第139話 魔王の選択
死んでくれないか。
と要求された魔王は、静かにデボラの――いや、シレオンの目を見つめ返した。
「大丈夫。手間はかけさせないよ」
と、眼鏡をかけた美女が微笑む。
「僕の体さえ返してくれれば、あとはもう、そのへんに座ってるだけでいいからさ。そしたら、僕がサクッと終わらせてあげるから。それで大事なセイラが無傷で解放されるんだ。悪くない話だろ?」
勝手な理屈で話を進めるシレオン。
祭壇の上で鎖に繋がれ、短剣を突きつけられているセイラの表情がこわばる。
「なるほど……」
と、デメはつぶやいた。
セイラの命は絶対に助けなければならない。
だが!!
シレオンのクソ野郎のためにこの命をくれてやるなど、到底我慢ならない。
この薄汚いゾンビ野郎をこの手でぶち殺さない限り、死んでも死にきれない。絶対にセイラを巻き込んだ落とし前をつけさせてやる!
(そもそも、この状況……)
魔王はセイラとシレオンを交互に見た。
たしかに人質を取られるのは初めてだが……よく考えたら、似たような場面をゲームのストーリーで見たことがある。
『仲間の命が惜しければ銃を捨てろ!』『くっ……仕方がない』みたいなシーン。
だが、銃を捨てたところで、敵側が約束を守ったのを見たことがない。
グウも言っていたように、たとえシレオンの要求に従ったとしても、セイラが無事に解放される保証はどこにもないのだ。
ということは、素直に従うだけ損なのでは?
(そして、この位置……)
セイラのいる祭壇までは、三メートルちょっと。シレオンも同じくらいの距離。
セイラに短剣を突きつけている、あの修道女みたいな石像……あの魔族がどれほどの強さなのか定かではないが、自分より速く動けるとは考えにくい。
敵がセイラに危害を加える前に、こいつらを始末してしまえばいいのでは?
その作戦で、とくにリスクがあるとは思えなかった。
(できる……俺になら!)
「わかった。その要求――」
言葉の途中、不意打ちで魔王は両手から光線を発射した。
一方はシレオンに向けて、一方は石像に向けて。
十本の指から同時に青白い光線が放たれる。
その恐るべき速さは、両者にまったく反応の余地を与えなかった。
確実に全弾命中する軌道。
シレオンは爆散し、石像は粉々に砕け散るはずだった。
が――
攻撃が当たった瞬間、なぜか石像はぶるんッと震え、セイラと一緒に溶けてゲル状になってしまった。
透明なゼリーのようになったそれは、祭壇の上にどろりと広がった。
「は……?」
何が起きたのか理解できず、魔王は硬直した。
少しすると、ゲル状のものは再び形を取り戻し始め、やがて元の姿に戻っていった。セイラと、彼女を捕らえた石像の姿に。色も形も元どおり。セイラはそこにいて、さっきまでと同じように、呼吸をし、
「何だよ、これ……これは、偽物なのか?」
引きつった顔でセイラを凝視する魔王に、彼女は
「デ、デメさん……?」
その反応は、どう見てもセイラ本人だった。
どういうことだ。
「フフッ。面白いだろう、それ」
横から声がした。
顔を向けると、スーツ姿の女が無傷で立っている。
なぜ生きている?
おかしい。
本体である右手を含め、五カ所に光線を打ち込んだはず。
なぜ傷の一つすら負っていない?
