第151話 絶望

 大理石の床を突き破って、巨大な腕が二本生えてきたと思ったら、続いて小山のような頭部がズムムムムとせり上がってきた。


 カーラード議長の召喚獣、赤毛の鬼ドムウ。

 赤く長い体毛に覆われ、ギョロッとした目とセイウチのような牙を持った不気味な怪物だ。


「でかすぎっ!」


 頭部だけでも、グウの身長を遥かに超える巨大さ。

 四天王会議のときに全身を見たが、たしか五階建てのビルくらいの大きさだった。 

 このまま全身が出てきたら、三階建て相当のこのホールには収まりきらないだろう。


「マズいです! あんなのが出てきたら、この異空間が破裂しちゃう……!」

 ギルティが慌てて言った。


「俺が押しとどめる!」

 グウは素早く床に手をかざした。

「襲来せよ、力なき侵略者!」


 無数のつる植物が床から生えてきて、緑の津波のように赤毛の鬼に襲いかかった。

 鬼は腕を振り回して、ブチブチと蔓を引きちぎったが、蔓は何度も執拗しつように絡みつき、やがて鬼を完全に覆いつくしてしまった。無数の蔓に覆われたその丸い頭部は、まるで緑色の巨大なモンブランのようだ。


「動きが止まった!」

 ギルティが安堵したように言った。


「よし。いくらパワーがあっても、動きが遅ければ、数の暴力でいける」


「ほう」

 と、カーラード議長が落ち着いた声でつぶやいた。

「そういえば、四天王会議のときも、その魔法でドムウの動きを止めていたな。では、これでどうだ?」

 議長は金棒でドンと床を打ちつけた。

「出でよ、赤毛の鬼ドムウ、第二形態!」


「第二形態!?」


 ズバッ、とつるの山を切り裂いて、中からまた厄介そうなのが出てきた。

 体長3メートルほどの赤毛の鬼が5体。

 先ほどより小型とはいえ、それでも十分デカい。さらに、フォルムも人型から四足歩行の獣のような姿に変化している。


 赤い鬼は勢いよく床を蹴ると、一斉に二人に襲いかかった。

 デクロリウムの蔓がそれを捕えようと追尾するが、鬼たちが素早くて追いつけない。


 グウは最初に飛びかかってきた一匹の爪をかわして、前足を切り落とし、さらにもう一匹が飛び上がったところを、下からのどを貫いた。


「ギルティ、大丈夫か!?」


 まだ動いている鬼にとどめを刺しつつ、急いで部下の安否を確認する。見ると、彼女は三体の鬼に攻撃されながら、シールド魔法で身を守っていた。


「だ、だいじょう――」


 彼女が答えようとした瞬間、バリンッ、とシールドが砕けた。

 鬼の手がギルティをぎ払う。


「きゃあっ」


 彼女の体が壁に叩きつけられた。

 鬼の爪が太ももを引き裂き、赤い血が飛び散る。


「ギルティ!!」


 鬼がギルティに噛みつこうとするのを、グウは大量の蔓で彼女の前に壁を作り出して防いだ。


 さらに、その鬼の背に飛び乗ると、脳天に剣を突き刺した。

 ズゥンと地面を揺らして、鬼が地面に倒れる。


「隊長、すみません……」


 ギルティは床に横たわりながら言った。鬼の攻撃は、彼女の制服のスカートにスリットを追加しつつ、大きく太ももを引き裂いていた。この状態では、しばらく立ち上がるのも難しいだろう。


「シールドを張って、今はとにかく全力で自分を守れ」


「隊長、この石で私に回復魔法をかけることは……」

 ギルティが首にかけたペンダントををつまみ上げた。


「すまん。それは俺にしか効果がないんだ」

 グウは申し訳なさそうに答えた。


 残るは二体。

 グウは腕を前にまっすぐに伸ばして、サーベルを鬼に向けた。

 呼吸を整え、意識を集中する。


 鬼が動いた。ほぼ同時に突進してきた鬼の牙を避けて、側面に回り込み、首を切り落とす。さらに素早く体を反転させ、もう一体の首も落とした。一瞬のうちに二体を葬り去る。


 そのとき、ヒュ、と空気が揺れた。


 倒れゆく鬼の陰から、不意打ちで金棒を振り下ろすカーラード議長。

 だが、グウは読んでいた。

 鬼を倒した斬撃から、素早く手首を返して剣を斜め上に切り上げる。


 キィインッ


 金棒が見事に切断され、ゴンと床に落ちた。


「ほう。さすが魔王様の牙で造られた、魔界最高の剣」

 カーラード議長は金棒の切り口を眺めながら感心した。

「貴様に持たせておくにはもったいない代物だな。魔族の誇りを持たぬ、人間の手先風情には」


「裏切り者のあなたには言われたくないですね。魔王様の第一の配下でありながら、主君を裏切った逆臣には」


 グウの言葉に、カーラードは大げさにため息をついた。

あきれて言葉も出ぬわ。いったい誰のせいでこうなったと思っている」


「は?」


「魔王様が今のような暗君になってしまわれたのは誰のせいだ。すべて貴様の責任ではないか。私が幾度となく人間界と距離を置くように忠告したにもかかわらず、貴様は何ひとつ手を打たぬばかりか、むしろ進んで歪んだ思想を魔王様に植え付けた! 人間に肩入れするように仕向けたのだ! その結果、魔王様はいまや魔界に害をなす存在となってしまわれた。私がこのような苦渋の決断を下さざるを得なくなったのも、すべて貴様のせいだ!」


 今度はグウが呆れる番だった。


「よくそんな責任転嫁ができるな……自分が魔王様の世話を俺に押し付けたくせに。魔王様の相手が面倒になって、ぜんぶ俺に押し付けて魔王城を出て行ったのは誰だよ! 自分は議会でふんぞり返って好き放題やっといて、今さらそんなクレームを入れられる筋合いはないね!」


