第140話 混乱

 魔王城の中は混乱を極めていた。

 突然のアンデッド軍の侵攻。さらに、それを迎え撃つために出動した魔王軍が、なぜか城門を開けて敵を招き入れてしまったので、城内はパニックになった。


「とにかく非戦闘員は本館に避難してください!」

「デュファルジュ元老が結界で本館を守ってくださっている! みんな、本館に急げ!」


 警備隊の誘導の声が下のほうから響いてくる。

 普段は城壁の上で暇そうに漫画を読んだり、居眠りをしていたりする警備隊が、いつになく緊迫した様子だ。


 ここは、魔王城の中核へ通じる第二の門。

 門の上の通路にはベンチが置いてあり、晴れた日には、グウがよくここで昼食を食べていた。


 今、門の内側では、本館に避難しようとする魔族たちが慌ただしく動き回り、門の外側では、噴水のある虹色広場に、アンデッドの軍団およそ三千と、魔王軍中央司令部の約千名が集結している。

 そして、第二の門を突破しようと門扉に突撃してくるアンデッドたちを、警備隊がシールド魔法で必死に防いでいた。


「どうなってんの、これ? 魔王軍が敵に寝返ったってこと?」

 第二の門の上から広場を見下ろしながら、フェアリー隊員はガルガドス隊員にたずねた。


「ぼ、僕も何が何だか……」

 ガルガドス隊員がオロオロしながら答えた。その彼の横を、

 ヒュン。

 と、魔法の矢が通過した。


「いたぞ! 親衛隊の奴らだ!」

「降りてこい、魔王親衛隊! お前らの首は俺たちがいただくぜ!」


 血気盛んな魔王軍が、広場で口々に叫んでいる。


「オイ、コラ! どういうつもりだ、魔王軍! テメェら魔王様にケンカ売るつもりかぁ!?」

 同じくらい血の気の多いザシュルルト隊員が怒鳴り返す。


「ハッ、間抜けな奴らだぜ! 魔王様は今頃お亡くなりになってるだろうよ! この城の主はもういない! お前ら親衛隊はもう用無しなんだよ!」

 兵の一人がそう言い放った。


「魔王様が死んだ!?」

 隊員たちに衝撃が走る。

「嘘だよな?」と、互いに顔を見合わせた。


「ベリ将軍はこの件をご存じなのか!!」

 ガルガドス隊員が広場に向かって叫んだ。


「むろん、これはベリ将軍のご意思だ!」

 魔王軍の将官が答えた。

「この城を制圧し、デュファルジュ元老を拘束せよとのご命令である! 抵抗する者は即刻始末するから覚悟しておけ。ちなみに、魔王親衛隊には全員、処刑命令が下っている。貴様らは降伏しようが、抵抗しようが皆殺しだ。まあ、この戦力差で抵抗する気が起こればの話だがな」


「マジかよ」と、つぶやくザシュルルト。「なあ、魔王様が死んだなんて嘘だよな? 魔王様、帰ってくるよな?」

「嘘に決まってるさ。魔王様がそう簡単に死ぬわけない。グウ隊長だってついてるんだし」

 ゼルゼ隊員が腰に手をあてて力強く言った。

「ワン!!」

 と、犬のジェイル隊員も同意を示す。


「そうだ……魔王様はきっと帰ってくる! 戦おう。僕たちが魔王様の帰る場所を守るんだ!」

 ガルガドス隊員はそう言って、ぎゅっとおのの柄を握りしめた。


「てことは、殺し合いOKってことだね」

 フェアリー隊員はニイッと笑い、下にいる警備隊に対してこう呼びかけた。

「おーい、警備隊の人たち。引いていいよー」


 それから、彼は嬉々として三叉槍さんさそうをかまえると、門扉に群がるアンデッドの軍団に向かって炎を噴射した。


 ボォンッ!!


 巨大な火柱が立ち、開戦の狼煙のろしが上がった。



 * * *



「遊ぼうよ、グウちゃん」


 とらえどころのない無邪気さと威圧感をまとったベリ将軍の姿を前に、グウとギルティは愕然がくぜんと立ち尽くした。


 ベリ将軍とカーラード議長という二人の四天王を前に、

「まさか、この二人が手を組むなんて……」

 と、ギルティが絶望的な顔でつぶやいた。


 そう思うのも当然だった。

 彼らの仲は険悪と言っても過言ではなく、四天王会議のときのバチバチ具合からしても、二人が協力関係にあるとは考えにくかった。

 だからグウも、ベリは魔界再生委員会とは無関係だと踏んでいた。

 

 だが、どうやら思い違いだったようだ。


「ベリ様……たしかに、あなたはいつ魔王様の敵にまわってもおかしくなかったが……」

 グウは頭に手をやった。

 痛恨の一撃を食らった気分。

 自分の甘さを噛みしめながら、指の間から彼女を見据える。

「けど、あなたは喧嘩だけは正々堂々とするタイプだと思ってましたよ。まさか、こんなセコい作戦に加担するとはね」


「セコい作戦?」

 ベリはキョトンとした顔で首をかしげた。


「こんな方法で勝って嬉しいのかよ。セイラちゃんは、アンタに憧れてたんだぞ」


「セイラちゃん? 誰だっけ?」


「え」


「あ、思い出した。デメちゃんの推しのアイドルちゃんか。あの子がどうかしたー?」


 とぼけているのだろうか?

