第137話 手

 グウがその名前を口にすると、ギルティは驚いた顔をした。


「シレオン伯爵!? だって伯爵は死んだはずじゃ……」


「ああ、たしかに俺の目の前で殺された」


 肉体を封印され、眼球だけの状態で活動していたシレオン伯爵。

 義眼に化けてラウル・ミラー氏に寄生していた彼は、秘書のデボラによって焼き殺された。


「でも、もしかすると、あれは殺されたフリだったのかもしれない」


「殺されたフリ? そんなこと出来るんでしょうか?」


 先代魔王であるシレオン伯爵は、現魔王デメに封印されそうになったとき、とっさに左目に意識を移して脱出したと言っていた。

 もし、あの目玉のほかにも、封印を免れた体の一部があったとしたら。

 もし、ほかの部位にも意識を留められるのだとしたら。


 死を装うことで自分から意識をそらし、自由に動けるようになる。ついでにグウに罪を着せれば一石二鳥といったところか。


 ギルティは半信半疑な様子だったが、ジムノ課長が否定せず黙っているところを見ると、どうやら当たっているらしい。


 すべてがシレオン伯爵の計画だったのだろうか。

 いつから? どこから?



『この期に及んで、まだデメに喧嘩を売ろうなんて気概はないさ』

『ずいぶんとセイラにご執心のようだが、それも一時的なものだろう。ようはお気に入りのゲームと同じさ』



(伯爵め。あんなことを言っておいて……)

 グウはアーキハバルに向かう最中の、シレオン伯爵との会話を思いだした。

 あのとき、ラウル・ミラー氏の顔に浮かんだ、どこか冷たい微笑み。赤く光った目。そして、車内を浮遊する手。


(ん?)


 そういえば、あの手首から先だけの妙なモノ……あれは結局、何だったんだ?

 秘書とか言ってたけど、秘書の誰かの手だったんだろうか。それとも……



 * * *



「僕だよ、僕」

 と、眼鏡をかけたスーツ姿の女は言った。

「君の親友、シレオンだよ」


 何言ってんだ、こいつ。と、魔王は思った。


「お前がシレオンだと? 嘘つけ。シレオンは死んだはずだ。秘書に……お前に殺されたはず……」


「殺されたように見せかけたのさ。僕が人間に寄生できることを忘れたかい? もちろん魔族にだって寄生できるよー? 僕の体の一部を接続することによってね」


「体の一部を……だが、シレオンの体は……」


「封印したはず、って? よく思い出してみなよ。ちゃんと全部封印したー?」


 魔王は海耀石かいようせきの中に保管してあった、ひつぎの中身を思い出した。

 たしかに、言われてみれば、あのミイラは体の一部が欠損していた。目や手が片方ずつ無かったような気がする。

 目は封印しそこねたらしく、最近まで人間に寄生していたようだが……

 それ以外は、封印前に負傷したか、たんに干からびて崩れたのかと思い、あまり気にしていなかった。


「フフフッ」

 女は笑って、両手を顔の前にかざして見せた。


 左右で手の大きさが違う。

 細く長い指に薄紫のネイルが施されていて、両方とも女性の手に見えるが、右手のほうが一回り大きい。


「こっちは僕の手。なかなか綺麗な手だろう? ほら、ネイルまで似合っちゃう」

 女は右手の指をパラパラと動かしながら笑った。


「…………」

 たしかに、このヘラヘラとふざけた野郎はシレオンだと、魔王はようやく信じた。


「何だい、その顔は。せっかく親友が生きてたんだから、もっと喜んで欲しいな。ねえ、セイラ?」


「えっ、何……秘書さんじゃないんですか?」

 急に話を振られたセイラは、こわばった顔で答えた。


「そう、秘書じゃなくて社長本人だよ、セイラ。正確には本人じゃないけど、君がお世話になったラウル・ミラーはほとんど僕だから、もう本人と言っても過言じゃないよね」


「え? ラウルさん?」

 セイラはますます混乱した。


「そうか……お前が今回の首謀者か」

 魔王は忌々しそうにつぶやいた。

「だとしたら、要求というのは、封印された肉体を取り戻すことか」


「当ったりー! でも、それだけじゃないんだよねぇ。てか、それだけで済むと思ってる?」

 デボラ改めシレオン伯爵は、ゾッとするほど冷たい視線を魔王に向けた。


「…………」


「じゃ、ここで改めて魔界再生委員会からの要求をお伝えしよう」

 彼は優しげな女の声で言い、穏やかに微笑んだ。

「死んでくれないか? デメ」



 * * *



 その頃、魔王城では――



 ジリリリリリ。

 ジリリリリリ。


 魔王親衛隊の執務室に、電話が鳴り響いている。


 いつも電話に出てくれるギルティがいないので、隣の席のザシュルルト隊員が腕を伸ばして受話器を取った。


「ういっす、俺っすけど何か用すか? ん? 隊長っすか? 隊長は……」

 社会人にあるまじき応答をしたあと、彼は部屋を見回した。

「あれ? 隊長は?」


「それが、副隊長と魔王様の部屋に行ったきり、ぜんぜん戻ってこないんだよ」

 ガルガドス隊員が答えた。


 ザシュは相手にグウの不在を伝える。

「隊長いないっす。ん? 急ぎ? しゃーねーなあ、ちょっと待ってろ」

 チンッと電話を切ると、

「俺、呼んで来るっす」と、部屋の出口に向かった。


「ちょっと待って、ザシュ!! 魔王様のご用事だよ? 邪魔したら怒られるかも……」

 ガルガドスが慌てて止めた。

 魔王が昨日のデートの件で傷心中だと知っている彼は、デリカシーのカケラもないザシュルルト隊員を行かせるのはヤバいと判断した。


「大丈夫っすよ。魔王様はそんくらいじゃ怒らないって。じゃ行って来るっす!」

 ぴゅううっと走っていくザシュルルト。


「こら、ザシュ!! 待って、僕も行くよっ!」

 ガルガドスは慌ててザシュを追いかけた。



 そんなわけで、魔王の寝室までやって来た二人。

 扉を何度かノックしてみるが、いつまで経っても返事がない。

 仕方がないので、そっと扉を開けてみた。


「あれ? いない?」


 部屋の中には、グウもギルティも魔王もいなかった。

 しかも、なぜかバルコニーに面したガラス戸が粉々に割れており、壁にかけられた大きな絵が焼け焦げていた。


「なんだ? 何があったんだ?」


 二人は部屋の異常な様子に驚いた。


「なんか、さっきまでパソコン使ってた雰囲気があるんすけど」


 起動したままのパソコンを見て、ザシュがマウスに手を伸ばす。


「こら、勝手に触ったらまずいよ」


 マウスを動かすと、パッとモニターが明るくなった。


「ん? 動画?」

「魔界再生委員会からのお知らせ!?」

「これを見てたんすかね?」


 動画を再生してみた二人は、その内容に衝撃を受けた。


「た、大変だ!!」

「えらいこっちゃ!」


 彼らは慌てて部屋を飛び出し、仲間たちに知らせに向かった。

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