「黙れ! 貴様のような若造が、わかったような口をきくな! 私は政治的判断力のないデメ様にかわって、魔界の安定に尽くしてきたのだ。今の魔界の繁栄を築き上げたのは、このカーラードである! そして、今後魔界を正しく導いていけるのも、この私しかおらぬ! それこそが、私が魔王デメを討つ正義だ!」


 カーラードは金棒を投げ捨て、手の平から炎を噴射した。

 グウは壁を駆け上がって攻撃を避けた。


「そういうとこだよ、議長」


「何?」


「言っとくけど、デメ様はあなたが思ってるほど馬鹿じゃないぞ。たしかに、あなたみたいな政治的な駆け引きはできないかもしれない。でも、あなたみたいに自分が絶対的に正しいと思い込んだりしない」

 グウは相手をまっすぐに見据えて言った。

「あなたは一度だって俺の話をまともに聞いてくれなかったが、デメ様は違う。ちゃんと人の意見に耳を傾けられるし、自分が間違ってるとわかったら、ちゃんとそれを認めることができる。俺はそういう上司のほうが好きだね」


「フン。貴様の好みなんぞ聞くに値せんわ」

 カーラードは右腕をスッと前にのばした。

「そろそろ終わりにするぞ。赤毛の鬼ドムウ、第三形態!」


「まだあるのかよ!」

 グウは身構える。


 破壊された鬼の肉片がカーラードのほうに吸い寄せられていく。

 五体の鬼の頭部と、手足や骨、臓器などが組み合わさって輪をつくり、カーラードの背後で水車のようにくるくると回転を始めた。


「なんだよ、あれ……」


 あれが第三形態? これまでで最も不気味な形態だ。

 どういう攻撃が来るのか予想がつかず、迂闊うかつに動けない。


「死ね!!」

 カーラードは前に突き出した手の指を、グッと曲げた。


 ドスッ、とグウの腹を何かが突き破った。

 鋭い爪の生えた、赤い、大根のように太い指が二本。背中から体を貫通している。

 首を曲げて背後を振り返ると、赤毛の鬼ドムウの腕だけが宙に浮いていた。


 腕はまもなくスッと消えた。


「ぐっ……」


 攻撃の予兆がまったく感じられなかった。

 まるで攻撃される瞬間まで、そこに腕なんか存在していなかったかのような……


「ギルティ……!」

 グウはよろめきながら助けを求めた。


 その声に、ギルティは倒れながらもペンダントをかざして叫んだ。

「再生せよ!」


 宝石がエメラルド色に輝き、グウの傷がふさがっていく。


 だが、カーラードが回復を待ってくれるはずもない。

 彼は勢いよく手を前に突き出した。


 ズンっと、グウの左肩を、今度は前から鬼の指が貫いた。

 いつのまにか、目の前に鬼の腕が浮かんでいる。

 

 今度ははっきりとわかった。

 攻撃を受ける瞬間まで、そこに腕は存在しておらず、攻撃された瞬間に腕が見えるようになったのだ。


(こんなの、どうやって防げばいいんだ!?)

 グウはふらつきながら肩をおさえた。


「再生せよ!」

 ギルティがペンダントをかざす。


「邪魔だ、小娘!!」

 カーラードは右腕をギルティのほうに向けた。


「やめろ!!」

 グウがカーラードに斬りかかる。


「かかったな」

 議長は何かを薙ぎ払うように、素早く腕を水平に振った。


 その瞬間、

 巨大な鬼の手がグウの体を薙ぎ払った。


 鋭い爪が肉を引き裂き、腰から上がちぎれて、上半身が吹き飛んだ。

 緑色の血が空中にまき散らされる。

 下半身は壁に叩きつけられ、上半身は宙を舞って、ギルティの目の前に、うつ伏せに落下した。


 ギルティは心臓が止まりかけた。


「さ、再生……」


 とにかく、そう唱えようとしたとき――


 ダァンッ!!


 巨大な鬼の拳がグウの上半身を叩きつぶした。


 目を見開いてフリーズするギルティの前で、鬼の手はスーッと消えていった。


 あとに残されたのは、ぺしゃんこに潰れた肉塊。

 緑色の血にまみれて、何が何だかわからないほど、ぐちゃぐちゃの状態。


(これは……)


 ギルティは視界がグラグラした。

 急激な眩暈めまいと寒気に襲われる。


(これは、再生できるの……?)


 体は真っ二つに切断され、頭部を含めた上半身が完全に破壊されている。

 さすがに、こんな状態から再生した例は見たことがない。

 人型の魔族は基本的に、首か胴体を切断されれば死んでしまう。シレオン伯爵のような、不死身に近いいにしえの魔族でもない限り、どれだけ回復力があったとしても……


 ギルティは絶望しそうになる思考を振り払い、わらにもすがる思いでその言葉を唱えた。


「再生せよ」


(大丈夫! きっと助かる! グウ隊長が死ぬわけない!)


 緑の宝石はキラリと光ったが、グウの体に変化はない。

 もう一度唱えてみる。


「再生せよ!!」


 だが、何も起こらない。

 潰れた上半身も、近くに転がっている下半身も、じっと沈黙していて、ただ緑色の血だまりだけがどんどん広がっていく。


(隊長は死んだりしない!! 絶対に助かる!)


 ギルティは祈りを込めてもう一度叫んだ。


「再生せよ!!!!」


 だが、やはり何も起きなかった。

 そこには、ただ血まみれの肉塊が転がっているだけだった。


「グウ隊長……?」


 ギルティは呆然として、グウを――

 グウの死体を見つめた。

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