 いや、ここでとぼけて何になる。


「……まさか、知らないでそっちの味方をしてるのか?」

 グウは唖然とした。

(そうだ。ベリ様の目的は魔王様を殺すことじゃない……この人の目的は、魔王様と戦うことだったはず)


『グウちゃんを殺せば、デメちゃんと戦わせてくれるって言われてさ』


 以前、彼女が言っていた言葉を思い出したグウは、思わずこう叫んだ。

「おい、ベリ様! シレオン伯爵とカーラード議長にだまされてるぞ!」


 カーラード議長が不愉快そうに目を細める。

「人聞きの悪い。ベリ殿は些末さまつなことには興味がないだけ。我々の利害は一致している」


「黙っててください、議長!」

 グウはキッと議長をにらんだ。

「おい、ベリ様! 議長たちは魔王様を殺す気だ! この人たちと手を組んだところで、魔王様とは戦えないぞ!」


「うん。それは知ってるよ」


「え?」


 意外にもハッキリと言い切ったベリは、無邪気な笑みを浮かべた。

「シレオンがね、もっと楽しいことを思いついたって言ったの」



 * * *



 子供の頃、テレビにかじりつくように、夢中で歌番組を見ていた。

 画面の中には憧れのアイドル。

 とびきり可愛い、ピンク色の髪の女の子。


 彼女は歌もダンスも上手くて、どんなに激しく踊っても、息切れひとつしなかった。

 運動神経抜群で、ハイヒールを履いたまま体操選手みたいな動きができた。

 幼いセイラは一瞬で心を掴まれた。


「すごーい! セイラもベリみたいになりたい!」


 そう言うと、母親は思い切り顔をしかめた。


「この子、魔族でしょ。魔族になりたいなんて言うもんじゃありません」


「なんで? 可愛いのに」


「可愛くても魔族は魔族なの。まったく、なんで魔族なんかテレビに出すのかしら。教育に悪いじゃないの」


 母はそれから恐い顔をして、こう言い聞かせた。


「いい? 魔族は悪い生き物なの。人間を食べちゃう恐い生き物なのよ。もしどこかで出会ったとしても、絶対に近づいちゃダメだからね」


 まもなく、ベリは引退して魔界に帰ってしまった。

 その後、ダリア市で魔族による凶悪犯罪が増えはじめ、世間の魔族に対するイメージは悪化の一途をたどった。

 セイラはベリへの憧れは残しつつも、魔族には漠然と恐いイメージを抱いた。


 母には近づくなと言われたが、そんなこと言われなくても普通に生活していれば、魔族と関わる機会なんて訪れない。

 そう思っていた。


 しかし、今――

 セイラの目の前には、二人の魔族がいる。


 人間だと思っていた二人。

 いつも応援してくれる大事なファンと、お世話になっているバイト先のオーナーの秘書。いや、秘書の姿をしたオーナー自身らしい。

 なぜか二人は敵対していて、何やらずっと怖い話をしている。

 何が起きているのか全くわからない。

 鎖につながれ、刃物を突き付けられ、怖くて何も考えられなかった。

 この悪夢のような時間がはやく終わることだけを祈っていた。


 その言葉を聞くまでは。


「わかった。俺を殺していい。そのかわり、絶対にセイラを無傷で解放しろ」


 セイラは思わず声の主のほうを見た。

 その魔族は、自分のために命を差し出すという。


(どうしてそこまで……?)


 本当に助けてくれるのだろうか。

 魔族の命と引き換えに助かるのなら、喜ぶべきなのだろうか。


 魔族は悪い生き物。

 魔族は恐い生き物。

 母親が、歴史の教科書が、ニュース番組がそう言っていた。


 でも……


 その人は、いつも自分を助けてくれた。

 泣きそうなときに駆けつけてくれた。

 いつも不安そうで、あまり目を合わせてくれなくて、それでも不器用な言葉で必死に励ましてくれた。


 どうしても悪い人だと思えない。


 いつもと少し姿は違うけど、どこか寂しげな青い瞳は変わらない。

 この人はデメさんだ。


「待って!」


 気づけばセイラは叫んでいた。

 スーツ姿の女に向かって訴える。


「こんなことやめてください、ラウルさん! ラウルさんなんですよね? どうして? あんなにいろいろ良くしてくれたのに、どうしてこんなヒドいことするんですか?」


 女は穏やかに微笑んだ。

「それはね、セイラ。そもそも君を利用するつもりだったからだよ」


「えっ?」


「こうして君を取引に使うために、デメに近づけたんだ」


「何だと……?」

 デメも驚いたように目を見張る。


「僕はずっと前からセイラに目をつけてたんだよ。一年以上前、お前が彼女の配信を見始めた頃からね」


「なっ、何でそんなこと知ってる!?」


 眼鏡の女はフフッと笑った。

「魔王城にネット引いてやったの誰だっけ?」


 デメの白い顔が恐怖したように引きつった。

「……ま、まさか」


「イエス。ハッキング済み。筒抜けなんだよね、ぜんぶ」

 女の姿をした魔族は、ニヤァと邪悪な笑みを浮かべた。


 どうやら、彼は最初から知っていたらしい。

 魔王デメに勝つ方法を。


 そのための入念な計画。

 セイラやデメの知らない、黒幕である彼しか知らない真相がそこにある。

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