」


 ギルティも同じくらい混乱していた。

「どういうこと……?」

 彼女は床に倒れたまま、愕然がくぜんとグウのほうを見つめた。


 死の淵から蘇った、優しい上司。

 初めて好きになった人。


 だけど――

 実際は、彼のことを何も知らなかったのかもしれないと、ギルティは思い始めた。

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