「君のやりそうなことなんて、だいたい予想がつくさ」
シレオンは微笑を浮かべながら、前に手をのばして、空中で何かをつまむような動作をした。
ペロリ、と何かが
まるで空中に薄くて透明なセロファンでも貼ってあったように。
(あの魔法は……)
魔王は思い出した。
そう。
前に一度、シレオンが人間界で使ったことのある空間魔法だ。
薄い異空間を作り出して魔王の攻撃を吸収してみせた、あの魔法。
「さっき、君とセイラが話しているときに貼っておいた。こうなることは予想できたからねぇ」
眼鏡の女はフフッと笑って、白いハンカチに変わった異空間をポケットにしまった。
「おい、あれは何だ! セイラに何をした!!」
魔王はセイラを指さして叫んだ。
「落ち着けよ。あれはセイラだし、何もしちゃいないよ。ただ、実際にここに居ないってだけで」
「は? どういう意味だ……」
「簡単に言えば、実体のある立体映像って感じかな。あれは『千里眼スライム』といって、いろいろな魔物を掛け合わせて僕が創り出した、新種の魔物でね。『千里眼』と呼ばれる感覚器官で感知した生き物の姿や声を、離れた場所にいても、そっくりそのまま再現することができるんだ。で、そいつの眼をセイラのいる別の部屋に設置しておいたってわけ。そうすると、目に映るものの姿をリアルタイムで反映してくれる。ね、面白いだろう?」
シレオンは得意げに説明した。
「……あれがスライム? 嘘だ。だって、さっきまで明らかに会話が成立していたぞ。別の場所にいるセイラを真似してるだけなら、なんで話ができるんだ」
「それは、あちら側にも千里眼スライムがいるからさ。ほら、あそこを見てごらん」
シレオンは壁を指さした。
見ると、繊細な彫刻が施された板張りの壁に、気味の悪いものがくっついていた。
白目の上に、赤い虹彩がいくつも浮かんだ、背筋がぞわっとするような眼球が、
目はまるでこちらを監視するように、じっと魔王のほうを見つめていた。
「あれが千里眼スライムの目だ。あれで僕たちを観察して、別の部屋にいる本体が動きや声を再現している。セイラには、さも目の前にいる僕たちと会話をしてるように感じられるはずだ。まあ、リアルなビデオ通話だと思ってくれればいいよ」
シレオンはセイラの腕――正確にはスライムが再現したセイラの腕を指でつついた。
スライム一瞬はぶるんっと揺らいだが、すぐにまたハッキリとした形を取り戻した。
「……セイラはどこにいる?」
魔王は鋭い目でシレオンを
「教えるわけないだろう? そうだな、この城の中にいるのは確かだよ。君が本気で走れば数秒で行けるかもね。逆に言えば、数秒はかかるってことだけど」
秘書の姿をしたシレオンはそう言って、セイラを拘束している石の修道女にこう告げた。
「おい。次にこいつが僕を攻撃したら、即座に彼女の
石像は返事をする代わりに、短剣をセイラの首筋にぐっと押しつけた。
「うっ」
セイラはいつ来るかわからない痛みに
「そういうことだよ、デメ。もし不意打ちで僕を殺せたとしても、君が助けに行く前に彼女は死ぬ。これでわかったかい? 君の死なくして、彼女が生き延びることはありえないんだよ」
シレオンは勝ち誇ったようにニイッと笑った。
「貴様……!!」
魔王はかつてないほどの激しい怒りを覚えた。
今すぐにこいつを殺してやりたい。
殺してやりたい!!
だが、できない!
やり場のない怒りが胸の中で煮えたぎって、爆発しそうだった。
「おのれ!!」
と、床を踏み砕く。
「おのれ!! おのれ!!」
床のタイルが粉々になるまで
それでも怒りがおさまらず、思い切り自分で自分の手を噛んだ。
指の付け根から血が流れる。
顔に浮き出た血管がドクドクと脈打ち、口から青い血を滴らせる魔王に、セイラは恐ろしさのあまり、カチカチと歯を鳴らした。
(おさえろ。おさえろ、俺。何しにここに来たんだ?)
魔王は自分に言い聞かせ、荒ぶる呼吸を整えるために深呼吸をした。
セイラのほうに目を向ける。
いつも元気のかたまりのような彼女が、今は
(そうだ……セイラはこんなところに居ちゃいけない。セイラはグレープホールに行くんだ。一万人の観客の前で歌うんだ)
魔王は想像した。
広いステージの上で、汗だくになりながら全力で歌って踊るセイラを。
歓喜に沸くファンの熱狂を。
見渡す限りのペンライトの光を。セイラのイメージカラーの黄色で視界のすべてが埋め尽くされる光景を。
それを想像したら、怒りがすーっと引いてきた。
『私はグレープホールに行くわ。たとえそこが通過点でも、その先に何が待っていたとしても、私はただそこを目指して全力で走るだけ』
その誓いを、彼女はきっと果たすだろう。
あの夜と同じ、一点の曇りもない瞳で、どこまでも走っていくだろう。
だって、セイラは俺よりずっと強くて、俺よりずっと格好いいから。
大丈夫。
選択は決まった。
「わかった。俺を殺していい。そのかわり、絶対にセイラを無傷で解放しろ」
驚くほど静かな調子でそう告げる魔王。
そのデメの言葉に、セイラの透き通った大きな瞳が揺れた。
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